そろばんと算数はつながっている。

 算盤との関連で、江戸時代にも読まれた中国の書籍に『孫子算経』がある。書かれたのは、四、五世紀ごろ。
 中学受験でおなじみの「つるかめ算」の元もこの本に登場する。鶴と亀ではなく、雉(きじ)と兎(うさぎ)であるが。
「今、ここに雉と兎がいて、同じ籠に入っている。頭が三十五で、足が九十四。さあて、雉と兎はそれぞれいくつ?」
 答えは、雉が二十三、兎十二。
 中国では小学五年生の教科書にも採用されているようだ。
 中学生は、方程式を使って、雉をx、兎をyとして、x+y=35、 2x+4y=94 を解いて、x=23、 y=12 の解答を得る。
 方程式を使わない小学生は、
「35羽のすべてが雉であると仮定すると、足は70本。実際の足の合計は94であるから、足が24本余る。これを4本足の兎に配当すると、24÷2 で兎が12羽(日本では兎も一羽、二羽と数える)であることがわかる」
 この逆に、
「すべてが兎であると仮定すると、足は140本。足が46本足りない。2本足に戻さなければならないのは、46÷2で23羽。つまり、雉が23羽であるから、35-23で兎は12羽となる」
 中学受験の生徒であれば、面積図で解く方法を教わったかもしれない。
 この特殊算は、『孫子算経』の下巻に記述されている。
 さて、上巻は、単位の修得から始まる。明治時代の日本のそろばん関係の書物を見ても、わたしたちはやはり単位に悩まされる。
 現代のわれわれが覚える必要はないだろうが、『孫子算経』の本文の冒頭であるので紹介すると、
「度(長さ)は、忽から始まる。蚕が吐く糸の長さを忽とする。十忽を一糸とする。十糸を一毫とする。十毫を一mao(牛偏に毛)とする。十maoを一分とする。十分を一寸とする。十寸を一尺とする。十尺を一丈とする。十丈を一引とする。…」
「量(重さ)は、粟から始まる。六粟を一圭とする。十圭を一撮とする。十撮を一抄とする。十抄を一勺とする。十勺を一合とする。十合を一升。十升を一鬥とする。…」
 現在でも、一寸一尺、一合、一升は、かろうじて生きている単位だろう。
 九九は、ちょっとおもしろくて、
「八九、七十二、自相乘(自乗・二乗)すると、五千一百八十四、八人で分けると、六百四十八。七九、六十三、自乗すると、三千九百六十九、七人で分けると、五百六十七。六九、五十四、自乗すると、二千九百一十六、六人で分けると、四百八十六。五九、四十五、自乗すると、二千二十五、五人で分けると、四百五。四九、三十六、自乗すると、一千二百九十六、四人で分けると、三百二十四。三九、二十七、自乗すると、七百二十九、三人で分けると、二百四十三。二九、一十八、自乗すると、三百二十四、二人で分けると、一百六十二」といった具合である。  この九九をそろばんで弾いてみよう。


学院長 筒井保明