Archive List for 学院長

学院長からのメッセージ 2020 October

 ミシガン大学のタド・A・ポルク博士の「習慣性の脳」(The Addictive Brain)の講義のなかで、 「一時的な違いと予想のまちがいが、人の学習の根本だ」という発言があった。  英語のままだと、temporary difference(一時的に異なること)とprediction error(予測が外れること)が学習の引き金になるという。  記憶の仕組みでも「人はまちがいをインデックス(索引・指標)にして記憶する」といわれる。そして、教育学でも「まちがいを排除しようとする教育はあやまりである」と多くの人たちが主張する。つまり、違いやまちがいが学習には不可欠なのだ。  にもかかわらず、教師をはじめとして、多くの大人たちは、子どもたちのまちがいを指摘して、まちがえないように指導する。じつは、ほんとうの学習は、自分で違いやまちがいに気づいて、それを自分で修正することなのだ。教育学者マリア・モンテッソーリは、「子どもたちが集中して取り組んでいるとき、子どもたちに余計な手を出すな。あなたたちの、良かれと思った手出しが、子どもたちの学習意欲を奪い、子どもたちの能力を奪うのだ」とまで主張した。  わたしは、学習だけでなく、スポーツや芸術などを通じても、「意識的にせよ、無意識的にせよ、人は未来を予想しながら生きている」と考えている。スポーツを例にとれば、みなさんも思い当たるだろう。バスケットボールであっても、サッカーであっても、野球であっても、すぐれた選手は、ボールや他の選手の動きを予想・予測しながら、プレイしているはずだ。「一時的な違い」に気づいて自分の動きを変えるだろうし、「予想のまちがい」を回復するためにみんなの動きを変えるだろう。そうしたプレイのなかで、さらにその競技に上達していく。  芸術を例にとれば、先を予想しているから、画家は筆が動くのであり、ピアニストは指が動くのだ。そして、描いてみて予想と違えば描きなおすだろうし、弾いてみてまちがえたら弾き方を工夫するだろう。もし先を予想していないなら、違いもまちがいも生じない。学ぶべきことも生まれない。  ポルク博士のいうとおり、学習の根本は、「一時的な違い」と「予想のまちがい」であろう。  こういったことがわかってくると、学び方や生き方も変わってくるにちがいない。  たとえば、人の話を聞くとき、「つぎは、なんていうだろう?」「つぎの言葉はなんだろう?」と少し先を予想しながら(意識しながら)聞いていると、話がしっかり聞き取れるし、話し手がいっていることもよくわかる。英語のリスニングであれば、「つぎはどんな音だろう?」「つぎはどんな単語だろう」と予想しながら聞いていると、つぎの音や単語が予想外れであっても、その違いに気づいて、よく聞き取れるようになる。本を読むときも、スポーツをするときも、楽器を弾くときも、つぎを予想・意識していると、言葉や動きや音が予想と違っても、そこから新しい学習が生まれるので、理解や上達が速くなるだろう。  では、なぜ目標をもっている(強く意識している)と、わたしたちの進歩が速くなるのだろうか?  目標とは、「未来に予想される自分」にほかならない。目標(予想)に向かう取り組みには、必然的に無数の「一時的な違い」や「予想のまちがい」が生まれる。目標に向かっているかぎり、どの違いも、どのまちがいも、すべて目標を達成するための学習になっている。だから、わたしたちは進歩するのだ。  君が予想する「未来の自分」に向かっていこう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2020 August

君の未来のために学ぼう!  Learn for your future! わたしたちの空間と時間は、宇宙の誕生とともに生まれた。  宇宙という言葉は、空間、時間、物質(情報)の総称だ。「宇」は「空間」、「宙」は「時間」を意味する。わたしたちは、宇宙(空間と時間)のなかで生きているし、宇宙が生んだ物質(情報)によってつくられている。つまり、わたしたち一人ひとりが宇宙のたまものだ。  先月、上記のようなことを書いたら、かしこい小学生の男の子に、 「ぼくは、情報ですか?」  と質問された。 「そうだよ。君は情報でできている。情報でできているし、新しい情報を取り込んでエネルギーにしている。いまの君の意識だって、記憶という情報でできている」 「じゃあ、学習は人をつくるってことですか?」 「そうだよ」    といったところで、お母さんが迎えに来られた。  時間があれば、太陽も、地球も、わたしたちの身体も意識も、みんな情報でできている、という話をしたかった。なぜなら、未来を担う子どもたちに必要な知識だからだ。  わたしたちの身体でいえば、100兆個といわれる細胞のなかにそれぞれ核があり、さらにそのなかにデオキシリボ核酸(DNA)があり、DNAには約10万個の遺伝情報(遺伝子)が書き込まれている。その情報(ヒトゲノム)にしたがって、わたしたちの身体を構成しているたんぱく質がつくられる。脳になったり、心臓になったり、肝臓になったり、胃になったり…  では、それぞれのたんぱく質はなにでできているか? アミノ酸だ。そして、各遺伝子の情報に基づくアミノ酸の結合順序がそれぞれのたんぱく質をつくっている。  どこまでいっても、情報なのである。  だから、遺伝子組み換え技術は遺伝子の情報の書き換えのことであるし、毒物や化学物質などで遺伝子が傷つくと、正しい情報が新しく生まれる細胞に伝わらずに異変が起き、病気になったりする。  では、学習によって、電気信号・化学信号として脳に伝わって蓄えられた情報はどうなるのだろうか?  人の意識は、記憶された情報でできている。  「自分」という意識は、そのとき、意識された情報のまとまりである。  たとえば、困難なときでも、君が「できる」という記憶をたくさん持っていれば、君は「できる自分」を意識できるだろう。もし君の記憶のなかに「できない」という記憶しかなかったとしたら、君は「できない自分」しか意識できない。君を決定しているのは、君の記憶なのだ。  だから、小学生・中学生のときに、たくさんの「できる」を積み重ねておかなければならない。たくさんの「できる」の記憶があれば、君はいつでも「できる自分」を意識できるし、目標に向かって積極的に取り組むことができる。  君がポジティブであるかネガティブであるかは、これまでの君の経験(経験も学習)がもとになっている。  でも、過去は過去でしかない。目標は未来である。いま、君が学ぶのは、君の未来のためだ。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2020 July

目標にむかうと、君の時間が始まる。 Your time will begin for your goals.  時間というものは不思議だ。 国語の時間に、対義語として、空間⇔時間と教わるけれど、相対性理論によれば、空間と時間は本質的におなじものだ。  「空間は前後左右上下へと移動できるが、時間は過去から未来へと一方向にしか移動できない」という「時間の矢」の問題があるけれど、『方丈記』(鴨長明)の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし(川の流れは途絶えないが、もうもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は、消えたり結んだりするが、そのままであることはない)」のとおりで、時間とともに空間も変わる。時間も空間もこの一瞬に存在するだけである。  時間と空間については、古代から現代まで、さまざまな考察や議論や説明が行われている。 たとえば、古代インカ帝国の人びとは、時間と空間をpachaの一語で表していた。つまり、時空というとらえ方である。まるでアインシュタインのようだ。  ギリシャの哲学者たちも、ローマの宗教家たちも、ムスリムの科学者たちも、時間と空間について深く考察した。ドイツの哲学者カントは、時間と空間をアプリオリ(先天的)な概念ととらえたけれど、現代の考え方ではアプリオリなものは存在しない。ライプニッツとニュートンは、空間と時間が絶対的なものであるか関係的なものであるかで議論した。そして、アインシュタインは、特殊相対性理論によって、空間と時間が本質的におなじものであると説いた。  もし興味がわいたならば、できるだけ新しい解説書を読んでほしい。新しい考え方から古い考え方にさかのぼるほうが、わかりやすいからだ。  さて、わたしたちの空間と時間は、宇宙の誕生とともに生まれた。  宇宙という言葉は、空間、時間、物質(情報)の総称だ。  漢字の語義でいえば、「宇」は、「上下四方、空間、世界」を意味する。「宙」は、「古往今来、時間」を意味する。  「宇宙」という漢字自体が「空間と時間」で一つなのである。古代インカ帝国の人びとが空間と時間を一語でpachaとしたのとおなじ発想であろう。  わたしたちは、宇宙(空間と時間)のなかで生きているし、宇宙が生んだ物質(情報)によってつくられている。つまり、わたしたち一人ひとりが宇宙のたまものなのだ。  あまり大きな話ばかりしていると、地球に戻れなくなるので、ここで時計の時間を見てみよう。  地球上の時間はあっという間に過ぎていく。  学習の時間も、宿題の時間も、受験勉強の時間も、いつのまにか過ぎ去ってしまう。  なんとなく毎日を過ごしていると、砂時計の砂のように時間はサラサラと流れてしまう。  ところが、君が、志望校合格などの目標を目指したとき、君は、時間を意識するにちがいない。受験日がはっきりしていれば、受験日までの時間の長さを意識に上げるだろう。現在の自分と未来の自分のあいだの時間が、じつは、君の時間である。  時間をムダにしたくないのなら、自分の目標を意識することが必要だ。目標を意識すれば、目標を達成するために時間を使いたくなる。そして、実際に目標に向かったとき、君の時間が始まるのだ。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 June

世界は人の努力でよりよくなる。 The world can be made better by human effort.  埼玉県の山林を歩いていると、杉と松の林が多いことに気づくだろう。針葉樹で圧倒的に多いのが杉で、その次が扁柏(ヒノキ)、赤松と続く。  むかしの日本の造林方法は単純で、造林しようとする場所の草を刈りはらって、杉やヒノキを植えていくというやり方であった。しかし、この方法がどこにでも通用するわけではなかった。  埼玉県久喜市で生まれた本多静六(1866-1952)少年は、窮乏生活のなか、農繁期は農作業をし、農閑期は上京して書生として勉学に励んだ。  1884年に東京大学(当時は東京山林学校)に入学し、首席で卒業。  林学を学ぶためにドイツに留学し、ミュンヘン大学で博士の学位を取得して帰国。  東京大学の教授となり、造園家として、東京都の日比谷公園や明治神宮、埼玉県の羊山公園や大宮公園や森林公園などの設計や改良に携わった。  ちなみに埼玉県比企郡嵐山町の嵐山渓谷を中心に「武蔵嵐山」と命名したのも本多静六である。  さて、杉がなかなか育たない場所で、どうやって杉を育てるか。  本多静六は、保護樹という方法をとった。  まず松林を仕立てて、そのあいだに杉を植え込んでいく方法である。つまり、松が杉を保護するのだ。松は育ちの早い木であり、寒冷地でなければ、どこでも育つ。松は保護樹として最適だ。  埼玉県は、海のない、山の多い県なので、ほとんどが赤松。他県の海岸で見かける枝ぶりのいい松は黒松である。  明治維新以降、日本人は、建築土木用として、木繊維用として、薪炭用として、むやみやたらに森林を切り倒してしまった。その結果が、全国各地で起きた洪水の被害であった。  よく茂っている森林であれば、降った雨の四分の一は、枝や葉の上にたまって、その後、次第に蒸発していく。残りの四分の三は、雨が葉から枝、枝から幹に流れて、徐々に地面に落ち、そこにある落ち葉に吸い取られる。本多博士の実験によると、松の落ち葉は、落ち葉の重さの五倍分の水を吸収して保つことができる。松以外の雑木や苔類は七倍~十倍の雨水を貯めることができる。よく茂っている森林があれば、洪水はかんたんには起きない。  森林の役割には、水の貯水や洪水の予防ばかりでなく、気候の調節、水源の涵養、雪崩や津波の防止など、さまざまな働きがある。  この森林を守るために、明治時代の末期から、造林や植樹に力が入れられた。  たとえば、明治36年から愛知県北設楽郡が始めた鴨山の造林は、5年間で、およそ69キロ平方メートルの面積に対して、杉220,883本、ヒノキ80,947本を植え付けている。  花粉症に苦しむ人たちにとっては杉やヒノキは厄介な存在であるかもしれないが、日本の歴史を振り返ると、人々の造林の努力によって杉やヒノキがここまで増えたのだ。  わたしたちが山林を訪ねて、杉やヒノキや松が多いことに気づいたら、その場所は人の手が育てた場所である。けっして自然にできているわけではない。  君たちの身の回りのほとんどのものに人が関わっている。世界は人の努力でよりよくなっている。そして、世界は、いつでも君の努力を待っているのだ。  さあ、しっかり学んでいこう! 学院長 筒井保明

学校が休みのあいだに小学生・中学生・受験生のみなさんがやるべきこと

学校が休みのあいだ、君たちがやること (教科書の全体をおおまかにつかんでおくこと) まず意志を持つこと  新型コロナウイルスが広がることによって、世界中が混乱しています。  学校の休校や図書館の休館が続き、もしかしたら君たちの学習も止まっているかもしれません。テレビやゲームやYouTubeの動画などにたくさんの時間を費やしていませんか? 残念ながら、どれも君たちにとっては気楽に見たリ、プレイしたりできる、君たちが受け身になるメディアですから、君たちの学力や能力をほとんど高めることはありません。  学習でも、スポーツでも、芸術でも、取り組むためには自分の意志が必要です。  Where there's a will there's a way. (意志があるところに、道・方法がある)という英語のことわざのとおりで、「やりたい、やるぞ」という意志があるから、進む道があり、達成する方法があるわけです。  君たちの学力や能力を高めるものは、最初に君たちの意志を求めます。  学習でも、スポーツでも、芸術でも、君たちがすすんで能動的に取り組むとき、君たちの学力や能力は高まるのです。 キーワードは、「自分の声」と「全体」  さて、何人かの小学生や中学生から、「教科書が手に入りました。どうしたらいいでしょうか?」という質問がありました。  図書館が閉まっていて本が借りられない状態ですから、目の前の教科書を使う(過年度の教科書でも、新年度の教科書でもかまいません)、とっておきの学習方法を教えましょう。  この学習方法のキーワードは、「自分の声」と「全体」。  まず、人は、音声言語として、言語を身につけます。それも、聞くだけでは足りず、自分の声を発し、自分の声を自分で調整しながら、その言葉を自分のものにします。  ですから、国語が苦手な原因も、英語が苦手な原因も、専門的な用語が多い社会科や理科が苦手な原因も、多くの場合、自分の声を使用していないところにあるのです。(思い当たりませんか?)数学も言語ですから、もしかしたら数学が苦手な遠い原因も、おなじかもしれません。  そこで、自分の声のトレーニングとして、国語でも、社会でも、理科でも、英語でも、教科書を音読します。学ぼうと意識する必要はなく、楽しい読み物を軽く読むような感じで、教科書全体を最後までとおして音読してみましょう。  気をつけなければいけないのは、読めない文字(漢字でも英語でも専門用語でも)は、調べたり、聞いたりして、正しく読めるようにすること! まちがえておぼえてしまうと、あとで直すのに苦労します。  かつて日本の知性といわれた学者がベルリンの壁の崩壊を解説するとき、「本質的に、にんげんは、キジャクですからね」とくりかえしたことがあり、みんなが首をひねりました。横文字をまじえるクセのある学者でしたので、途中で「フラジャイル」と口走ったとき、「ああ、キジャクとは、脆弱(ぜいじゃく)のことか」と、はじめて合点がいきました。名前は伏せますが、日本を代表する知性でも、まちがえておぼえてしまうと、なかなか訂正できないものなのです。  まちがえておぼえないように気をつけながら、まず、音声として言葉をおぼえるようにしてください。もちろん、音声だけでは試験に通用しませんから、音声としておぼえた言葉や用語や英単語を、つぎは、書けるようにします。  「読めることが先。書けることが後」です。これは小学生でも中学生でも共通です。 先に全体に目をとおしておくと、きちんと理解することができる  つぎに、教科書を最後まで読んでしまうことです。  漢字や用語や英単語をまちがえずに読めるなら、おぼえようと意識しないで、国語や社会の教科書、また英語の教科書をまるまる音読・黙読してしまいましょう。学校が始まって、それぞれの教科を学習するとき、まちがいなく理解が速くなります。音読ですと、たしかに時間はかかりますが、自分の声を発して読んでおくだけでも、学校が始まったとき、その効果を実感することができるでしょう。先生の説明を自分の言葉として聞くことができるようになっているからです。(一冊全部に自信がない人は、とりあえず三分の一でも)  じつは、教科書をとおして読んでおくことには、もっと重要な効果があります。  むかしの考え方のまま、学習はレンガを積み上げるように「部分の積み上げ」であると思っている先生が多いのですが、これはまちがいです。たとえば、レンガで教会を作るとして、予想される教会の全体像が見えていないとしたら、はたして教会はできあがるでしょうか。  また、哲学であれば、アリストテレスでも、ニーチェでも、西田幾多郎でも、まず、だれかの一冊を最後まで読んで、おぼろげに全体像をつかみます。そうしてから、何度もくりかえして読みますと、書かれている内容が理解できるようになります。なぜなら、哲学者の頭のなかには思考の全体像(イメージ)があって、その全体像に対して思考(文)を組み上げていくからです。つまり、全体と部分が双方向に働きながら世界ができあがっていますので、一回、読んだだけではわからないのです。  よくできた教科書も、おなじです。教科書の編集作業は、その教科の全体像が先にあり、それぞれのページを集めて一冊の教科書に編集していきます。  ですから、全体をおおざっぱにつかんでから、こまかく学習していくほうが効果的なのです。  そもそも教科書はくりかえして読むように編集されています。参考書というのは、教科書を読むための参考ですから、「教科書をくりかえして読むこと」が先であり、基本です。 1学期に大きな飛躍をしよう!  「自分の声」と「全体」の意義がわかりましたか?  音読も、黙読も、教科書を読みとおすことも、君たちの意志がなければ、1ページもすすみません。ここに書いたことは、学校が始まって、実際の学習に取り組む前の、重要な下準備です。ぜひ、やってみてください。  ところで、もっと重要なことがあります。  受験生であれば志望校を持つことかもしれませんが、学習にも、スポーツにも、芸術にも、自分の目標が必要です。  君たちは、目標にむかって成長します。  目標がなければ、人は前に進むことができません。  もちろん、君たちの成長にしたがって目標も変化しますから、いまの自分が心から実現したいことであれば、どんなものでもいいのです。  君たちの意志があるところに、君たちが進む道があり、目標を達成する方法があります。  君たちの飛躍を期待しています。

学院長からのメッセージ 2020 May

情緒の知恵をきたえよう! Emotional Intelligence Quotient  人は、パニックになったとき、思考力を失ってしまう。新コロナウイルスが引き起こしたパニックは、多くの人びとから、容易に考える力を奪っていった。その証拠の一つとして、しばらくのあいだ、消毒液やマスク、トイレットペーパーやティッシュペーパー、さらに非常用になる食品までが、わたしたちの前から消えた。自分や身内のことで心が占められたとき、人の行動は独善的になる。不必要な買い占めをした人びとは、視野がとても狭くなっていた。  困難なときこそ、知恵が必要だ。(「知恵」という漢字は「知識」knowledgeのほうに意味が近いので、できれば旧漢字で「智慧」wisdomと書きたいが、常用外なので「知恵」)  この場合の知恵は、IQ(知能指数Intelligence Quotient)ではなく、EQ(心の知能指数Emotional Intelligence Quotient)のことだ。  福沢諭吉をはじめとして、明治時代の日本人の造語力はとても高かったけれど、現代の日本人の造語力は高くない。ちなみに、中国語でIQは、智商、智力商数。EQは、情商、情緒智慧、情緒智商。  もし明治時代の日本人が訳語をつくったとすれば、IQは、智力商数、EQは、情緒智力商数、になったのではなかろうか。明治人にとって、「智力」と「情緒智力」のちがいは、人間的価値の重みを決める決定的なちがいであった。福沢諭吉にも、勝海舟にも、西郷隆盛にも、高橋是清にも、「情緒智力」があった。かれらの言動や著作物に触れると、かれらのEQの高さがわかる。  「智力」だけでは、「学習能力」にとどまってしまう。  「情緒」だけでは、「感応能力」にとどまってしまう。  「情緒智力」を発揮することによって、周りの人たちに影響を与えるような大きな仕事ができるのだ。  「情緒」は、やまとことばになおせば、「もののあわれ」である。  平安時代の昔から、「もののあわれ」が人の心の根本になければ、その人に生きがいはない。  生きがいは、人と人との関わりのなかで生まれるものである。だから、人のために涙を流せないような人や、もののあわれを感じることができない人に、生きがいはない。自分のことしか考えない人は、一人ぼっちで砂漠を旅するような人生を送ることになるだろう。  困ったときはお互い様だ。  世の中の助け合いや共生は、IQではできない。世の中の問題を解決するためにはEQが必要なのだ。  では、情緒智力(EQ)はどうやって高めたらいいのだろうか?  小学生も、中学生も、「物語」をたくさん読んで、積極的に世界に関わっていくことである。もともと「物語」を読むことの効用の大きな一つが「情緒の感応能力」を高めることである。  原始的な感情をつかさどっているのは脳の海馬に隣接する偏桃体で、ヘビを見てギャッと飛びのくのも、火事を見て慌てふためくのも、攻撃に対して怒りを燃え上がらせるのも、いらいらしたり、くよくよしたりするのも、偏桃体の働きだ。  ところが、「物語」を読んで感動しているときの情動は、偏桃体の働きではない。脳の前頭前野の眼窩前頭皮質が働いて、他者の心を理解したり、社会的な情動を起こしたりしているのだ。つまり、情緒智力が働いている。  「情緒」や「もののあわれ」は、原始的な感情ではなく、人間を人間らしくしている感情だ。  たくさんの物語を読んで、たくさんのことを体験して、未来をひらく情緒の知恵を身につけよう! 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 April

挑戦と失敗 Trial and Error  プログラミング教育が世界中で始まっている。日本でも遅ればせながら始まるけれど、うまくいくだろうか。  プログラミング教育に必要なのは、まず生徒一人ひとりの想像であるから、あらかじめ用意された答えにたどり着くような教え方では、生徒たちの能力は育たない。プログラミングの学習は、基本として自立的な学習であり、トライアルとエラーをくりかえしながら、自分で会得していくものだ。  小学校の教科でいえば、図画工作のデジタル版であるといってもいい。  この大前提に立って、授業が行われるならば、プログラミング教育はうまくいくだろう。  プログラミングは、21 世紀型スキルとして、生きていくために必要な教養であることはまちがいない。  文部科学省の「小学校プログラミング教育の手引き」の言葉を使えば、「論理的思考力」「創造性」「問題解決能力」「プログラミング的思考」を育成することがプログラミング教育のねらいであるけれど、もっ と率直に、「プロジェクトprojects、情熱passion、共有peers、プレイplay を通して、創造力creativityを養うこと」というMIT(マサチューセッツ工科大学)でスクラッチ開発グループを率いるミッチェル・レズニック博士の表現のほうが、プログラミング教育にはぴったりくる。  プログラミング教育の要は、創造力なのだ。なぜなら、想像を実際に働く形にするのが創造力であり、プログラミングは創造の方法であるからだ。  レズニック博士は、論理的思考とはいわず、創造的思考(creative thinking)という。その創造的思考を培う子ども用のアプリケーションやハイテク玩具がほとんどなかったので、ビジュアルプログラミング(スクラッチ)を開発したのだ。  文部科学省がプログラミング教育に採用しているのも、このビジュアルプログラミングである。また、手引きを読んでいてほっとしたのは、「試行錯誤」という言葉をくりかえして使っていたことである。日本の学校教育に不足していたのが、この「試行錯誤」であり、「まちがえないこと」を重視して、「まちがえること」を大切にしてこなかったことが、わたしたちの創造力を減退させたのかもしれない。  人は、記憶の原理として、まちがいを手引き(インデックス)にして学習するのであるから、「試行錯誤」の経験は学習そのものである。プログラミング学習では、自分が想像したプロジェクトを実現するために、なんども試行錯誤をくりかえすだろう。そして、その試行錯誤の過程で、論理を組み立てること、問題を解決すること、予期した結果を出すことなど、プログラミング教育のねらいが達成されるのである。  ところで、レズニック博士のスクラッチ開発グループの名前は「ライフロング・キンダーガルテン」(生涯続く幼稚園)という。名前の由来は、「急変する社会を生きぬくあらゆる年代の人々にとって、創造的能力を広げるためには、幼稚園スタイルの学習が求められる」ということだ。  幼稚園の開祖は、ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベル(1782-1852)。レズニック博士の使う「創造力」という言葉は、フレーベルの教育方法の要でもある。フレーベルは、教室方式(講義方式)でなく、環境に働きかける遊びや作業を重視した。  プログラミング教育は、教室方式ではむずかしいかもしれない。スタートは一人ひとりの想像であり、その想像を一人ひとりが試行錯誤しながらプログラムするからだ。  創造力(モノをつくる力)は、挑戦と失敗によって、養われる。「試行錯誤」を恐れてはいけない! ※図は、Lifelong Kindergarten by Mitchel Resnick (The MIT Press 2017) より。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 March

挑戦と失敗 Trial and Error  プログラミング教育が世界中で始まっている。日本でも遅ればせながら始まるけれど、うまくいくだろうか。  プログラミング教育に必要なのは、まず生徒一人ひとりの想像であるから、あらかじめ用意された答えにたどり着くような教え方では、生徒たちの能力は育たない。プログラミングの学習は、基本として自立的な学習であり、トライアルとエラーをくりかえしながら、自分で会得していくものだ。  小学校の教科でいえば、図画工作のデジタル版であるといってもいい。  この大前提に立って、授業が行われるならば、プログラミング教育はうまくいくだろう。  プログラミングは、21世紀型スキルとして、生きていくために必要な教養であることはまちがいない。  文部科学省の「小学校プログラミング教育の手引き」の言葉を使えば、「論理的思考力」「創造性」「問題解決能力」「プログラミング的思考」を育成することがプログラミング教育のねらいであるけれど、もっと率直に、「プロジェクトprojects、情熱passion、共有peers、プレイplayを通して、創造力creativityを養うこと」というMIT(マサチューセッツ工科大学)でスクラッチ開発グループを率いるミッチェル・レズニック博士の表現のほうが、プログラミング教育にはぴったりくる。  プログラミング教育の要は、創造力なのだ。なぜなら、想像を実際に働く形にするのが創造力であり、プログラミングは創造の方法であるからだ。  レズニック博士は、論理的思考とはいわず、創造的思考(creative thinking)という。その創造的思考を培う子ども用のアプリケーションやハイテク玩具がほとんどなかったので、ビジュアルプログラミング(スクラッチ)を開発したのだ。  文部科学省がプログラミング教育に採用しているのも、このビジュアルプログラミングである。また、手引きを読んでいてほっとしたのは、「試行錯誤」という言葉をくりかえして使っていたことである。日本の学校教育に不足していたのが、この「試行錯誤」であり、「まちがえないこと」を重視して、「まちがえること」を大切にしてこなかったことが、わたしたちの創造力を減退させたのかもしれない。  人は、記憶の原理として、まちがいを手引き(インデックス)にして学習するのであるから、「試行錯誤」の経験は学習そのものである。プログラミング学習では、自分が想像したプロジェクトを実現するために、なんども試行錯誤をくりかえすだろう。そして、その試行錯誤の過程で、論理を組み立てること、問題を解決すること、予期した結果を出すことなど、プログラミング教育のねらいが達成されるのである。  ところで、レズニック博士のスクラッチ開発グループの名前は「ライフロング・キンダーガルテン」(生涯続く幼稚園)という。名前の由来は、「急変する社会を生きぬくあらゆる年代の人々にとって、創造的能力を広げるためには、幼稚園スタイルの学習が求められる」ということだ。  幼稚園の開祖は、ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベル(1782-1852)。レズニック博士の使う「創造力」という言葉は、フレーベルの教育方法の要でもある。フレーベルは、教室方式(講義方式)でなく、環境に働きかける遊びや作業を重視した。  プログラミング教育は、教室方式ではむずかしいかもしれない。スタートは一人ひとりの想像であり、その想像を一人ひとりが試行錯誤しながらプログラムするからだ。  創造力(モノをつくる力)は、挑戦と失敗によって、養われる。「試行錯誤」を恐れてはいけない! ※図は、Lifelong Kindergarten by Mitchel Resnick (The MIT Press 2017)より。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 February

もっとすごい自分になる! Be Your Better Self.  目の前に自信を失っている生徒がいたら、それがだれであっても、どんな状況であっても、無条件で「君はできるのだから、やってみよう」と励ます。「自分はできる」と信じれば、だれでもできるようになるからだ。  もちろん、効率的な学習習慣や効果的な学習方法など、具体的なことも教える。  けれども、「自分はできない」と思い込んでいるとき、どんな方法も役に立たない。思い込みの極端な例が強迫観念で、やる前から「できないとばかにされる。できないと叱られる」と恐れや不安を感じておびえてしまう。このとき、脳の偏桃体がネガティブな感情を増幅して、情報処理をつかさどる脳の海馬の働きを妨げるので、けっきょく学習することができない。  たとえば、アルプスの少女ハイジは、文字が読めなかった。令嬢クララの家庭教師が必死に学習を詰め込もうとしても、ハイジは学習を吸収することができなかった。なぜなら、羊飼いのペーターに「文字を読むことはできないよ」と何度も何度もいわれたので、「文字は読めない」という思い込みが根付いてしまっていたからだ。家庭教師も「この子には無理だ」と思いながら教えていた。  家庭教師から「ハイジは学ぶことができない子どもだ」と報告されたクララの祖母は、「ハイジはかならず読めるようになる」と反論した。  クララの祖母は、笑顔でハイジに近づくと、アルプスに関する絵本を手渡して、まず「読みたい」という気持ちをハイジから引き出した。そして、「読むことはできる」という確信をハイジに与えてから、読むことを教えた。すると、ハイジは、みるみるうちに本が読めるようになった。  ハイジの学習を妨げていた思い込みをメンタル・ブロックという。「自分はできない」という思い込みがメンタル・ブロックだ。  学習にかぎらず、スポーツでも、芸術でも、「自分はできない」というメンタル・ブロックが最大の障害物である。「できないこと」は、だれでもいやになる。いやになったら、やりたくなくなる。やりたくないことは、なかなかできるようにならない。遅かれ早かれ、多くの人たちが「できないこと」から逃げ出してしまう。  クララの祖母がすばらしい教育者であることは、最初に「読みたい」という気持ちをハイジから引き出したことでわかる。だれでも、やりたいことは、進んでやるだろう。この自発性が、学習のカギだ。  つぎに、「かならずできる」という確信を与えたことも重要だ。教師が「この生徒はかならずできる」という確信を持っていれば、目の前の生徒も「わたしはできる」と自然に確信できる。これは非言語的な要素なので、口先で「君はできるよ」といってもあまり効果はない。クララの家庭教師は「ハイジには無理だ」と思って教えているから、ハイジはできるようにならなかった。クララの祖母は「ハイジはできる」と確信しているから、ハイジはできるようになった。ハイジがメンタル・ブロックを外すことができたのは、クララの祖母の確信度のおかげである。  わたしたちは、君たち一人ひとりがかならずできるようになると確信している。  「もっとすごい自分になる!」(Be your better self.)というのは、新年度のテーマの一つだ。君たちは成長過程にあるので、君たちのベストはまだまだ未知である。現在の君より、未来の君はもっとすごい君であるはずだ。  「できる」という確信をもって、しっかり取り組んでいこう。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 January

自分を尊重しよう! Raise Your Self-Esteem!  教育の世界に、セルフ・エスティームという言葉がある。「自尊心」という訳語が当てられるけれど、「尊」という文字は正確な意味をあらわしていない。セルフ・エスティームとは「自分の価値を見積もる」ということだから、自分の価値を高く見積もるか、自分の価値を低く見積もるかで、言葉の意味が大きく変わってしまう。君たちに必要なのは、もちろん、高いセルフ・エスティーム(自尊心)である。  人生のさまざまな局面で、君たちは心ない言葉に傷つけられるだろう。  「こんなこともできないのか」  「ひどい成績だ」  「君の力では無理だ」  こういった否定的な言葉は、君たちに跳ね返す力がないと、君たちの自己イメージをどんどん低いものにしてしまう。やがて、君たちは、価値の低い自分になってしまうのだ。いいにくいことだけれど、「自分はだめだ」と思い込んだ小学生や中学生が、相対的によくない小学生や中学生になって周囲を困らせるようになる。本当は、だめな小学生や中学生など存在しないのに!  まず、大前提としていえるのは、君たちの存在そのものが絶対的な価値であるということだ。お釈迦様なら、「天上天下唯我独尊」(自分には絶対的な価値がある)というだろう。  そもそも世界と君たちは不可分であるから、君たちの価値が上がれば、その分、世界はよくなるだろうし、君たちの価値が下がれば、その分、世界はわるくなるだろう。「私たちが世界」We are the worldなのだ。  さて、君たちの存在が絶対的な価値である以上、誰かが発する、君たちを低める言葉を聞く必要はまったくない。君たち自身の考えで、君たち自身の価値を見積もればいい。  「ぼくにはかけがえのない高い価値がある」  「わたしにはかけがえのない高い価値がある」  お釈迦様のように、自分を高く見積もればいい。  そして、おなじように、ほかの人たちの価値をきちんと認める。  そうすると、自然に否定的な言葉が出なくなる。なぜなら、ほかの人たちを低めるような発言は、必ず自分に跳ね返って自分自身を低めてしまうからだ。  人には同調能力があるので、君たちが高いセルフ・エスティームを維持していると、友だちも高いセルフ・エスティームを持つようになる。受験やスポーツや芸術など、さまざまな分野で高い実績を上げる学校やチームは、全体として、チームとして、環境として、セルフ・エスティームが高い。  もし「わたしたちはだめな生徒だ」「わたしたちには無理だ」というような低いセルフ・エスティームの人たちに出会ったら、君たちは自分を守らなければならない。残念ながら、低いセルフ・エスティームの人たちには、君たちのセルフ・エスティームを低める危険がある。  そんなときは、いつでも自分の目標をしっかりと確認することだ。  目標を達成している自己イメージを思い描き、自分自身を強く信じるかぎり、君たちは負けない。  君たちには絶対的な価値がある。  自分を信じて、勇気をもって目標に向かっていこう。 学院長 筒井保明