論語と算盤

 9月に行われた自民党総裁選で、候補者の一人が「論語と算盤」という国家像を掲げました。埼玉県の偉人の一人である渋沢栄一の著書『論語と算盤』に想を得たものでしょう。
 ずいぶんむかしの本ですが、渋沢栄一は2021年のNHK大河ドラマの主人公ですので、これからベストセラーとして復活するかもしれません。ただし、できれば、原文を読んでください。もともと口述筆記ですので、原文からは渋沢栄一の声が聞こえますが、現代語に書き直されたものからは聞こえません。
 さて、『論語』は、中国の思想家である孔子の言行録です。渋沢栄一は、孔子の教えを人生の信条としていました。渋沢は、論語で一生を貫き、論語の精神で商売を続けました。「論語と算盤」は、いいかえれば、「道徳と経済」です。
 『論語と算盤』のなかで、渋沢は「勉強」ということを強調します。しかし、わたしたちが使う意味では使っていません。訓読すれば「勉め強いる」ですから、「むりしてもやる」という意味であり、わたしたちは「勉強しなきゃ!」という感じで使っていますが・・・。
 渋沢は、豊臣秀吉の長所中の長所が「勉強」であると主張します。
 秀吉が織田信長の草履取りをしていたとき、冬であれば、信長の草履をふところに入れて温めていました。ここまで行き届くのは、よほどの「勉強」です。
 信長が朝早く外出しようとするとき、秀吉はいつでも最初に信長の声に応じました。非凡な「勉強家」です。
 本能寺の変のとき、岡山県から京都府まで、秀吉は軍を率いて13日で引き返しました。尋常ならざる「勉強家」であった証拠です。
 渋沢は、秀吉のこの「勉強」が、秀吉に天下統一をなさしめたのだと断言します。
 どうでしょうか。渋沢栄一の「勉強」のイメージがつかめたでしょうか。
 『論語と算盤』を読んで感じてもらうしかないのですが、わたしたちのそろばんに置き換えていえば、「自分でそろばんを弾いて勉強しろ」というのが渋沢の言いたかったことです。「自分でそろばんを弾かないようなやつは立派になれないぞ」というアドバイスです。渋沢栄一は銀行家でもありましたから、小さな単位の計算違いも見逃しません。そろばんを弾くことを大切にしないようなやつに、大きなことを成功させることはできない、というのが彼の考えです。
 明治4年、大蔵省に西洋式簿記を導入し、伝票によって金銭を出納することにしたのも渋沢栄一でした。伝票算は、全珠連の珠算検定では、3級以上の選択種目になっていますね。
 現在の日本に必要なのは、渋沢栄一のような人物です。
 残念ながら、自分でそろばんを弾いたことがないような人たちが、現在の日本を動かしています。
 論語と算盤が一致していれば、また、道徳と経済が一体化していれば、日本は、現在のような事態にはなっていないはずです。
 渋沢栄一の批判は、今日でも、そのまま続いています。そろばんを弾いている小学生のみなさんが大人になるころには、もっといい日本になっていることを願います。
 「自分でそろばんを弾くこと」は、渋沢栄一のいう「勉強」のスタートです。
 積極的に取り組みましょう。

学院長 筒井保明