「温故知新」に未来の答えがある。

Gain new insights through restudying old material.

 小学校、中学校、高校で、新年度が始まる。
 書店には、辞書、参考書、問題集、学校案内、ノウハウ本など、おびただしい学習関連・受験関連の書籍が積み上げられている。
 立ち寄って眺めてみるけれど、購入したくなるような本はわずかだ。
 学習関連・受験関連の書籍は、入れ替わりが激しく、古いものが新しいものに取って代わられている。しかし、毎年、「まてよ」と思う。かつて私が感動した名著は、書店に並べられることがない。
 『論語』の一節に、「温故而知新。可以爲師矣。」とある。学校教育的には、「ふるきをたずねて、あたらしきをしれば、もってしたるべし。」と読む。しかし、唐話(中国音でそのまま読もう)を主張した荻生徂徠(1666-1728 漢学者)の弟子たちは、当時の唐音で※「ウヲンクウル、ツウスイン…」(温故而知新)と読んだろう。いまだに学校では漢文訓読法を実施しているが、私は、漢文を教えはするけれど、できれば荻生徂徠に従いたい。江戸時代、川越の顧問でもあった荻生徂徠は、漢文訓読法という不自然な方法がいやだったのだ。
 この不自然さは、翻訳作業のような、現在の英語学習にもいえる。英語教育に関する話題が依然としてかまびすしいけれども、ほとんど結論は出ていると思う。
 英語教育に関していえば、多摩大学名誉学長のグレゴリー・クラーク氏の言っていることが正しいと私は考えている。クラーク先生の『英語勉強革命』という著書からポイントを抜き書きしてみよう。
 「語学は“聞く”ことに始まる」
 「Use it or lose it.(使わなければ、失ってしまう)」
 「日本人は語学に関して努力不足」
 「外国語を覚えようとしたら、その言葉を意識、無意識の両方の領域に入れなければならない」
 「文字を見ずに一生懸命に何度も聞く」(聞き流さない!)
 「自然会話をする」
 「耳できいた文章をテキストを見ながら音読する」
 「言葉は無意識レベルで覚えなければならない」
 「カタカナ英語は厳禁」
 「発音は耳で覚える」
 古代トロイアの遺跡を発掘した考古学者のシュリーマンも、日米和親条約の締結に尽力したジョン万次郎も、語学習得の方法は、結局のところ、変わらない。
 「温故知新」という言葉を噛みしめるとともに、新しい学年でたくさんのことを学んでいこう。

※当時の唐話の本による推測。

学院長 筒井保明