そろばん名人のひみつ

 3+3を6と答えるとき、「3+3」に対して、反射的に「6」という言葉を答えることを暗記的算数といいます。暗記的算数に関して、わたしは、九九などを除いて否定的な意見をもっていますが、計算能力として、
1+1は、2
2+2は、4
3+3は、6
と反射的に覚えさせる教授法があることは事実です。暗記的算数のまま、小学生の算数をずっと先まで教えてしまう教室もあります。
 でも、これでいいのでしょうか?
 暗記的算数は、どこまでいっても言葉の操作です。言葉の操作ですから、自由自在に広がることができません。
 物理学者のアインシュタインは、「数学でも物理でもイメージを操作した」と自分でいっています。重要なのは、言語の操作ではなく、イメージの操作です。
 上の計算をイメージに置き換えますと、
●+●は、●●
●●+●●は、●●●●
●●●+●●●は、●●●●●●
になります。
 わたしは、イメージの操作こそ、小学生が学ぶべき方法だと考えています。
 そろばんは、そろばん上のイメージの操作です。数学史的にいっても、小学生にふさわしい学習です。
 ひとの思考のおおもとはイメージです。ずいぶん以前、「ひとは言葉で思考する。言葉がなければ思考できない」といわれていましたが、現在では「ひとはイメージで思考して、言葉で表現する」といわれます。
 たとえば、朝、コーヒーを入れようと考えます。お湯をわかし、コーヒー豆をひき、カップを用意し、ドリッパーをカップの上に置き、紙フィルターを開いてドリッパーに置き、ひいたコーヒーの粉を入れ、お湯を少し注ぎ、ちょっと蒸らしてから、さらにお湯を徐々に注ぎます。
 この行動に対して、最初は意識して言語化するかもしれませんが、なんどもコーヒーを入れて慣れてきますと、もう言語化することはありません。だまって、コーヒーを入れます。
 このコーヒーを入れるという行動を行わせているのは、イメージによる思考です。
 もしできあがったコーヒーの味がまずければ、コーヒー豆のひき具合を変えるとか、お湯の入れ方を変えるとか、言葉ではなく、イメージで思考します。コーヒーを上手に入れるためには、実践が必要なのであって、言葉ではありません。
 じつは、そろばん名人のひみつもおなじです。
 そろばんを習い始めのころは、意識して言葉にあらわすかもしれませんが、慣れてきたらイメージで計算して、最後の答えだけを言葉にあらわします。計算の途中段階をいちいち言葉になおしていたら、速い計算はできません。究極のそろばん名人は、無意識のなかでイメージを操作しているのです。
 暗記的算数の欠点はイメージをともなわないことにあるとわたしは考えています。
 そろばんを見て(イメージして)、明るい気持ちで、楽しくそろばんに取り組みましょう。

学院長 筒井保明