自分を鍛える冬

Winter's strength

 冬は厳しい。春の温かさ、夏の暑さ、秋の涼しさ、そして、冬の寒さ。人にとって、寒さはもっとも生命に関わる。それでも、その冬をもっとも好んだ詩人がいた。冬の詩人といわれる高村光太郎(1883-1956)だ。国語の教科書に、「道程」や「ぼろぼろな駝鳥」や「レモン哀歌」が採用されているので、君たちも彼の詩を読んだことがあるだろう。とくに「レモン哀歌」は、世界の名詩に比肩する絶唱だと思う。
 詩集『道程』から「冬が来た」を引用してみよう。
「きっぱりと冬が来た/八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった/
きりきりともみ込むような冬が来た/人にいやがられる冬/
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た/
冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ/
しみ透れ、つきぬけ/火事を出せ、雪で埋めろ/刃物のような冬が来た」
 この詩を読んだ君は、高村光太郎の確固たる態度を発見するだろう。厳しい冬を描きながら、光太郎のポジティブな態度は揺るがない。彼は、冬を嫌がらない。彼は、冬から逃げない。冬の厳しさを力にして、冬の厳しさを自分のエネルギーに変える。
 君が受験生なら、「高村光太郎も受験生で、この詩の冬は、受験の比喩(隠喩)かも」と感じるかもしれない。詩は、読者の感性で読み解くものであるから、この詩の「冬」を「受験」や「試練」に置き換えて読むのもおもしろい。「わたしは受験を嫌がらない。わたしは受験から逃げない。受験の厳しさを力にして、受験の厳しさを自分のエネルギーに変える」と考えても、詩の趣旨から外れるわけではない。「冬が来た」は、そのままの冬、と読むこともできるし、比喩(隠喩)として、読むこともできる。
 高村光太郎の伝記を知ると、たとえば、「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/ああ、父よ/僕を一人立ちにさせた父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ/常に父の気魄を僕に充たせよ/この遠い道程のため」(初出より引用)の父は、実父の高村光雲(上野公園の西郷隆盛像や重要文化財「老猿」の作者)とも読めるし、もっと大きな存在の比喩(隠喩)として読むこともできる。
 ところで、態度には、目標(対象)がなければ、ポジティブも、ネガティブもない。目標が設定されて、はじめて態度が決まる。もし、君に目標がなければ、受験も試験もそれほど気にならないだろう。高村光太郎には、芸術という目標があったから、「冬(試練)が来た」となるのだ。目標に対して、「前向きに取り組む」なら、ポジティブな態度になり、取り組みを避けるなら、ネガティブな態度になる。
 君が自分の目標を実現したいなら、君はポジティブな態度を選ばなければならない。
 ポジティブな(積極的な)態度を選んで目標を実現するか、それともネガティブな(消極的な)態度を選んで目標をあきらめるか。
 さあ、冬が来た。自分の目標に全力で取り組もう!

山手学院 学院長 筒井 保明

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