やる気は、君のなかにある。

Do you have motivation?

 「先生、どうしてもやる気になれないのですが、どうしたらいいのでしょうか?」
 1学期が始まって、「この学年こそ成功の一年にするぞ」と誓っている生徒たちが、なぜか、やる気になれないという悩みを持って、相談に来る。
 「やりたい」と本気で思っていれば相談に来ないのだが、「やらなければならない」という義務感になってしまっている生徒たちは、その義務を重く感じて、なかなか、やる気になれない。やりたいゲームはいくらでもできるのに、やらなければならない学習は「元気」を挫いてしまうわけである。
 そもそも「やる気」って、なんだろう?
 「気」がつく熟語や慣用句は、ちょっと調べればわかるように、とても多い。
 もともと「気」とは、「物より発する微妙不可思議なもの」である。幸田露伴の説によれば、「その物の気は、即ちその物の本体と同一にして、あたかも本体の微分子なるがごとく、(中略)気あれば必ず物あり、物あれば必ず気あり、気と物と相離るれば即ち物すでに物たらず、物と気と相失えば即ち気すでに気たらず。」である。
 水の上に手をかざせば、湿り気を感じる。火に手をかざせば、熱を感じる。これも「気」である。露伴先生は、「気」に相当するやまとことばは「にほひ」(色、声、光、容姿など、その物から感じられるものは、すべて「にほひ」)だという。天に天の気、山には山の気、海には海の気、酒には酒の気、茶には茶の気、軍隊には軍隊の気、春には春の気、人には、人の気があるのだ。(一切万物に一切万物の気あり)  さらに、やまとことばで「気」は、「いき」。「いき」は、「いのち」となり、「いぶき」となり「いきおい」となり、「いきる」「いきりたつ」「いきつく」「いきごむ」「いきまく」などとなる。
 つまり、生きている君自身が発するものが「気」であり、「やる気」とは、なにかをやっている君自身の「気」のすがたのことだ。だから、「やる気」を感じるのは君自身でなく、君を「やる気のある生徒だなあ」と見る他の人たちである。
 最初の質問に答えれば、君がなにかをやらないかぎり、「やる気」は存在しない。君がやる気になれないのは、「やりたい」と思えないからで、「やらなければならない」と重荷に感じているからだ。「やらなければならない」は、「できればやりたくない」を引き起こしてしまう。「やりたい」と思えば、放っておいても、やる気になってしまう。
 まず「やる気になれない」ときには、もう一度、目標を見直してみよう。そして、自分に問いかけるのだ。「これは、本当に自分が達成したい目標なのだろうか?」
 じっくり考えて、「やっぱり、達成したい!」という自分を発見できれば、誰かに背中を押されなくても、君は、自然に学習に取り組んでしまう。
 「やりたい!」⇒「なにもいわれなくても、自分から取り組んでしまう」
 これが、「やる気」の正体だ。
 しっかり目標を持つことができれば、5月病など、どこ吹く風である。
 元気に前進していこう。

学院長 筒井保明