Month: September 2020

狭山校【9月北辰テスト解説授業】のご案内 

 9月6日(日)に北辰テストがいよいよ会場で実施されます。多くのお子様が7月の北辰テストおよび1学期の通知表をふまえて進路を決定しつつある時期だと思います。今回のテストからは受験生も増え、夏を通過したことで学力も上がっていることから前回よりさらに難しい内容での出題が予想されます。  そこで山手学院狭山校では、9月6日(日)に北辰テストの解説授業を実施いたします。テストを受けた当日だからこそ意味のある「解説」「解き直し」のプロセスを今回もしっかり行い、一人ひとりが目標への具体的な課題が持てる機会としていただきたいと考えています。 日時 :9月6日(日) 16:00~18:00 201教室 持ち物:筆記用具・北辰テスト 山手学院狭山校の校舎案内へ戻る

学院長からのメッセージ 2020 October

目標に向かうとき、人は学習する!  ミシガン大学のタド・A・ポルク博士の「習慣性の脳」(The Addictive Brain)の講義のなかで、 「一時的な違いと予想のまちがいが、人の学習の根本だ」という発言があった。  英語のままだと、temporary difference(一時的に異なること)とprediction error(予測が外れること)が学習の引き金になるという。  記憶の仕組みでも「人はまちがいをインデックス(索引・指標)にして記憶する」といわれる。そして、教育学でも「まちがいを排除しようとする教育はあやまりである」と多くの人たちが主張する。つまり、違いやまちがいが学習には不可欠なのだ。  にもかかわらず、教師をはじめとして、多くの大人たちは、子どもたちのまちがいを指摘して、まちがえないように指導する。じつは、ほんとうの学習は、自分で違いやまちがいに気づいて、それを自分で修正することなのだ。教育学者マリア・モンテッソーリは、「子どもたちが集中して取り組んでいるとき、子どもたちに余計な手を出すな。あなたたちの、良かれと思った手出しが、子どもたちの学習意欲を奪い、子どもたちの能力を奪うのだ」とまで主張した。  わたしは、学習だけでなく、スポーツや芸術などを通じても、「意識的にせよ、無意識的にせよ、人は未来を予想しながら生きている」と考えている。スポーツを例にとれば、みなさんも思い当たるだろう。バスケットボールであっても、サッカーであっても、野球であっても、すぐれた選手は、ボールや他の選手の動きを予想・予測しながら、プレイしているはずだ。「一時的な違い」に気づいて自分の動きを変えるだろうし、「予想のまちがい」を回復するためにみんなの動きを変えるだろう。そうしたプレイのなかで、さらにその競技に上達していく。  芸術を例にとれば、先を予想しているから、画家は筆が動くのであり、ピアニストは指が動くのだ。そして、描いてみて予想と違えば描きなおすだろうし、弾いてみてまちがえたら弾き方を工夫するだろう。もし先を予想していないなら、違いもまちがいも生じない。学ぶべきことも生まれない。  ポルク博士のいうとおり、学習の根本は、「一時的な違い」と「予想のまちがい」であろう。  こういったことがわかってくると、学び方や生き方も変わってくるにちがいない。  たとえば、人の話を聞くとき、「つぎは、なんていうだろう?」「つぎの言葉はなんだろう?」と少し先を予想しながら(意識しながら)聞いていると、話がしっかり聞き取れるし、話し手がいっていることもよくわかる。英語のリスニングであれば、「つぎはどんな音だろう?」「つぎはどんな単語だろう」と予想しながら聞いていると、つぎの音や単語が予想外れであっても、その違いに気づいて、よく聞き取れるようになる。本を読むときも、スポーツをするときも、楽器を弾くときも、つぎを予想・意識していると、言葉や動きや音が予想と違っても、そこから新しい学習が生まれるので、理解や上達が速くなるだろう。  では、なぜ目標をもっている(強く意識している)と、わたしたちの進歩が速くなるのだろうか?  目標とは、「未来に予想される自分」にほかならない。目標(予想)に向かう取り組みには、必然的に無数の「一時的な違い」や「予想のまちがい」が生まれる。目標に向かっているかぎり、どの違いも、どのまちがいも、すべて目標を達成するための学習になっている。だから、わたしたちは進歩するのだ。  君が予想する「未来の自分」に向かっていこう! 山手学院 学院長 筒井 保明

そろばん通信|2020年10月号

山手学院朝霞台校がそろばんクラスを開講します!  山手学院のそろばんクラスは、全国珠算教育連盟の加盟校です。  全国珠算教育連盟は、1953年の9月に誕生した、珠算教育にたずさわる連盟です。1956年に社団法人、2013年に公益社団法人の認定を受け、責任ある珠算教育団体として、社会に資する役割が大きくなっています。 さて、山手学院がそろばんクラスをつくるきっかけになったのは、山手学院の数学教師たちにそろばん習得者が多いこと、計算の速さと正確さを兼ね備える生徒たちにそろばん学習者が多いことに気がついたからでした。  そろばんクラスの開講を考えたとき、最初に相談したのは、東京都知事認可の珠算学校の先生でした。ですから、もしかしたら山手学院そろばんクラスは、東京珠算教育連盟(“脳”活性化集団トーシュレン)でスタートしていたかもしれません。  ところが、山手学院の教師たちに段級位の確認をしますと、ほとんど全国珠算教育連盟の段級位であり、さらに日本商工会議所の珠算能力検定の級位でした。また、保護者の方々におたずねしても、やはり全国珠算教育連盟の段級位と日商の検定級位でした。  以上のようなことを話しますと、東京の珠算学校の先生は、 「そろばんの団体はたくさんあるから、いっそ山手連盟でもつくったら」 と冗談をいわれましたが、山手学院の生徒たちが段級位に挑戦していくなら、保護者の方々が持っている全国珠算教育連盟の段級位から始めよう、ということで、全国珠算教育連盟に加盟したのです。  埼玉県ということもあるのでしょうが、いまのところ、みなさんがお持ちの珠算資格は、全国珠算教育連盟と日商の段級位がほとんどです。ですから、全国珠算教育連盟でスタートしたことは正しかったと考えています。  そろばんの効用については山手学院そろばんクラスのパンフレットにまとめて書いていますので、ここでは触れませんが、珠算式暗算に力点を置いていることは強調してもいいでしょう。  そろばんという道具自体が、(触覚、聴覚も使いますが)視覚的なものですから、そろばんの習得は、筆算とはまったくちがう計算能力です。筆算は言語的操作(数字も抽象化された言語)ですが、そろばんは、そろばんという道具を使っていても、イメージ操作です。また、イメージ操作だからこそ、そろばんという道具が目の前になくても、珠算式暗算ができるようになるわけです。  前頭前野でイメージを操作することは、脳の重要な能力を培います。 もしかしたら、小学校教育として、そろばんが正式に導入されなかった原因は、言語学習中心の小学校教育になじまないと判断されたのかもしれません。小学3・4年生の教科書で、そろばんが紹介されるものの、文化史としてあつかわれている程度です。  昭和の初めごろから「そろばんはいつ始めるのがいいか」という議論がくりかえされますが、「そろばんは、できるだけ低学年から始めるべきだ」という意見にわたしは賛成です。  筆算で数字(抽象的な言葉)を操作する練習にくらべて、そろばんの球(具体的なもの)でイメージを操作する練習は、低学年の生徒ほど、なじみやすく、得意になることができるからです。 学院長 筒井保明