よく考えることに努めよう!

Let us endeavor to think well.

 人は考える葦である、というパスカルの言葉を、君たちも聞いたことがあるだろう。パスカルの『パンセ』という断片集には編集の異なるものがあるけれど、最初の編集では、346、347、348と続く部分が、「考える葦」に当たる。

346「思考が人の威厳をつくる。」

347「人は葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものだ。しかし、それは考える葦である。人を押し潰すのに宇宙全体が武装する必要はない。人を殺すには、一滴の水蒸気、一滴の水で十分である。しかし、宇宙が人を押し潰すとしても、人は人を殺すものよりもはるかに高貴であろう。なぜなら、人は死ぬことも、人に対する宇宙の優位性も知っているが、宇宙はそれについて何も知らないからだ。したがって、私たちの尊厳は、思考に存する。そこにこそ、私たちは立ち上がるべきであって、私たちが満たすことができない空間や時間の中ではない。したがって、よく考えることに努めよう。これが倫理の原則である。」

348「考える葦。私が尊厳を探すべきところは、空間ではなく、思考の枠組みの中である。土地を所有しても、勝るわけではない。空間によって、宇宙は私をとりまき、一つの点のように私を取得する。思考によって、私は宇宙を理解する。」

 長々と訳したのは、「本当の理解は、全体から来る」ということを知ってほしいからである。名言集というものがたくさん出版されているけれども、一行や二行、取り出しただけでは、本当のところはわからない。(文学でいえば、あらすじでは、名作を味わうことはできない)パスカルがいいたいことは、「人は、物理空間のなかでは、一本の葦のように弱いものでしかない。しかし、人は思考によって情報空間をつくることができ、真実を知る努力によって、宇宙さえも理解していくだろう。真実を知る努力、つまり、思考こそが人の尊厳なのだ」ということではないだろうか。
 「人は考える葦である」という言葉は、「よく考えることに努めよう」という言葉とセットになっている。そして、「よく考えることに努めることが倫理の原則である」という言葉は、「思考が人の威厳をつくる」ということなのだ。『パンセ』の最初の編集者が、346、347、348と並べたのは、以上のように考えたからであろう。パスカルの言葉の素晴らしいところは、「よく考えろ」と突き放して命令するのではなく、「よく考えることに努めよう」(Travaillons à bien penser)と励ましてくれるところだ。日本には「下手の考え休むに似たり」ということわざがあるけれど、パスカルなら、「下手は下手なりに、一所懸命に考えることが、人の尊厳をつくるのだ」といってくれるだろう。
 わたしは、パスカルに賛成だ。パスカルは、「考えて結論を出せ」といっているのではなく、「命ある限り、真実を知るために、よく考えることに努めよ」といっているのだ。たとえば、パスカルの時代、17世紀の人たちは、相対性理論もビックバンも知らない。21世紀の現在、さらに多くのことが発見され、わかるようになっていくだろう。しかし、際限はない。宇宙と対面していたパスカルは、宇宙に際限がないことを知っていた。だから、自然の中で、ひとつの葦のように弱い私たちは、よく考えることによってのみ、自分の存在を支えることができる。 「よく考えることに努めよう!」という言葉は、すべての人に対する励ましの言葉である。

学院長 筒井保明