渋沢栄一にとっての算盤

 NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公は、埼玉県深谷市生まれの渋沢栄一です。ドラマではあまり前面に出てこないかもしれませんが、渋沢栄一といえば、片手に『論語』を持ち、もう片手に「算盤」を持っているというのが、生前の代表的なイメージです。
 渋沢栄一は、さまざまな文章のなかで「算盤」という言葉を使っています。彼は「算盤」という言葉に「経済」「理財」「商売」「利殖」「金儲け」など、多くの意味を持たせています。どの言葉にもいつも具体的な算盤のイメージがついていますから、わたしは、「渋沢栄一は、ほんとうに算盤が好きだったんだなあ」と感じて、ほほ笑んでしまいます。
 渋沢の著書をたくさん読んでも、算盤の練習の話は出てきません。彼の実家は、武州榛澤群血洗島村(現深谷市)で、藍染め用の藍の製造を営んでいました。彼は14歳で商売の道に入り、掛け売り先に代金の回収にいったり、近隣の村々に藍染めの原料を買い入れにいったりするようになりました。このときには、もう算盤がしっかりと身についていたはずです。
 70歳の祝いのとき、友人から来た賀状に、論語と算盤とシルクハットと朱鞘の刀剣が描かれていました。どれも渋沢栄一の人生を象徴する書物や道具です。この絵を見ても、彼にとっての算盤の重要さがわかるでしょう。
 渋沢栄一は、道具としての算盤をまちがいなく使いこなしていました。珠算式暗算をやっていたかどうかはわからないのですが、その経歴を見るかぎり、抜群に計算に強かったはずです。算盤を基礎として、「商売」「経済」の世界に人生を広げていったのです。
 渋沢栄一は、重要なことを語るとき、「経済」とか「理財」という言葉ではなく、ずばり「算盤」といいます。
 たとえば、「もし国民が算盤を忘れ、儒学の理屈ばかりにとらわれ、虚栄に赴いてしまったら、国の元気を失い、国の生産力を弱め、最悪の場合、国が滅亡してしまう」といい、「算盤は論語によってできている。論語はまた算盤によって本当の活動されるものである。(この部分は原文のまま)だから、論語と算盤はとても遠いけれど、とても近いものであるといつも論じているのだ」と主張しています。
 生徒のみなさんは、まだ論語を読んだことがないでしょう。みなさんとおなじくらいの年のとき、渋沢栄一少年は、論語を暗記しています。このとき、藍を商っていた父親から、そろばんを習い覚えたのではないか、とわたしは想像しています。
 それにしても、「算盤は論語によってできている」という言葉はすごいですね。渋沢栄一は、算盤を使う仕事において、彼が立ち上げた会社や銀行において、けっして道義を外れたことはしませんでした。
 経済と道徳のバランスをとりながら、92年の生涯を生き抜いたといっていいでしょう。
 渋沢栄一少年は、おどろくべき読書家でした。しかし、読書だけでは、後年の渋沢栄一にならなかったでしょう。彼を「近代日本の資本主義の親」にしたのは、少年時代の「算盤」です。
 渋沢栄一の伝記などを読んでから、「算盤」を見直してみると、みなさんも自分の算盤に愛情が湧くのではないでしょうか。

山手学院 学院長 筒井保明