君は目標に向かって成長する!

You will grow up to the goals!

 人は目標に向かって成長する。目標があるから人は行動を起こし、その経験によって一廉の人物になっていく。途方もないことのようであっても、思い切って行動していけば、必ず成果は出るのだ。
 明治時代に河口慧海(1866-1945)という僧侶がいた。彼は無銭でチベットにいくことを決心した。
 彼の目標は、①わかりやすい経文を拵えたい。②そのためにチベット語を学びたい。③ヒマラヤ山中で修行して清浄妙法を専修したい。というものである。
 もちろん、無銭といっても、海外に無一文で行くことはできない。出立にあたって、自費や餞別で六百三十円(当時)を集め、旅行の準備に百円あまりを使い、五百円あまりを持って旅立った。周りの人たちは、「彼は死にに行くのだ。馬鹿だ。突飛だ」といって嘲笑った。
 明治30年、神戸からシンガポール、シンガポールからカルカッタへと船で渡り、そこから汽車でダージリンに到着。しばらくダージリンに滞在して、チベット語を学ぶ。チベット族の子どもや女性から俗語を学んで、半年後にはチベット語が話せるようになった。
 明治32年、いよいよチベットに向けて出発。道はネパールにとる。カトマンズまでの行程で、泥棒に出会ったり、虎に出会ったり、旅籠の二階の風呂が崩壊したりしたが、災難は免れた。ヒマラヤ山中に入って、山賊に脅かされながら、ツアーラン山村に滞在。チベット仏教とともに、チベット族の不潔さに耐えることを学んだ。なにしろ、彼らは体中真っ黒で、年に2回くらいしか、体を洗わないようなのだ。また、モンゴル系の人々の短気に対しても、堪えに堪えて、「怒るということは馬鹿の性癖である」と悟った。
 マルパ村に移動し、いよいよチベット国境を目指して、ネパール北部のヒマラヤ山脈、標高8,167 mのダウラギリ山を越えなければならない。
 ダウラギリ山を越えるということを話すと、案内者は顔色を変えて、
「それはいけません。あんなところへは仏様か菩薩様でなければ行けやしません。行けば必ず死んでしまいます。そうでなくても猛獣のために食われてしまいますから、お止しなさい」
 これまでの行路でも、雪山の嶮しい坂を攀じ登る途中、谷間に動物などの骸骨を見たりした。それでも、「わたしの目標は山の向こうにあるのだ」と説得すると、案内者は涙を流しながら立ち去った。ひとり、河口慧海は、雪のなかに踏み込み、岩陰に泊まり、磁石をたよりに北に進んでいき、ついにチベットとネパールの国境である雪山の頂上に到達した。
 3年後にチベット国境を越えるという誓いを立てた明治30年から、ちょうど3年後に、河口慧海はチベット国境を越えたのだ。彼は、袋の中から麦焦がしの粉を出して椀に入れ、雪とバターを加えて捏ねた。それを唐辛子と塩につけて食べた。その旨さは、極楽世界の百味の飲食も及ばないほど、旨かった。
「雪中に座り込んで四方を眺めていると、なんとなく愉快というだけで、ただジーッと一人で考え込んでいるだけで、これからどちらへ出かけたらいいのか、サッパリ見当がつかない」
 さあ、これからどうする?
 河口慧海は、そこに座り込んで、「断事観三昧」(決めるためにじっと考える)を実行する。運を天に任せるのではなく、自分の存在を賭けて座禅をし、これからどうするか、答えを出すのだ。
 これ以降の話は、河口慧海の『西蔵旅行記』(明治37年)にゆずるが、人が目標に向かうとき、先の見通しがなくとも、何かの決断が必要であれば、「断事観三昧」で答えが見えてくることを知ってほしい。目標が大きければ大きいほど、先のことなどわからない。どうなるかわからないから、大きな目標なのだ。
 でも、本気で目標に向かっているならば、さまざまな壁に当たったときや、それぞれの頂上に達したとき、じっと未来の自分を考えると、つぎにやるべきことが見えてくる。
 大きな目標に向かうことが、君の大きな成長につながるのだ。

学院長 筒井保明