Archive List for そろばん通信

そろばん通信|2020年12月号

そろばんが開く未来  渋沢栄一の『論語と算盤』の話を続けますと、渋沢のいう算盤は、「経済」という意味です。論語は、「道徳」という意味です。渋沢は、「論語と算盤を一致させる」という立場ですから、道徳の「徳」はそのまま「得」であり、経済は「徳=得」の道だ、ということです。  経済は「徳=得」の道、というようなことは解説書には書いてないかもしれませんが、渋沢栄一自身の本を読むかぎり、わたしはそう確信しています。  渋沢自身も「学者は誰も言わないけれど、論語を読むかぎり、孔子は理財に通じていたと、わたしは判断する」といっています。わたしも、渋沢の言葉から、「徳=得」の道を歩んだのが渋沢の人生であったと考えます。  2021年の大河ドラマの主人公は渋沢栄一だそうですから、「徳=得」の道、を念頭に置いて、ドラマを見るのもおもしろいでしょう。  さて、むずかしい理屈は抜きにして、渋沢栄一は、どんな少年だったでしょうか。  まず注目すべきなのは、たいへんな読書家であったこと。8歳から塾に通い、『論語』をはじめとして漢籍に親しみます。また、13歳のころ、道を歩きながら『絵本三国史』を読んでいて、溝の中に真っ逆さまに落ちました。  14歳になると、稼業の商売を始めました。紺屋(染め物屋)が染め物に使う藍玉などを商っていたようです。買い入れた藍を掛け売りしていましたから、掛け金の回収もあります。とうぜん、そろばんを弾きました。  17歳、奉行所から御用金400両の通達。このときの役人の態度に反骨心が沸き上がりました。  20歳、江戸末期の世相を見て、商人から武士になることを決意。  やがて渋沢栄一は、志士となり、縁あって一橋家に奉公し、四石二人扶持の武士となりました。  28歳、フランス・アメリカの視察に随行中、大政奉還が起こり、急遽、帰朝し、徳川家の財政を整理しました。  明治政府の建設とともに、太政官となり、大蔵省租税正に任ぜられ、明治4年、大蔵省に西洋式簿記を導入し、伝票によって金銭を出納しました。(伝票算は、全珠連の珠算検定では、3級以上の選択種目)  明治6年、自分の意見が採用されず、意見書を提出して、政府の職を辞しました。  これよりのち、あくまで民間の実業家として、活躍したのです。  かんたんに経歴をふりかえっても、論語と算盤が、渋沢栄一の根幹であることがわかりますね。  もし渋沢栄一に、論語だけで、算盤がなかったとしたら、商人になることも、徳川家の財政を整理することも、大蔵省租税正になることも、西洋式簿記を導入することも、銀行家になることも、なかったのではないでしょうか。  『論語』は渋沢栄一という人格をつくったといえます。おなじように、算盤は渋沢栄一の未来を開いたといえます。  渋沢栄一が生きている当時の評者は、「算盤を投じて剣をもった国士が、今度は剣を捨てて算盤を事とし、実業家たらんと志した」といいました。渋沢栄一ほど、褒められるばかりの大実業家はほかにはいないでしょう。  みなさんのそろばんは、みなさんの未来をどのように開くのでしょうか? 学院長 筒井保明 掛け売りとは? 注文を受けて商品を納品、後から代金が支払われる仕組み。江戸時代から現在まで利用されている文化です。

そろばん通信|2020年11月号

論語と算盤  9月に行われた自民党総裁選で、候補者の一人が「論語と算盤」という国家像を掲げました。埼玉県の偉人の一人である渋沢栄一の著書『論語と算盤』に想を得たものでしょう。  ずいぶんむかしの本ですが、渋沢栄一は2021年のNHK大河ドラマの主人公ですので、これからベストセラーとして復活するかもしれません。ただし、できれば、原文を読んでください。もともと口述筆記ですので、原文からは渋沢栄一の声が聞こえますが、現代語に書き直されたものからは聞こえません。  さて、『論語』は、中国の思想家である孔子の言行録です。渋沢栄一は、孔子の教えを人生の信条としていました。渋沢は、論語で一生を貫き、論語の精神で商売を続けました。「論語と算盤」は、いいかえれば、「道徳と経済」です。  『論語と算盤』のなかで、渋沢は「勉強」ということを強調します。しかし、わたしたちが使う意味では使っていません。訓読すれば「勉め強いる」ですから、「むりしてもやる」という意味であり、わたしたちは「勉強しなきゃ!」という感じで使っていますが・・・。  渋沢は、豊臣秀吉の長所中の長所が「勉強」であると主張します。  秀吉が織田信長の草履取りをしていたとき、冬であれば、信長の草履をふところに入れて温めていました。ここまで行き届くのは、よほどの「勉強」です。  信長が朝早く外出しようとするとき、秀吉はいつでも最初に信長の声に応じました。非凡な「勉強家」です。  本能寺の変のとき、岡山県から京都府まで、秀吉は軍を率いて13日で引き返しました。尋常ならざる「勉強家」であった証拠です。  渋沢は、秀吉のこの「勉強」が、秀吉に天下統一をなさしめたのだと断言します。  どうでしょうか。渋沢栄一の「勉強」のイメージがつかめたでしょうか。  『論語と算盤』を読んで感じてもらうしかないのですが、わたしたちのそろばんに置き換えていえば、「自分でそろばんを弾いて勉強しろ」というのが渋沢の言いたかったことです。「自分でそろばんを弾かないようなやつは立派になれないぞ」というアドバイスです。渋沢栄一は銀行家でもありましたから、小さな単位の計算違いも見逃しません。そろばんを弾くことを大切にしないようなやつに、大きなことを成功させることはできない、というのが彼の考えです。  明治4年、大蔵省に西洋式簿記を導入し、伝票によって金銭を出納することにしたのも渋沢栄一でした。伝票算は、全珠連の珠算検定では、3級以上の選択種目になっていますね。  現在の日本に必要なのは、渋沢栄一のような人物です。  残念ながら、自分でそろばんを弾いたことがないような人たちが、現在の日本を動かしています。  論語と算盤が一致していれば、また、道徳と経済が一体化していれば、日本は、現在のような事態にはなっていないはずです。  渋沢栄一の批判は、今日でも、そのまま続いています。そろばんを弾いている小学生のみなさんが大人になるころには、もっといい日本になっていることを願います。  「自分でそろばんを弾くこと」は、渋沢栄一のいう「勉強」のスタートです。  積極的に取り組みましょう。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2020年10月号

山手学院朝霞台校がそろばんクラスを開講します!  山手学院のそろばんクラスは、全国珠算教育連盟の加盟校です。  全国珠算教育連盟は、1953年の9月に誕生した、珠算教育にたずさわる連盟です。1956年に社団法人、2013年に公益社団法人の認定を受け、責任ある珠算教育団体として、社会に資する役割が大きくなっています。 さて、山手学院がそろばんクラスをつくるきっかけになったのは、山手学院の数学教師たちにそろばん習得者が多いこと、計算の速さと正確さを兼ね備える生徒たちにそろばん学習者が多いことに気がついたからでした。  そろばんクラスの開講を考えたとき、最初に相談したのは、東京都知事認可の珠算学校の先生でした。ですから、もしかしたら山手学院そろばんクラスは、東京珠算教育連盟(“脳”活性化集団トーシュレン)でスタートしていたかもしれません。  ところが、山手学院の教師たちに段級位の確認をしますと、ほとんど全国珠算教育連盟の段級位であり、さらに日本商工会議所の珠算能力検定の級位でした。また、保護者の方々におたずねしても、やはり全国珠算教育連盟の段級位と日商の検定級位でした。  以上のようなことを話しますと、東京の珠算学校の先生は、 「そろばんの団体はたくさんあるから、いっそ山手連盟でもつくったら」 と冗談をいわれましたが、山手学院の生徒たちが段級位に挑戦していくなら、保護者の方々が持っている全国珠算教育連盟の段級位から始めよう、ということで、全国珠算教育連盟に加盟したのです。  埼玉県ということもあるのでしょうが、いまのところ、みなさんがお持ちの珠算資格は、全国珠算教育連盟と日商の段級位がほとんどです。ですから、全国珠算教育連盟でスタートしたことは正しかったと考えています。  そろばんの効用については山手学院そろばんクラスのパンフレットにまとめて書いていますので、ここでは触れませんが、珠算式暗算に力点を置いていることは強調してもいいでしょう。  そろばんという道具自体が、(触覚、聴覚も使いますが)視覚的なものですから、そろばんの習得は、筆算とはまったくちがう計算能力です。筆算は言語的操作(数字も抽象化された言語)ですが、そろばんは、そろばんという道具を使っていても、イメージ操作です。また、イメージ操作だからこそ、そろばんという道具が目の前になくても、珠算式暗算ができるようになるわけです。  前頭前野でイメージを操作することは、脳の重要な能力を培います。 もしかしたら、小学校教育として、そろばんが正式に導入されなかった原因は、言語学習中心の小学校教育になじまないと判断されたのかもしれません。小学3・4年生の教科書で、そろばんが紹介されるものの、文化史としてあつかわれている程度です。  昭和の初めごろから「そろばんはいつ始めるのがいいか」という議論がくりかえされますが、「そろばんは、できるだけ低学年から始めるべきだ」という意見にわたしは賛成です。  筆算で数字(抽象的な言葉)を操作する練習にくらべて、そろばんの球(具体的なもの)でイメージを操作する練習は、低学年の生徒ほど、なじみやすく、得意になることができるからです。 学院長 筒井保明