Archive List for 学院長

学院長からのメッセージ 2022 May

声を出して、学ぼう! Learn Out Loud!  ひとは、自分の声で学ぶ。幼児は、母親をはじめとして、身近な人たちの声や口の形をまねて、自分の声を出すことによって言葉を身につける。そうして身につけた言葉のことを「母語」という。言葉の最初は、文字ではなく、音声なのだ。  自然の流れに沿えば、日本語も、英語も、中国語も、ロシア語も、どんな言語も、身につける過程はおなじ。聞く(耳・リスニング)→話す(口・スピーキング)→読む(目・リーディング)→書く(手・ライティング)の順。英語学習では、四技能というけれど、「聞く」「話す」が先であり、「読む」「書く」が後である。  ところが、日本の学習者の多くが、「聞く」「話す」をおざなりにしてしまう。これまでの学校の英語学習も、「読む」「書く」に重点が置かれていた。だから、どうしても「聞く」「話す」が苦手になる。  そもそも、ほとんどの学習の基本が「聞く」「話す」なのだが、おそらく紙のテストのために、英語だけでなく、どの教科も「読む」「書く」に力が注がれてしまう。  でも、よく考えてみれば、記録という手段が乏しかった時代、わたしたちの先祖たちは、「口承」といって、「聞く」「覚える」「話す」で、説話や文化を語り継いできた。孔子の言行を語り継いでまとめたものが『論語』になり、イエスの言行を語り継いでまとめたものが『福音書』になり、ゴータマ・シッダルタの言行を語り継いでまとめたものが数多くの仏教経典になった。ほとんどの仏典の冒頭が「如是我聞」(わたしは、このように聞いています)で始まることからも、「聞く」ことが最初であることがわかるだろう。  まず、しっかりと聞くこと! これが君たちの学習の第一歩である。  つぎは「話す」であるが、「話す」ためには前段階として「聞いたことをまねる」練習が必要になる。幼児を観察すればわかるように、ひとには「聞いたことをまねる」能力が備わっている。だからこそ、幼児は身近な人の発語をまねながら、言葉の数を増やしていくことができる。言葉は、自分の声を通すことによって身につくものだから、新しい言葉は、国語であっても、英語であっても、社会や理科の用語であっても、しっかりと自分の声で発語することが必要だ。一度も自分の声で発語したことのない言葉は、なかなか使える言葉にならない。  もし君が国語や英語を苦手にしているなら、君は自分の声を出して学習しなければならない。  小学生にとって、「読み聞かせ」「音読」「読書」は、学習のかなめになる。中学生であっても、「音読」は有効な学習法だ。脳の聴覚野(耳)や視覚野(目)に入った言語は、パッシブな情報として、ひとまず脳のウェルニッケ野に集められる。この情報を表現するためには、ウェルニッケ野の情報を脳のブローカ野に移動し、脳の感覚野・運動野を使い、口や舌を動かして、アクティブな情報として、発語する必要がある。「音読」とは、この一連の操作だ。  さらに、音読するためには、いま、声に出している文字や言葉よりも、その先にある文字や言葉を意識しなければならない。つまり、予測しなければならない。「予測」は、聞くためにも、話すためにも、読むためにも、書くためにも、そして、生きるためにも、必要なことだ。「音読」という学習は、この「予測」を身につける学習になる。  国語の「聞き取り」や英語の「リスニング」が苦手な生徒は、次に来る音や言葉を予測する練習ができていない。もちろん、「予測」は、しばしば、外れる。そして、外れてもかまわない。ひとは外れた予測を修正しながら学ぶからだ。  自分の声を出して学ぶことは、君の能力を大きく育てる方法である。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 April

生活習慣を立て直そう! Reform Your Life Habit!  生徒たちや保護者の方々と面談していると、君たちの生活が健康の原則からかなり外れた状態になっていることがわかる。健康は、身体ばかりではなく、脳や心にも大きく関わるものだ。だから、健康が崩れると、効果的に学習することもできなくなるし、取り越し苦労のような、本来、悩む必要がないことまで悩むようになってしまう。ひどくなると、朝、起きることもめんどうになるし、学校にも行きたくなくなる。「気鬱」というやつだ。  でも、どうしてこうなってしまうのだろうか?  PTSDを引き起こすような外部的な原因があるなら、かなり強硬な対応が必要になるだろうけれど、どうも思い当たることがない。きちんと学校に行き、さまざまな活動に取り組み、山手学院にもしっかり通っているのに、どうして元気がないのだろうか?  学習もなかなか捗らないし、できるようになっているのか、不安を感じてしまう。もう、なにもかも、投げ出してしまいたい!  新型コロナの感染が蔓延する現状に対して、君たちの気分が落ち込んでいることはまちがいない。世界中の人たちの心に新型コロナの蔓延は大きなストレスを与えている。  生徒たちと面談していて、すぐに気づくことは、みんな、就寝時間が遅くなっていることだ。むかしの言葉でいえば、「宵っ張りの朝寝坊」で、朝になっても疲れが取れない状態になっている。学校生活を送っている以上、朝、7時前後に起きているだろうから、睡眠をコントロールするホルモン「メラトニン」の分泌は、「メラトニンの分泌量」のグラフのようになる。メラトニンは、起床して太陽の光に触れてから、約15時間後、脳の松果体から分泌され始める。君たちの場合、夜12時から4時のあいだ、ノンレム睡眠のときにピークに達する。このとき、熟睡していれば、成長ホルモンが放出され、脳を含む全身の細胞が生成・成長・修復される(睡眠のリズムの図)。  ところが、宵っ張り(夜更かし)の習慣がついてしまうと、メラトニンも成長ホルモンも放出されないので、脳や身体の細胞の成長や修復が行われず、疲労がそのまま残り、朝、スムーズに起きることができなくなる。  また、寝る前のテレビやパソコンやスマートフォンなどの視聴や使用は、メラトニンの分泌を止め、睡眠を浅くし、成長ホルモンの分泌を妨げる。したがって、朝になっても、疲れがとれないので、なかなか起きられない。  ブルーライトと眼の問題は議論があるので触れないが、光がメラトニンの分泌を抑制することは証明されている。夜、いつまでも電子機器の画面を見つめていると、君たちは、いよいよ眠れなくなってしまう。  君たちの生活習慣の基本は、あくまで「早寝早起き」である。メラトニン、睡眠、成長ホルモンの仕組みがわかれば、「早寝早起き」の重要さが理解できるだろう。  「宵っ張りの朝寝坊」は、完全に悪循環の状態だ。  さっそく、「早寝早起き」を心がけて、自分の生活習慣を立て直していこう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 March

学び方を身につけよう! Learn how to learn!  わたしは、「だれでもできるようになる」という確信を持っている。数多くの生徒たちが証明してくれているおかげでもある。もし君ができないのだとしたら、それは学び方をまちがえているのだ。  学校の学習にかぎらず、習い事でも、スポーツでも、芸術でも、すべての学習に共通した学び方がある。かんたんなことなのだけれど、なぜか、ひとは学び方をまちがえてしまう。  たとえば、将棋の藤井聡太棋士は、「やりたい」と思ったときに自発的に将棋に取り組んでいるだろうし、MLBの大谷翔平選手は、就寝前に自分を見つめて「自分はできる」と念じて眠りについているだろう。どちらも自分を高める方法で、ずいぶん以前から実践されていることだ。  ところが、多くのひとが、だれかに命じられて、いやいやなにかに取り組んだり、学習後にテレビを見て、サスペンスにどきどきしながら眠ったりしてしまう。どちらも非効率で、学習を無効化してしまう。  アルプスの少女ハイジは、文字が読めなかった。羊飼いのペーターに「本なんて、むずかしくて、ぜったいに読めないよ」といわれ続け、「わたしは読めない」と思い込んでしまったからで、「できない」というネガティブな思い込みが学習の最大の敵である。「できない」と思っているかぎり、ひとはなかなかできるようにならない。「できる」と思うから、ひとはできるようになる。  教師も、教え方をまちがえる。こわい顔をして、厳しく指導するだけでは、生徒は学習を吸収できない。クララの家庭教師は、ハイジに対して、ひたすら厳しかった。緊張したハイジは、感情が混乱するだけでなにも学べなかった。家庭教師は、ハイジを学習障害だと決めつけた。  ハイジを救ったのは、クララのおばあさんだ。クララのおばあさんは、ハイジをじゅうぶんにリラックスさせてから、「だれでも読めるようになるわ」と励ました。ハイジを「読みたい」という気持ちにさせてから、読むことを学ばせた。これはモンテッソーリ教育の手法で、藤井聡太棋士の学習法でもある。  さて、眠る前の状態に重点を置いたのは、十九世紀のフランスの療法家たちだ。現在では、神経科学の発展でずいぶん説明しやすくなっているけれど、かれらは眠る前の状態が、睡眠中、脳に書き込まれることに気がついた。明るい気持ちで眠ると、明るい気持ちの状態で目覚め、暗い気持ちで眠ると、暗い気持ちの状態で目覚める。おなじパターンでいえば、もし小さな子どもなら、「いい子ね」といわれて眠ると、いい子の状態で目覚め、「ダメな子ね」と叱られて眠ると、ダメな子の状態で目覚める。調子がわるい人が、「だいじょうぶ」と信じて眠ると、よくなった状態で目覚め、「だめだあ」と絶望して眠ると、もっと悪くなって目覚める。「できる」と信じて眠ると、できるようになって目覚め、「できない」とあきらめて眠ると、できないまま目覚める。ともかく、眠る前の状態が睡眠中に強化されて定着するわけだ。  睡眠は、毎日のことであり、人の記憶は睡眠中に定着するので、眠る前の状態がものすごく重要であることはまちがいない。学習に関していえば、「できる自分」の状態で眠れば、「できる自分」で目覚め、それを毎日積み重ねていけば、じっさいに「できる自分」になる。  そういっても、学習や練習をさぼっていて、眠るときだけ「できる」と念じても、効果はまったくない。まずしっかり学習や練習に取り組んだうえで、眠る前に「できる」と確信して、やすらかに睡眠をとろう。  若くして活躍している人たちは、学び方がとても上手なのだ。しかも、それはずいぶん以前から実践されている方法で、秘密でもなんでもない。  学び方の基本を身につけて、積極的に学習しよう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 February

人は目標にむかって成長する! You are growing up toward your goals!  3学期制の学校であれば、小学生も、中学生も、通知表を渡されただろう。今回の通知表は2学期の君の取り組みに対する評価であるから、よくてもわるくても、しっかりと分析してみることが必要だ。  中学生の場合、5段階の評定であれば、君たちの基準は「4」。  「5」なら、自分で納得できるだろうし、「3」や「2」なら反省するしかない。まちがいなく「3」や「2」は自分の取り組み方に問題があったのだ。  ところで、現在の通知表になる以前の評定は、自分の努力だけでは、どうにもならないところがあった。たとえば、100人の同級生がいたとしよう。定期テストの得点をベースにして、1番から7番までが「5」、そして、おなじ人数だけ「1」をつける。つぎの8番から31番が「4」、そして、おなじ人数だけ「2」をつける。残りの38人が「3」になる。  これは相対評価といって、偏差値とおなじ考え方だ。偏差値の場合、おなじテストを受けた全員を母集団として、おおざっぱに上位の7%が偏差値75~67、つぎの24%が偏差値65~55、さらに、つぎの38%が偏差値55~45・・・といった案配になる。高校受験の人気校の目安となる偏差値60は、全体の上位16%の位置だ。つまり、偏差値というのは、君のテストの結果が、「テストを受けた人たち全体に対して、どの位置にいるのか」を表しているわけである。だから、その全体(母集団)の学力次第で、偏差値の意味は大きく変わってしまう。「このテストを受けた集団は、どういう人たちなのか」ということが重要な問題であるから、各中学校に学力差があるかぎり、相対評価による通知表評定は、中学校同士では公平な評価になりえない。  じっさい、相対評価が使用されていた時期の通知表評定は不公平なものだった。できる生徒が多い学校の生徒は、微妙な得点差で通知表評定が低くなる。できない生徒が多い学校の生徒は、ちょっとできるだけでも通知表評定が高くなる。おなじ「4」が、おなじ学力を表しているわけではなかった。  そうした考えもあって、現在の通知表評定になったので、わたしは、以前よりも現在の通知表の方がよほどいいものだと思っている。現在の通知表は、相対評価ではないから、君たちの努力次第で、全員が「5」をとることも不可能ではないのだ。  ほとんどの受験生は、通知表評定がすでに定まってしまっているから、ここからは、入試当日まで、志望校に合格できる得点を取るために実戦力を磨き、心身ともにコンディションを整えていこう。入試にとって、「体調不良」と「緊張」が大きな敵になる。受験生の当面の目標は志望校合格だけれど、入試が終わったら、すぐに新しい目標を持とう。入試は一つの通過点にすぎないのだ。  受験生以外は、通知表をしっかりと分析して、3学期の目標を立てよう。現在の通知表は、自分の努力で改善することができる。だれかが「5」をとったから、わたしは「5」をとれない、というような評価方法ではない。わたしが目標を聞かれたら、すべての教科で「4」「5」が目標になる。  今回の通知表や成績は、すでに過去だから、分析して、納得したり、反省したりしたら、3学期や新学年に目を向けよう。人は未来に向かって進んでいく。未来に必要なのは、君の目標だ。  現在の学力や成績で目標を制限する必要はない。目標を小さく制限すると、君の成長も制限されてしまう。  君は目標に向かって成長するのだから、勇気をもって大きな目標を持とう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 August

“環境”と“習慣”が“未来の君”をつくる! Your Environment and Habits Make Your Future Self!  「ぼくは、意志力がとても弱いんです。寝る前に学習すれば、しっかり定着すると、頭ではわかっているんですが、どうしてもスマホを操作して楽しんでから寝ることになってしまいます。あいかわらずテストの結果は悪いし…。ぼくは、志望校に合格できるでしょうか?」  まじめな生徒から相談されたものの、答えをごまかすことはできないので、  「現状では、合格はむずかしい。夜更かしをしているうえに、電子機器のブルーライトで睡眠も浅くなっている。メラトニンも成長ホルモンも分泌されないから、頭の調子も体の具合も悪くなっていくだろう。目標を意識して、少しでも行動を起こせば、学習できないはずはないのだが…」  生徒は悲しげな顔をして、  「ぼくには意志力がないんです。先生、どうしたらいいんでしょう?」  意志力というのは、シェークスピアの英語を借りれば、Will Power。Willというのは、「やるぞ」という強い気持ちを表している。だから、Will Powerというのは、「やるぞ」という気持ちによる力のことだ。  ひとが自分の目標を意識して、少しでも行動を起こせば、そこに「意志力」が生まれる。よく使われる言葉でいえば、モチベーションである。モチベーションを維持する方法は、「すぐに行動すること」だから、この生徒の場合、寝る前であっても、スマホを操作するのではなく、すぐに学習に取り組めば、問題は解決する。  そういっても、ひとは生来的に目の前の誘惑に弱い。ことわざにあるとおり、「朱に交われば赤くなる」だ。「ひとは容易に他人の影響を受けてしまうから、いい友だちを選びなさい」という教えだけれど、じつは、他人に限らず、ひとは自分の身の回りにある、あらゆるものから容易に影響を受けてしまう。だれでも、環境から強い影響を受け、気をつけないと環境にコントロールされてしまう。  したがって、この生徒への第一のアドバイスは、「学習できる環境をつくること」「学習できる環境を選ぶこと」だ。  子どもたちの学習環境の重要さを発見したのは最初期のモンテッソーリ(イタリアの教育学者)だけれど、現代でも『Willpower doesn’t work』※(意志力は働かない)というような、環境の重要さに着目した書籍が評判になっている。その序文に「意志力は働かない。正直になろう。君は何千回も人生を改良しようとした。そして、疲れ切って、何千回も元の計画に戻った。悪い習慣を追い出そうと意志力を試した。でも、元の木阿弥だ。(中略)もし人生をコントロールしたいなら、意志力は、君が選ぶ戦略ではない。(中略)君が必要とするのは、君の環境をつくり、コントロールすることだ」  この本には、自分の環境を作り、環境をコントロールする方法がいくつも書かれている。  でも、この本を読むまでもなく、君はやるべきことがわかっているはずだ。  まず自分の目標を意識して、目標達成に「必要なこと」と「不必要なこと」を見分ける。つぎに「不必要なこと」をできるかぎり自分から遠ざけてしまう。そして、「必要なこと」を自分の身の回りに置く。そうすれば、自分の目標を意識したとき、すぐに行動に移すことができる。この「目標を意識したとき、すぐに行動する」が君の習慣になったとき、君は自分の目標にむかって、確実に前進できるようになっている。  この夏、“できる自分”を実現しよう!  ※WILLPOWER DOESN’T WORK 2018 by Benjamin hardy (Hachette Books) 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 October

良い学習習慣を身につけよう! Develop good study habits!  ひとは習慣によってつくられる。自分の習慣をコントロールしないかぎり、ひとは環境にかんたんに左右されてしまう。君のいる環境が良い環境であるなら、君は知らず知らずのうちに良い習慣を身につけるだろう。だが、君のいる環境が悪い環境であるなら、君はいつのまにか悪い習慣に染まってしまうかもしれない。  良い習慣も、悪い習慣も、身につく過程は、ほとんど同じである。たとえば、「しきたり」は、社会や文化に共通してみられる行動様式であるが、その「しきたり」が良いのか悪いのかは、明確ではない。日本にも、世界にも、「しきたり」はたくさんある。「しきたり」は、過去に「してきたこと」の延長であり、現在や未来において、必ずしも従う必要はない。良い「しきたり」なら続けてもいいだろうし、悪い「しきたり」なら、断然、やめるべきだろう。  さて、「しきたり」も、「習慣」も、けっきょく、「してきたこと」なのだ。つまり、君が「してきたこと」が、君の習慣になっている。  大人を例にとれば、「タバコを吸ってきた」大人が愛煙家になる。「お酒を飲んできた」大人が酒飲みになる。「読書をしてきた」大人が読書家になる。「美味しいものを食べてきた」大人が美食家になる。  君がゲームをやめられないのは、君が「ゲームをしてきた」からだ。君がスマホをやめられないのも、君が「スマホをしてきた」からだ。君がテレビをやめられないのも、君が「テレビを見てきた」からだ。  ところが、学校や家庭や塾で、「学習をしてきた」はずなのに、君は、気軽に、すすんで学習することができない。ゲームやスマホやテレビのようにずっと続けて、保護者に叱られるくらい、どうして学習は習慣になっていないのだろうか?  君たちに配布した小冊子※『人生が変わる学び方vol.2』にも書いたとおりで、「即行動」の有無が、その答えである。君は、ゲームをしたいな、と思ったとき、即座にゲームをしていないか。スマホが気になったとき、即座にスマホを操作していないか。見たい番組があったとき、即座にテレビのスイッチを入れていないか。お菓子が食べたい、ジュースが飲みたい、マンガが読みたい・・・そう思ったとき、即座に食べたり、飲んだり、読んだりしていないか。  じつは、意識したことを即座に行動に移すと、それが快感になり、クセになり、習慣になり、やがてやめられないことになる。これは、脳の神経伝達物質ドーパミンの働きだ。「即行動」を起こすと、脳の側坐核からドーパミンが分泌されて、脳が「作業興奮」を起こし、これが気持ちいい。だから、ドーパミンを脳内麻薬の一種と見なし、「やる気ホルモン」とも呼ぶ。  大人のタバコもお酒も、君たちのゲームもスマホもテレビも、ドーパミンを分泌させる。だから、快感になり、クセになり、習慣になり、やめられない。  学習を習慣にする方法もまったく同様である。  学習を意識したら、嫌も応もなく、即座に学習すればいい。いつでも学習できるように教科書や問題集を身近に置き、志望校やテストやライバルなど、学習に関わることがほんの少しでも意識に上がったら、即座に教科書や問題集を開き、学習するのだ。しばらく続けているうちに、学習することが快感になり、クセになり、習慣になる。  さあ、良い学習習慣を身につけよう!  ※小冊子がご入用でしたら、各校舎にお申し付けください。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 January

君が受験生になるとき When you will be a candidate for the entrance exam  ひとは、いつ、受験生になるのだろうか?  受験勉強の真っ最中にいる小学生、中学生、高校生、浪人生であっても、ちょっと立ち止まって考えてみる必要がある。  どうして自分は受験生なのだろうか?  もし君が入学試験を必要としない状態で自分の道を進むことができるなら、君は受験生になることはない。行きたい学校がなく、受験する学校もない中学3年生や高校3年生は、中学校や高校の最終学年であるとしても、受験生ではないだろう。つまり、小学校や中学校や高校の学年自体は、受験生とは関わりない。  では、受験生って、なんだろう?  文字どおりでいえば、「入学試験を受ける生徒」のことにちがいない。そうであるとすれば、中学でも、高校でも、大学でも、行きたい学校の入学試験を受ける意志を持っている生徒は、すべて受験生ということになる。やはり、ここでも学年自体は関わりがない。最終学年になると、受験準備の時間が限られてくるというだけで、どの学年であっても、行きたい学校があって、入学試験を受ける意志を持っている生徒は、すべて受験生なのだ。  中学3年や高校3年を受験学年と呼ぶのは、「もう時間がないぞ」ということでしかない。  そう考えれば、現在、小学何年生であっても、中学何年生であっても、高校何年生であっても、行きたい学校があって、入学試験を受ける意志があるなら、君はすでに受験生なのだ。  おもしろいことに、グーグルのブラウザで日本語の「受験生」に該当する外国語を検索すると、  英語 Candidates 候補者たち(そもそも「試験の参加者」A participant in an examinationという内容を持つ)  フランス語 Candidats 候補者たち(同上)  ドイツ語 Kandidaten 候補者たち(同上)  ロシア語 Кандидаты 候補者たち(同上)  中国語 候选人(本来であれば、考査に応じる、試験に応じる、という意味で、应考者、应试者という中国語のほうが「受験生」に近い)  などと出る。  なるほど、受験生は、抽象度を高くして考えれば、「候補者」にちがいない。事実として、埼玉県公立高校の合格者は、「入学許可候補者」である。埼玉県公立高校の入学者選抜の受検者たち(埼玉県公立高校の場合、学力検査問題を受けるので受検)は、各高校の入学者になるために立候補した生徒たちなのだ。  普通選挙に立候補した大人たちは、有権者たちの定期考査(試験)を受け、選挙に当選(合格)したり、落選(不合格)したりすることになる。  君たちの場合、志望校の試験を受け、合格したり、涙をのんだりすることになる。  どちらにも共通するのは、「自分の意志」で名乗りを上げる、ということだ。早くから意志を固める人もいれば、直前になって意志を持つ人もいるだろう。  成功法則の鉄則からいえば、できるだけ早くから意志を固めることが望まれる。  難関大学に合格者をたくさん出す公立高校や私立高校の先生たちと話していると、 「高校1年生のときに、行きたい大学がある生徒が強い」と強調されることが多い。「現役で難関大学に行きたいなら、できるだけ早く行きたい大学を持つことだ」ともいわれる。  これは、わたしたちの指導上でもはっきりいえることで、「志望校を持つから受験生」であり、「志望校があるから一生懸命に取り組める」のだ。  さあ、小学何年生であっても、中学何年生であっても、自分の志望校を考えてみよう。  本気で行きたい学校があるなら、君はすでに受験生である。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2021 December

いまの“学び”は、未来の“キミ”だ! I'm studying now for my future!  春に新学期が始まって、夏、秋が過ぎ、とうとう冬になった。受験生にとっては、志望校合格にむけて、全力でとりくむ季節である。  あまりに時間の流れが速いので、君は、いささか驚いているかもしれない。英語では、文字どおり、Time flies so quickly.(時間はあっというまに飛んでいく)である。  時間の流れは、過去、現在、未来と、不可分につらなっているのだけれど、わたしたちが存在できるのは、いま、ここ(Be Here Now)だけだ。だから、時間は流れているのではなく、過去も未来も現在に内包されている、と考える人もいる。また、おなじ未来でも、“未来に向かう”ととらえる人もいれば、逆に“未来がやってくる”ととらえる人もいる。  わたしは、生きる姿勢として、“未来に向かう”と考えるほうだ。  さて、あせっている受験生にはちょっと厳しいかもしれないが、学習にかぎらず、ものごとを身につけるためには、予想以上に時間がかかる。最速最短が現代人の願いかもしれないが、どんなことでもできるようになるためには必要な時間がかかる。だからこそ、長期的に自分の目標を考えて、できるだけ早く目標にむかって取り組みを始めるべきなのだ。  数多くの成功者を分析した成功哲学では、「できるだけ早く目標を持ち、できるだけ早く取り組みを始めて、長く続けること」という鉄則が生まれている。  学習成果は、シグモイド曲線を描くようだ。いくつかの研究もあるが、個人差がかなり大きいので、おおよその経過として見るべきだろう。図を見ると、学習の最初はかなり低調なのだ。しばらく低空飛行が続き、やがて、あるタイミングで高く飛び立つ契機がくる。この契機をブレイクスルーポイントと呼ぶ人もいる。この契機を過ぎると、大きな成長が始まる。  たしかに、長年、学習指導を続けていると、「なるほど。学習成果はシグモイド曲線を描くな」と実感する。この契機(ブレイクスルーポイント)を迎えることができれば、みんな、必ずできるようになる。  ところが、学習を苦手とする生徒たちの多くが、この契機を迎える前に、学習をあきらめてしまうのだ!  学習でも、スポーツでも、芸術でも、ある程度の習得を必要とするものは、ほとんどシグモイド曲線を描くだろう。シグモイド曲線を念頭に置いておけば、どのように学んでいけばいいのか、わかる。できるだけ早く始めて、成長の契機が来るまで続けるのが、学習の秘訣だ。かりにスタートが遅れたとしても、成長の契機が来るまで続ければ、できるようになる。  人は、過去には戻れない。  だから、「いま、なにに取り組むか」が重要なのだ。  人は、未来にむかって、学んでいる。  君が未来の目標を考えたとき、いま、君が取り組むことがわかる。  取り組みを始めたら、成長の契機が来るまで、粘り強く続けよう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2021 November

「テスト」に合格する! Pass the test! Pass the exam!  「テスト」と聞くと、顔をしかめたり、身を震わせたりする生徒がいる。テストに慣れていないと、どうしても不安になるので、「どうしよう。ぜんぜん勉強してないよ」とうろたえてしまう。小学生でも、中学生でも、高校生でも、テストをいやがる生徒のほうが、断然、多い。  でも、たんにテストといっても、人生を左右するような重要なものから、日ごろの取り組みを確認する気軽なものまで、さまざまなテストがあるから、ただ「テスト」といわれただけで驚くのは、慌て者でしかないだろう。  本当に重要なテストのためにも、みんなはテストに慣れておいたほうがいい。  「test(テスト)」という言葉は、「金銀などの貴重な金属を分析するのに使われた小さな容器」を意味する古フランス語のtestや「土器」を意味するラテン語のtestumが元になっている。現在のように、なにかの正確さを見極める「試験」の意味を持つようになったのは、16世紀、「容器の中で金銀を溶かすことによって、金銀の質を確認する」という行為から生じているようだ。  ついでに英語の話をすれば、比較的に重要度の低い、小さなテストはtestで、比較的に重要度の高い、大きなテストはexam, examinationである。こちらはラテン語のexaminare(重さを量る、考察する)が語源で、やがて「知識をテストする」ということになった。  テストに合格するためには、日ごろの学習や訓練が重要なことはいうまでもないけれど、テストの当日、これまでに培った実力を発揮できないまま、涙をのむ人たちも少なくない。そのテストが重要なものであればあるほど、なぜか実力を出すことができなくなってしまう。中学受験でも、高校受験でも、大学受験でも、資格試験でも、おなじ現象が起きる。  実力があるにもかかわらず失敗してしまうのは、風邪などによる体調不良、強い不安や緊張による思考力の低下などが原因だ。  スポーツ選手やアーティストが圧倒的な練習量をこなすのは、技量を磨くだけではなく、試合や本番で緊張しないためでもある。もし試合会場で選手が緊張してしまったら、身体が動かずに負けてしまうかもしれない。もし舞台でアーティストが緊張してしまったら、頭が働かずに失敗してしまうかもしれない。だから、リラックスした状態で試合や本番に臨めるように、徹底的に慣れるまで練習をくりかえす。  受験生であれば、問題集に載っている小さなテストから、検定や模擬試験のような大きなテストまで、できるだけたくさん挑戦して、テストされること自体に慣れておくことが必要だろう。  なにごとも、最初は意識して、なんどもくりかえして取り組んでいけば、やがて慣れてくる。「慣れる」というのは、ある行為を自然におこなえるようになる、ということだ。手工業の職人や料理人の世界では、「腕が上がる」という。なんどもくりかえすことを「腕を磨く」、上手になることを「腕が立つ」、やってみせることを「腕を振るう」。職人や料理人の世界は、「腕前」である。  腕を磨くのも、学習も、練習も、秘訣はおなじだ。  まずリラックスしてから始めること。  「できる」と信じて、明るい気持ちで取り組むこと。  まちがえは記憶にとって重要なので、まちがえても心配しないこと。(ただし、そのままにしないこと)  そして、自然にできるようになるまで、くりかえすこと。  腕を磨けば、かならず腕が上がるように、くりかえし学習すれば、かならずできるようになる。  「テスト」なんて、ぜんぜん怖くない! 「やるぞ」という前向きな気持ちで、どんなテストでも平気になってくれば、君の実力はまちがいなく上がっているはずだ。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2021 October

「練習する」という能力 The Ability to Practice  「能力」という言葉は、「できる力」という意味である。生まれつきできることもあれば、学習によってできるようになることもある。ひとの場合、他の動物とちがって、学習によってできるようになることのほうが圧倒的に多い。たとえば、多くの動物は生まれてからすぐに立ち上がって歩けるようになるけれど、ひとは歩くためにも学習が必要であるから、匍匐、這い這い、起立、歩行まで、ずいぶん時間がかかる。もし、この学習の過程を失ってしまうと、ひとは歩けない。這い這いも、よちよち歩きも、重要な学習なのだ。  さて、「得意な生徒」と「苦手な生徒」のちがいは、もしかしたら、「練習能力」の差ではないだろうか。ここで「できる」「できない」という分け方はしない。なぜなら、学習する能力はだれにも生まれつき備わっているから、学習に関しては、「比較的に得意」と「比較的に苦手」があるだけだから。  なぜ「比較的に得意」と「比較的に苦手」が生じるのだろうか。  生活習慣や学習方法※などの問題が横たわっていることもまちがいないだろうけど、中学生や高校生の場合、小学生のときに身につけるべき「練習能力」の強弱が学習に影響しているように思われる。  どういうことかというと、「比較的に苦手な生徒」は、飽きっぽい。くりかえしてやることに耐えられずに、学習をかんたんに投げ出してしまう傾向がある。  いっぽう、「比較的に得意な生徒」は、くりかえしてやることに耐えられるので、学習が身につくまで続けられる。  この「くりかえしてやることに耐えられること」を「練習能力」というのだ。  幼児の行動をよく観察していると、「よく、まあ、飽きもせず、おなじことをくりかえしているなあ」と感心するだろう。「単純なことのくりかえしに耐えられる能力」をかれらは持っている。小学生にもこの能力はある。  ところが、大人になればなるほど、くりかえしてやることが耐えられなくなる。単純なことをくりかえすことにすぐに飽きて投げ出してしまう。だから、多くの大人が新しいことを身につけることを嫌がる。  学習でも、スポーツでも、芸術でも、最初は「単純なことのくりかえし」が多い。基礎とは単純なものなのだ。しかし、「単純なことのくりかえし」をとばしてしまうと、どの分野でもうまくいかない。  「比較的に得意な生徒」は、基礎をおざなりにしていない。練習を重ねて、しっかり自分のものにしている。「比較的に苦手な生徒」は、基礎が弱い。練習が足りないのだ。  「練習する」というのは、とても重要な能力だ。練習をさぼって、できるようになろうとしても、残念ながら、不完全なものになってしまう。  君が学習を得意にしたいのならば、「練習、練習、そして練習」である。(Practice makes perfect) ※生活習慣や学習方法に関しては、「人生が変わる学び方Vol.1」をしっかり読んでください。お持ちでない場合は、校舎で受け取ってください。 山手学院 学院長 筒井 保明