まちがいや失敗が学習の始まりだ!

Mistakes and Failures are Beginnings of Learning.
 テストなんか、きらいだ。ドリルなんか、やりたくない。問題集なんか、見たくない。
 小学生でも、中学生でも、対象となる学習に対して「得意だ」「好きだ」という自覚を持っていない場合、だれでもテストやドリルや問題集のような「自分の力を試すもの」に強い抵抗感を感じるものだ。テストもドリルも問題集も「自分の力を確認するもの」と思えれば、さほど気にしなくて済むのだが、どうしても「私は試されるのだ」と身構えて、ネガティブな気持ちになってしまう。
 幼児教育では、「試してはいけない」「Don't test!」とよくいわれる。なぜなら、幼児は直情的な年齢であり、もし試されて、できなければ、二度と取り組まなくなってしまう恐れがあるからだ。
 ひとは、だれでも幼児から成長する。だから、試されて、できなければ、小学生も、中学生も、やっぱり、もうやりたくない。「テストなんか、ドリルなんか、問題集なんか、どこかに消えてしまえ!」ということになるだろう。
 でも、テスト嫌いの君も、ここで、ちょっと考えてみる必要がある。
 まず、中学受験・高校受験・大学受験でも、英語検定・漢字検定・数学検定などでも、社会に通用する様々な資格試験でも、たいてい「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」などが存在している。最初は、なんとなく「自分の力を試すもの」に感じられるかもしれないけれど、じつは、どれも「自分の力を確認するもの」でしかない。なぜなら、できても、できなくても、実際の合否判定には関係ないからだ。
 では、なぜ「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」などに取り組むのだろうか?
 君が達成したい目標に合っているものであれば、それに取り組むことによって、目標達成に必要な学習内容や学力が全体として見えてくるからだ。つまり、「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」は、君の学習を導くものになる。
 ちなみに「テスト」でも「ドリル」でも「問題集」でも、○×をつけて、○がついたものは、「確認」にすぎない。なぜなら、すでにできるものに対して、ひとの脳は、それを覚えようとしない。「できているね。確認終了。じゃあ、また」という程度の反応だ。
 ところが、×がついたものをしっかりと意識すると、ひとの脳は、「これは重要なことだ。おぼえなければいけない。しっかり学ぶぞ」と強く反応する。脳は、そもそも、失敗を起動力にして、学習するものだ。「試行錯誤」こそ、学習の本質なのだ。
 たとえば、ある生物が、捕食活動をするとき、いつも行動どおりに捕食できたとすれば、その生物はなにも学習しない。なぜなら、生きるために学習が必要ないからだ。ところが、ある生物が、捕食活動をしても、対象に出会わなかったとき、その生物は、生きるためにくりかえし試行錯誤する。これが学習行動だ。そして、対象に出会って、なんとか捕食できたとき、新しい学習を習得したことになる。
 ひとの学習は、この生物の原則とおなじである。正解を得るまで試行錯誤することが学習だ。
 ここまで解説すれば、テストやドリルや問題集で×がついたものこそ、重要であることがわかっただろう。一度、解いただけなら、たんなる「確認作業」でしかない。×がついたものを解き直して、できるようにすることが「学習」である。
 もっと気軽な気持ちで、「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」に取り組もう。そして、○がついたら「確認」であり、×がついたら、そこから本当の学習が始まるのだ。

山手学院 学院長 筒井 保明