友だちとともに学ぶ。

Learn in the company of friends.

 アクティブ・ラーニングという言葉を聞いたことがあるだろう。
 アクティブは能動的ということ。その対義語は、パッシブで受動的ということ。
 脳の機能でいえば、「見るだけ・聞くだけ」の学習はパッシブで、自分の口や手を動かす学習はアクティブということになる。
 パッシブな学習における学習内容の定着率は低く、アクティブな学習における学習内容の定着率は高い。だから、君たちは、積極的な態度で、自分の口や手を動かしながら、どんどん学習しよう。
 さて、世界中で学習に関する仮説と検証が毎月のように発表される。研究というのは厳しいもので、その多くは、すでに研究され、結果が公表されているものを追認しているものばかりだ。本当に新しい研究というものは数少ない。
 たとえば、「読書量が増えれば増えるほど、算数・数学が得意になる」という調査結果は、くりかえし発表されている。どの調査も「読書好きの子どもは、算数・数学が得意になる」という結果になっている。当然といえば当然で、読書は「言語という抽象概念」を読み取ることであり、算数・数学は「数字や記号という抽象概念」を操作することであるから、脳の働きとしてはほぼ同じなのである。読書に秀でることは、算数・数学に秀でることに通じるのだ。
 もしかしたら、君たちのなかに、「ぼくは理系」とか「わたしは文系」とか、なんとなく教科の好き嫌いで自分を規定している生徒がいるかもしれないけれど、人の能力として「理系」とか「文系」という性質はない。能力ではなく、じつは「好き嫌い」である。
 その証拠に、20世紀最大の知性といわれたポール・ヴァレリーというフランスの詩人は、生涯にわたって数学に取り組んでいたし、人工知能の父といわれたマーヴィン・ミンスキーというアメリカの科学者の文章はすばらしい。こういう人たちの業績に接すると、「理系」とか「文系」という性質が存在しないことがわかる。『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』で有名なゲーテは、19世紀の最高の詩人であり、劇作家であり、色彩論、形態学、生物学、地質学を研究した科学者であり、さらに政治家であった。どこに「理系」と「文系」が存在するだろう?
 「理系」と主張する君。もしかしたら、音読・読書を怠ってしまって、読書をさぼっているだけではないか?
 「文系」と主張する君。もしかしたら、計算練習を怠ってしまって、算数・数学を毛嫌いしているだけではないか?
 「理系」が好きな君は、たくさん読書することによって、もっと理系教科・科目のことが理解できるようになる。
 「文系」が好きな君は、算数・数学に取り組むことによって、もっと文系教科・科目のことが理解できるようになる。
 どの教科・科目も、人の教養としてつながっているのだから、小学生・中学生は、どの教科・科目にもしっかりと取り組まなければならない。
 君たちは、たくさんのことを学び、たくさんのことを身につけているうちに、やがて、友だちや仲間とそのことについて語り合ったり、論じ合ったり、教え合ったりしたくなるだろう。
 本当のアクティブ・ラーニングは、この時点から始まるのだ。

学院長 筒井保明