Day: October 7, 2020

プログラミング通信 | 2020年11月号

学院長あいさつ 試行錯誤を楽しもう!  みなさんはプログラミングに楽しく取り組んでいますか?  もし、楽しくなかったとしたら、たいへんです。  どんなことであっても、楽しく取り組むから、できるようになります。かならずリラックスしてから、楽しい気分でプログラミングに取り組んでくださいね。  さて、宇宙も、世界も、生物も、君も、情報でできています。生物であれば、本体は、細胞のなかのDNAです。DNAの持っている情報によって、人間もできあがっています。DNAの持っている情報のことを遺伝子といいます。  プログラミングは、遺伝子のような小さな情報を組み立てて、一つのパッケージをつくっていきます。思ったとおりに動かなければ、情報を組み替えたり、削除したり、新しい情報を加えたりします。形の異なるパーツで、自分の考えているモデルをつくりあげていくレゴ・ブロックの組み立てにとても似ています。  じつは、スクラッチの開発チームの責任者であるレズニック博士は、レゴ・カンパニーの開発にもたずさわっています。自分が考えているプロジェクトをつくっていくという工程は、スクラッチもレゴ・ブロックも共通です。そして、どちらも「遊び」「プレイ」です。  「遊び」とか「プレイ」などというと、「柔道」とか「書道」とか「茶道」のように「道」が好きな日本人には、ちょっと抵抗があるかもしれません。そのうち「プログラミング道」などということになったら、どうしましょうか?  わたしが、最初に、「みなさんはプログラミングに楽しく取り組んでいますか?」と声をかけたのは、プログラミングにかぎらず、文化の本質が「遊び」だからです。  芸術も、スポーツも、プログラミングも、「楽しいこと」であって、けっして「苦しいこと」ではありません。オリンピックのさまざまな競技も、そのスタートは「遊び」「プレイ」です。  山手学院の卒塾生のなかに、スポーツ科学を専攻している大学院生がいます。彼は、 「スパルタ指導で、厳しく練習するのがいいか。遊び感覚で楽しく練習するのがいいか。ぼくは、楽しく練習するほうが、効果が上がると確信しています」といっていました。  彼は、オランダの歴史学者、ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』(遊ぶ人)を読んでいて、「遊びが文化に先立つこと」「遊びが芸術やスポーツに発展したこと」をスポーツのコーチをしながら、実感したそうです。 「なんでも、楽しくやらなきゃ、上手になりませんよ」  と、力説していました。  わたしもおなじ考えです。プログラミングも、学習も、受験勉強でさえ、楽しくやれば、かならずできるようになります。  プログラミングは、たしかに試行錯誤をくりかえしますから、傍から見ればつらそうに見えますが、やっている本人はつらくないはずです。試行錯誤しているあいだ、本人は、たくさんのことを学んでいます。試行錯誤が本来の学習です。  ぜひ試行錯誤も楽しんでくださいね。 学院長 筒井 保明 プログラミング的思考は教科書でどのように取り上げられているか③  第3回は、理科ではどのように扱われているのかについてみていきます。  「プログラミングは理系教科と捉えられがちですが、そうではありません」ということを、算数の回で掲載しました。  (※プログラミング的思考は、算数や中学校以降で学習する数学と深い関係性があります。ですので、プログラミングは理系(算数や理科)の仲間といわれることが多いのですが、前述のプログラミング的思考の考え方をふりかえってみると、文系(国語や社会)でも十分に役に立ちますし、学習だけでなく生活面でも活かすことができるのです。山手学院ホームページにプログラミング通信のバックナンバーを掲載しております。気になる方はご覧ください)  とはいえ、プログラミングとして理系教科を想像しやすいという点では、多くの人が納得いただけるかと思います。  さて、プログラミング的思考を今年度から実施するにあたり、文部科学省では今までになく授業事例をあげて、教職員向けにこのような授業をしたらどうかという案をあげています。教科書では、電気の単元の授業でプログラミングを取り上げています。(理科の授業事例が電気だったからでしょうか、教員も理解をしやすかったからでしょうか)  電気以外の、小学4年生では温度、小学5年生では天気、小学6年生でも水溶液といった単元でも、順次実行や繰り返し、条件分岐といったプログラミング的思考をつかって考えることができます。  QUREOで学習していくなかでも、順次実行や繰り返し、条件分岐といった考え方を学んでいきます。Chapterが進んでも、前に学習したことももちろん出てきますから、身につけていきましょう。 答えを見る

そろばん通信|2020年11月号

論語と算盤  9月に行われた自民党総裁選で、候補者の一人が「論語と算盤」という国家像を掲げました。埼玉県の偉人の一人である渋沢栄一の著書『論語と算盤』に想を得たものでしょう。  ずいぶんむかしの本ですが、渋沢栄一は2021年のNHK大河ドラマの主人公ですので、これからベストセラーとして復活するかもしれません。ただし、できれば、原文を読んでください。もともと口述筆記ですので、原文からは渋沢栄一の声が聞こえますが、現代語に書き直されたものからは聞こえません。  さて、『論語』は、中国の思想家である孔子の言行録です。渋沢栄一は、孔子の教えを人生の信条としていました。渋沢は、論語で一生を貫き、論語の精神で商売を続けました。「論語と算盤」は、いいかえれば、「道徳と経済」です。  『論語と算盤』のなかで、渋沢は「勉強」ということを強調します。しかし、わたしたちが使う意味では使っていません。訓読すれば「勉め強いる」ですから、「むりしてもやる」という意味であり、わたしたちは「勉強しなきゃ!」という感じで使っていますが・・・。  渋沢は、豊臣秀吉の長所中の長所が「勉強」であると主張します。  秀吉が織田信長の草履取りをしていたとき、冬であれば、信長の草履をふところに入れて温めていました。ここまで行き届くのは、よほどの「勉強」です。  信長が朝早く外出しようとするとき、秀吉はいつでも最初に信長の声に応じました。非凡な「勉強家」です。  本能寺の変のとき、岡山県から京都府まで、秀吉は軍を率いて13日で引き返しました。尋常ならざる「勉強家」であった証拠です。  渋沢は、秀吉のこの「勉強」が、秀吉に天下統一をなさしめたのだと断言します。  どうでしょうか。渋沢栄一の「勉強」のイメージがつかめたでしょうか。  『論語と算盤』を読んで感じてもらうしかないのですが、わたしたちのそろばんに置き換えていえば、「自分でそろばんを弾いて勉強しろ」というのが渋沢の言いたかったことです。「自分でそろばんを弾かないようなやつは立派になれないぞ」というアドバイスです。渋沢栄一は銀行家でもありましたから、小さな単位の計算違いも見逃しません。そろばんを弾くことを大切にしないようなやつに、大きなことを成功させることはできない、というのが彼の考えです。  明治4年、大蔵省に西洋式簿記を導入し、伝票によって金銭を出納することにしたのも渋沢栄一でした。伝票算は、全珠連の珠算検定では、3級以上の選択種目になっていますね。  現在の日本に必要なのは、渋沢栄一のような人物です。  残念ながら、自分でそろばんを弾いたことがないような人たちが、現在の日本を動かしています。  論語と算盤が一致していれば、また、道徳と経済が一体化していれば、日本は、現在のような事態にはなっていないはずです。  渋沢栄一の批判は、今日でも、そのまま続いています。そろばんを弾いている小学生のみなさんが大人になるころには、もっといい日本になっていることを願います。  「自分でそろばんを弾くこと」は、渋沢栄一のいう「勉強」のスタートです。  積極的に取り組みましょう。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 November

目標に向かうとき、人は学習する!  9月の北辰テストの結果が返ってきた。自分の得点や偏差値や合格可能性を見て、君たちは、にんまりとほほ笑んだり、暗然と落ち込んだりしたかもしれない。しかし、その結果はすでに過去のものでしかないから、良くても、悪くても、君たちは目標に向かって前進していくだけだ。  そういっても、わたしも、君たちの結果をながめながら、君たちの日ごろの姿を思い浮かべて、笑顔になったり、渋面になったりした。とくに、一生懸命に取り組んでいる生徒の結果がかんばしくないと、かなり暗い気分になる。どうして、努力しているのに、結果となって表れないのか。なぜ努力が結果につながらないのか。  きちんと学習しているにもかかわらず、なかなか結果がともなわない生徒たちの大きな問題点の一つは、生活習慣がまちがっていることだ。一人ひとり面談して、まちがった習慣を正していくだけでも、ずいぶん結果が変わってくるだろう。 ①夜9時以降のテレビやゲームやスマホやパソコンは、原則として、禁止。  受験生であれば、なにが重要なのか、自分で決めることだ。テレビやゲームやスマホやパソコンが、今日の学習よりも重要であると判断したなら、それによって今日の学習が壊れ定着しないまま消滅したとしても自己責任であろう。今日の学習は短期記憶として蓄えられ、熟睡中に長期記憶として定着する。ところが、睡眠前のテレビやゲームやスマホなどは、短期記憶を壊し、睡眠ホルモンのメラトニンの分泌を妨げ、睡眠を浅くしてしまう。つまり、熟睡がないから、細胞をつくったり修復したりする成長ホルモンが分泌されない。  熟睡こそ、君たちを成長させるカギである。熟睡を失うと、脳や身体の成長が阻害され、疲労から回復することもできず、ひどい場合、朝、起きられなくなる。学習の前に、健康を害してしまう。  記憶と睡眠、睡眠と成長ホルモンの関係を知っている人は、寝る前に学習をまとめる習慣を持っているし、テレビやスマホなど触わらない。もっと慎重な人は、熟睡するために、お風呂の電気を暗くして入浴したりする。(強い光はメラトニンの分泌を妨げるので)そして、自分に向かって「あなたは目標を達成できる」と明言してから熟睡する。  「いい眠りを眠ること(熟睡すること)」が、一日の最重要事項なのだ。 ②つねに自分の目標を意識する。  ①とも関連して、学習しなければならないのに、どうして目の前のことに振り回されてしまうのだろうか。ついゲームに手を出してしまったり、テレビを見てしまったり、スマホをいじってしまったり、マンガを読んでしまったり・・・気がついたら、あっというまに時間が過ぎていた!  原因は、「目標が意識されていないこと」である。たとえば、おにぎりを食べたいと思っているとき、ラーメンをつくる人はいないだろう。映画を見たいと思っているとき、ジョギングする人はいないだろう。学びたいと思っているとき、遊ぶ人はいないだろう。人は、やりたいこと(目標)に向かって行動するものだ。  だから、学習しないで、ほかのことをしてしまうのは、学習が目標につながっていない証拠である。「志望校に行きたい」と本気で思っているなら、学習はやりたいことになる。「みんながやっているから、やらねば・・・」と思っているなら、ゲームやテレビやスマホの誘惑にかんたんに負けてしまう。  本気の目標を持てば、君は自然に学習に向かいたくなる。  野球選手になりたいと思っている若者は、サッカーの練習ではなく、野球の練習をする。行きたい学校がある君は、ゲームやテレビやスマホではなく、学習を始める。  いつでも自分の目標が先だ。自分の目標を意識していると、必要なことを自然にやるようになる。  さて、君の目標は、なんだろう? 山手学院 学院長 筒井 保明