そろばんという道具

 左の木版画のなかの二人の計算する男たちは、筆算で計算する男が、ローマの哲学者、神学者、政治家であったボエチウス(470〜524)、そろばんで計算する男が、古代ギリシアの数学者、哲学者のピタゴラス(紀元前582〜紀元前496)です。
 筆算でもたもたしているボエチウスに対して、そろばんを使っているピタゴラスは、おおよそボエチウスよりも千年前の人です。二人の活躍した時代がちがいますから、これは想像によって描かれています。
 そういっても、古来、ヨーロッパにおいては西洋型のそろばんが使われていましたから、そろばんを使用するピタゴラスは、あながち絵空事ともいえません。
 いろいろな説がありますが、五千年ほどむかし、古代バビロニア人が、ほこりをかぶった板に印をつけて計算したことが、そろばんなどの計算道具の発明につながるスタートであるといわれています。
 筆算よりも速く計算できることが大きな利点であり、魅力だったわけです。
 その後、「土砂をかぶった板」に代わります。
 それから、さらに板に溝を掘って、その溝に数を表す玉を入れて、玉を動かすようにしました。
 それを中国人が、玉に軸をとおして動かすようにしました。
 さらに日本人が、カバ玉、ツゲ玉のような精巧なそろばんをつくりました。
 もちろん、そのあいだにも、紐に結び目をつけたり、算木を並べたりといった計算方法も工夫されていますから、「これもまた一説」というものです。
 そろばんの発明後、十七世紀から二十世紀はじめにかけて、道具として、加算機がつくられ、微分解析機がつくられました。機械時計のようにシリンダー、ギア、シャフトなどによって組み立てられています。
 現在の電卓やコンピューターは、エレクトロニクス時代のたまもので、そもそも、コンピューターは、電気の計算機、電算機と訳されていたのです。
 そろばんのいいところは、暗算を始めるとわかりますが、イメージで操作できることです。目をつぶって、頭の中でそろばんを操作してみてください。かんたんな計算なら、イメージで計算できるでしょう。
 いっぽう、加算器、電卓、コンピューターの計算を、わたしたちはイメージで再現することはできません。そもそも中身をイメージすることができません。
 そろばん式暗算は、イメージ操作という脳の重要な働きを使うのです。


学院長 筒井保明