君は目標を達成できる!

You can accomplish your goals!

  中学2年生の夏期合宿のガイダンスで、学習前の準備の話をした。準備といっても予習や復習のことではなく、学習前のイメージ・トレーニングのようなものだ。
 ①まずゆっくり呼吸しながら体の力を抜いてリラックスする。
 ②リラックスしながら、学習者として理想的な自分をイメージする。(らくらく問題を解いている姿でも、集中して取り組んでいる姿でも、好ましい自分の姿であればよい)
 ③思い描いた自分の姿に対して「わたしはできる」と確信を持つ。(できるぞ、と自己イメージに声をかけてもよい)
 練習すれば、1分もかからない。たったこれだけのことで、学習効果が上がる。そして、何度もやっているうちに、学習前になると、無意識に学習の準備状態ができてしまう。論より証拠で、合宿中に試してみよう、と勧めた。
 種明かしをすると、「リラックス状態」は、学習や練習の前に作らなければならない状態である。これから学ぶことや身につけることに対して、最初から緊張していたのでは、学習や練習を吸収することがむずかしい。また、緊張状態では思考が働きづらい(脳の扁桃体が優位になっている)ので新しい対象に集中することができない。集中力は、リラックス状態から生まれる。
 「理想的な自己イメージ」は、学習に対するネガティブな気持ちを取り除く。ポジティブな自分を強くイメージすることによって、やる気分子と呼ばれる神経伝達物質ドーパミンが脳の前頭前野まで分泌され、学習への意欲が引き出される。
 さらに「わたしはできる」と確信することによって、「理想的な自己イメージ」が現実的なものとして感じられるようになる。そして、しばらくのあいだ、しっかり取り組んでいると、実際にできるようになる。(なぜなら、人は、自己イメージを実現するように行動するから)
 ところで、この逆のパターンとして、最近、スポーツ界のパワーハラスメントが大問題になっている。監督やコーチの暴力や暴言など威圧的な仕打ちは、どんな言い訳をしようとも、実質的には選手たちの能力を低減させてしまう。苦しい緊張状態、長引く嫌悪感、いたずらな自信喪失など、練習を無意味なものにするだけでなく、選手たちに心理的なダメージを与えてしまう。指導者として失格だ。
 学習に関しても、同様の行動をとる人たちがいるかもしれない。しかし、君には目標がある。君の目標がもっとも重要なのであって、周囲の心ない言動に君の目標をつぶされてはいけない。「ひどいことをいうな」と思ったときには、静かに心を落ち着けて、「ぜったいに気にするな」と自分に言い聞かせよう。本気の目標は、どんな妨げにも打ち勝てる。
 さあ、受験生をはじめとして、小学生も、中学生も、たくさん学習できる季節になった。生理学者によると、「春から夏にかけて」がスポーツの季節であるとすれば、「秋から冬にかけて」はまさしく学習の季節である。
 学習にとりかかる前に、「リラックス」「理想的な自己イメージ」「できるという確信」(自分を信じるだけでよい)を心がけてみよう。
 君の可能性は、君の学習によって大きくなるのだ。

学院長 筒井保明

君は目標に向かって成長する!

You will grow up to the goals!

 人は目標に向かって成長する。目標があるから人は行動を起こし、その経験によって一廉の人物になっていく。途方もないことのようであっても、思い切って行動していけば、必ず成果は出るのだ。
 明治時代に河口慧海(1866-1945)という僧侶がいた。彼は無銭でチベットにいくことを決心した。
 彼の目標は、①わかりやすい経文を拵えたい。②そのためにチベット語を学びたい。③ヒマラヤ山中で修行して清浄妙法を専修したい。というものである。
 もちろん、無銭といっても、海外に無一文で行くことはできない。出立にあたって、自費や餞別で六百三十円(当時)を集め、旅行の準備に百円あまりを使い、五百円あまりを持って旅立った。周りの人たちは、「彼は死にに行くのだ。馬鹿だ。突飛だ」といって嘲笑った。
 明治30年、神戸からシンガポール、シンガポールからカルカッタへと船で渡り、そこから汽車でダージリンに到着。しばらくダージリンに滞在して、チベット語を学ぶ。チベット族の子どもや女性から俗語を学んで、半年後にはチベット語が話せるようになった。
 明治32年、いよいよチベットに向けて出発。道はネパールにとる。カトマンズまでの行程で、泥棒に出会ったり、虎に出会ったり、旅籠の二階の風呂が崩壊したりしたが、災難は免れた。ヒマラヤ山中に入って、山賊に脅かされながら、ツアーラン山村に滞在。チベット仏教とともに、チベット族の不潔さに耐えることを学んだ。なにしろ、彼らは体中真っ黒で、年に2回くらいしか、体を洗わないようなのだ。また、モンゴル系の人々の短気に対しても、堪えに堪えて、「怒るということは馬鹿の性癖である」と悟った。
 マルパ村に移動し、いよいよチベット国境を目指して、ネパール北部のヒマラヤ山脈、標高8,167 mのダウラギリ山を越えなければならない。
 ダウラギリ山を越えるということを話すと、案内者は顔色を変えて、
「それはいけません。あんなところへは仏様か菩薩様でなければ行けやしません。行けば必ず死んでしまいます。そうでなくても猛獣のために食われてしまいますから、お止しなさい」
 これまでの行路でも、雪山の嶮しい坂を攀じ登る途中、谷間に動物などの骸骨を見たりした。それでも、「わたしの目標は山の向こうにあるのだ」と説得すると、案内者は涙を流しながら立ち去った。ひとり、河口慧海は、雪のなかに踏み込み、岩陰に泊まり、磁石をたよりに北に進んでいき、ついにチベットとネパールの国境である雪山の頂上に到達した。
 3年後にチベット国境を越えるという誓いを立てた明治30年から、ちょうど3年後に、河口慧海はチベット国境を越えたのだ。彼は、袋の中から麦焦がしの粉を出して椀に入れ、雪とバターを加えて捏ねた。それを唐辛子と塩につけて食べた。その旨さは、極楽世界の百味の飲食も及ばないほど、旨かった。
「雪中に座り込んで四方を眺めていると、なんとなく愉快というだけで、ただジーッと一人で考え込んでいるだけで、これからどちらへ出かけたらいいのか、サッパリ見当がつかない」
 さあ、これからどうする?
 河口慧海は、そこに座り込んで、「断事観三昧」(決めるためにじっと考える)を実行する。運を天に任せるのではなく、自分の存在を賭けて座禅をし、これからどうするか、答えを出すのだ。
 これ以降の話は、河口慧海の『西蔵旅行記』(明治37年)にゆずるが、人が目標に向かうとき、先の見通しがなくとも、何かの決断が必要であれば、「断事観三昧」で答えが見えてくることを知ってほしい。目標が大きければ大きいほど、先のことなどわからない。どうなるかわからないから、大きな目標なのだ。
 でも、本気で目標に向かっているならば、さまざまな壁に当たったときや、それぞれの頂上に達したとき、じっと未来の自分を考えると、つぎにやるべきことが見えてくる。
 大きな目標に向かうことが、君の大きな成長につながるのだ。

学院長 筒井保明

正義と識別と仁愛

Uprightness, Discernment and Love

 浦和高校に進学した生徒が「将来、法曹界で活躍したい」という。つまり、裁判官、検察官、弁護士などになりたいということだ。「裁判官や検事や弁護士の精神って、なんだと思う?」と問いかけたら、ほんの 少し考えてから「法律の遵守ですか」と答えた。
「それだけじゃあ、人間がただの機械になってしまう。法学者の穂積重遠が浦和高校の生徒たちに語ったところでは…」と私の知ったかぶりを説明した。浦和高校の歴史を調べていたら、昭和11年に浦和高校が印刷して配布した穂積重遠(東京帝国大学教授・最高裁判所判事)の講演録があって、「いいことをいうなあ」と感心したところだったのである。
 イギリスの秋の裁判期に行う祈祷式では、裁判官や弁護士が一緒になって祈るそうだ。

 神よ。正しく、慈悲深い、全人類の裁判官よ。
 人と人のあいだに正義を与え、無実の人を明らかにし、
 判決を下し、罪人を罰するために、あなたが任命された従事者たちを
 天より見守りたまえ。
 あなたの聖霊、すなわち、正義の精神、識別の精神、仁愛の精神を授けたまえ。
 大胆に、細心に、慈悲深く、聖なる義務を果たさせたまえ。
 あなたの民とあなたの名の栄誉のために。
 我らの主イエス・キリストをとおして、アーメン。

 法の精神において「正義」「識別」は不可欠なものに違いないが、日本の法律家には愛が足りない、と穂積先生は指摘する。「根本に仁愛がなければ人間として完成しない。それと同じように、裁判においても、物をよく見分けて断然たる裁断を下すというだけでは本当の裁判ではない。その根本に真に人を愛し、人を救う仁愛の気持ち、すなわちLOVEがなければ裁判は理想的であり得ない」
 正義と識別と仁愛の三つが揃わなければ、裁判はできない。裁判だけではなく、人間そのものも完成されない。
 穂積先生は、浦和高校の生徒たちに強く訴えて、
「諸君。高等学校を終えて大学に来ると、法律、理学、医学というように、それぞれ専門の道に進まれますが、根本が充分にできていないと、ただの機械になってしまう。人間がただの機械になってはいけないのであります」
「大学の専門に行くと器物になりやすい。ややもすれば道具になり、機械になりやすいから、その根本をつくるのが高等学校の教育であります」
「諸君の心を悩ますことは大学の入学試験であるかもしれません。しかしながら、そんなことに心を悩ましていては、せっかくの高等学校が乾燥無味なものになると思います」
「高等学校で本当に人物を作り、見識を養うことが諸君をして赤門をくぐらせる所以であります」
 当時、穂積先生は、東京大学法学部長なので、大学という代わりに赤門(東京大学)と表現している。
 講演の最後に、「今日の世の中では、目的と手段の関係がうまくいっていない。目的のために手段を選ばずという考えは非常に間違った考えだ。教育は手段ではない。本当に人物を磨いて一人前になることが必要で、今日を立派に活きうること、学問そのものに興味を持って勉強することが諸君の本務だ」とくりかえし強調している。この考え方は、現在の浦和高校にも通底している。過去から現在まで、浦和高校から多くの人物が出ていることは必然であった。
 正義、識別、仁愛の揃った人物になるために、己を磨くことが根本である。

学院長 筒井保明

たのしく取り組もう!

Learning is Fun!

 小学校の低学年の生徒たちに、「足し算が好きか、引き算が好きか」と聞くと、「引き算が好き」という答えが多い。理由は、足し算は数字がどんどん大きくなっていくが、引き算は数字が小さくなっていくからだ。低学年にとって、数字が小さくなっていくほうが感覚的に楽なのだろう。
 ところで、かれらが身につける「かけ算の九九」は、中国で始まった。
 唐の時代の『孫子算経』という算数の本では、「九九八十一」から「一一如一」まで九九の計算が展開されている。『孫子』では、兵馬の数、武器の数、糧食の量、日数などを計算して戦争の勝敗を予測することを廟算といって重んじているので、数字に弱い軍師や将軍ではそもそもだめなのだ。斉の国(BC1046-BC386)の桓公が「九九之人」を尊んだことも中国の歴史書に記されている。(事実だとすれば、紀元前から九九があったことになる)
 日本では鎌倉時代後期の『拾芥抄』に、「九九」という項目を設け、「九九八十一。八九七十二。七九六十三。六九五十四。五九四十五。四九三十六。三九二十七。二九十八。八八六十四。七八五十六。六八四十八。五八四十。四八三十二。三八二十四。二八十六。七七四十九。六七四十二。五七三十五。四七廿八。三七二十一。二七十四。六六卅六。五六三十。四六二十四。三六十八。二六十二。五五廿五。四五廿。三五十五。二五十。四四十六。三四十二。二四八。三三九。二三六。二二四。一一二※原文ママ」と記している。「一一二」は活字のまちがいかと思ったが、写本を見ても「一一二」であった。
 現代とちがって、中国も日本も九九から数えて、数字が小さくなっていくのは、小学生たちと同じ感覚なのかもしれない。
 九九の項目の前は、物充(重さ)の単位で、「六銖を一分となす。四分を一両となす。十二両を一屯となす。十六両を一斤となす…」とある。
 こうやって過去の書物を見ていると、ずいぶん長い間、わたしたちが数字や単位を使いこなしてきたことがわかる。過去から現在まで、軍事、交通、貿易、土木、水利、農業、産業などが発達すればするほど、算数・数学の学習が必要不可欠になってきた。算木や算盤(さんばん、が転訛して、そろばん)の発明から計算機やコンピューターの発明まで、わたしたちは数字とともに生きてきた。
 数学史や和算の研究家である三上義夫博士(1875-1950)の講演の筆記を読んでいたら、
 「日本の数学者は遊戯的にやる。自分らが数学をやるのは、碁、将棋をやるのも同じである。親には叱られ、友だちには笑われ、人に隠れて習いに行く。そういうことは、和算家の古老たちがよく言っておりました」とあった。
 江戸時代から明治時代にかけて、数学に熱心に取り組んでいた人たちは、現在、ゲームに夢中になっている人たちと同様に、親に注意されたり、友だちにからかわれたりして、肩身の狭い思いをしていたようだ。(君たちがどんなにゲームに熱中しても誰もほめてくれないだろう?)それでも、誰になんと言われようと、数学が大好きだから、どうしてもやめられない。日本独自の数学、和算が発達したのは、日本でゲームが発達したのと、まったく同じ原動力のおかげであった。
 ゲームがない時代、数学はゲームのようなものであった。碁や将棋のように夢中になるものであった。そうわかれば、算数、数学が楽しいものに思えてくるだろう。
 どんな学習も学問も「好きこそものの上手なれ」である。
 さあ、楽しく取り組もう。

学院長 筒井保明

「読み書き算盤」を身につける!

Reading, writing and calculating.

 算数・数学が苦手な生徒たちの最大の弱点は、計算が不正確なこと、計算が遅いこと、計算に労力がかかることだ。計算にエネルギーを使わずに、楽々と問題に取り組むことができるなら、算数・数学の学習は楽しいものになるだろう。
 ゼロを発見した民族であるインド人が理数系の学問を得意とするのは、暗算力のおかげである。
 数学の教師を見ても、問題を解く速度が速いのは、やはり暗算を得意とする教師である。
 山手学院の教師のなかに、4桁×4桁を暗算する強者がいる。全国珠算教育連盟で珠算7段、暗算9段。彼によると、算盤・暗算のメリットは、「計算が速くできる」「大きな数字でも平気になる」「集中力がつく」「数字自体に強くなる」「気楽に計算できる」「大きな桁数の暗算もできる」「日常生活で役立つ」などなど。
 算盤の教育は江戸時代まで遡ることができるが、明治34年に刊行された『女子生涯の務』(的場鉎之助)を見ると、「読み書き算盤」を生涯の初めに学ぶべきことと定めている。読み書き算盤ができないと、生きていくうえで苦しいことになる。読み書き算盤は小学生のうちに習い覚えることであり、成人してからでは難しい。飯を炊くとき、米の洗い方、水加減、火の焚き塩梅、そして火を引くときまで、くわしく教えられたとしても、自分でやってみなければわからないように、「読み書き算盤」は実地実際のことに活用しなければ役に立たない。明治時代の婦人には算術が必要であるとして、記述は、算術(算盤)の説明に入る。
 まず四則として、加算(よせ算)、減算(ひき算)、乗算(かけ算)、除算(わりさん)の基本。
 和算と洋算の別があり、それぞれ利益があるが、日常のことは和算で足りる。
 加算の九九として、「一に九足すの十。二に八足すの十。三に七足すの十。四に六足すの十。五に五足すの十。六に四足すの十。七に三足すの十。八に二足すの十。九に一足すの十。」
 減算の九九として、「一引いて九残る。二引いて八残る。三引いて七残る。四引いて六残る。五引いて五残る。六引いて四残る。七引いて三残る。八引いて二残る。九引いて一残る。」
 このあと、乗算の九九、除算の九九と続く。(乗算の九九は、君たちも身につけている)
 算術は商人の仕事だとか下賤の役割だとかいうのは大昔のことで、明治の御代では、誰もが勤めて算術を学ぶべきであると勧めている。(以上『女子生涯の務』第3章)
 明治時代の人たちは、きっと算術に強かったにちがいない。
 さて、算盤の利点を現代的に解釈すると、「算盤という具体的な道具が数字を抽象化していること」「指を使うことによって数字を体感できること」「算盤の操作をイメージ化することによって脳の働きを活性化すること」「計算が脳の中で自動化されること(高速化されること)」などが考えられるだろう。
 小学生のわたしにとって算盤という道具は戸車のたくさんついたスケートボードのようなものであったが、本来、算盤は計算を抽象化する高度な道具なのである。
 算数・数学を苦手にする生徒たちと接していると、大きな原因が、計算がめんどうだという心理面にあることがわかる。つまり、計算が億劫だから、算数・数学がきらいになっていくのだ。
 和算でも、洋算でも、くりかえしによって計算速度は上がっていく。計算が楽なら、算数・数学に取り組むことがめんどうにならないし、学習が持続できるであろう。
 算数嫌い、数学嫌いにならないために、早い段階で「楽に計算できる力」を身につけておこう。

学院長 筒井保明

やりたいことを見つけよう!

You’ve got to find what you love.

 スタンフォード大学の卒業生たちに向かって、「やりたいことを見つけよう」と励ましたのは、アップル・コンピューターの創業者スティーブ・ジョブズだ。彼自身は、あるカレッジを半年で退学した。理由は、学校に価値が見出せなかったから。このとき、彼は、なにをやりたいのか、まったくわかっていなかった。その後、好奇心と直感が導くままに出会ったものごと(その一つがカリグラフィー=文字を美しく見せるための筆記法)が、将来のある時点で、アップル・コンピューターにつながったとき、無限の価値に変わった。このことをスティーブ・ジョブズは、「点々をつなぐこと」connecting the dotsと表現した。
 空間と時間のなかでものごとが関係することをお釈迦様が縁起と呼んだように、ジョブズは、自分が出会ったものごとが現在や未来のものごとにつながることを「点々をつなぐこと」といった。「先を見て、点々をつなぐことはできない。ふりかえって、点々をつなぐことができるだけだ。君の未来において、なんやかやで点々がつながっていくことを信じるんだよ」
 カリグラフィーを学んでいるとき、それがアップル・コンピューターにつながるとは予想もしていなかった。アップル・コンピューターの開発に取り組んでいるとき、カリグラフィーという点がつながったのだ。
 スピーチのなかほどで死の問題に触れた後、「時間は限られている。他人の人生を生きるな。教条に騙されるな。君の目標を他人に評価させるな。君の心と直感に従う勇気を持て。心と直感は君が何になりたいのか知っているものさ」と若者を励まし、最後に、『全地球カタログ』の編集者スチュワート・ブランドの話をして、その最終巻の裏表紙に早朝の田舎道の写真があり、その下に「ハングリーであれ。バカであれ」Stay Hungry. Stay Foolish.という言葉があるのを紹介して、自分自身と卒業生たちへの締めくくりのメッセージとしている。ハングリーも、バカも、この文脈では、肯定的な意味だ。
 さて、2019年に開校する細田学園中学・高等学校は、ジョブズの「点々をつなぐこと」を踏まえて、ドッツdots教育を行う。教育目標として、学校で体験したことが生徒一人ひとりの未来につながっていくことを目指している。細田学園は、この数年、人気も実績も高くなっている学校であり、中高一貫教育の成果が期待できる学校になるだろう。
 細田学園は、教育内容を明確に示している学校の一つだ。教育方針や教育内容を明示することによって、自然と受験者の層が変わってくる。教育内容が一般的なものであれば受験者は広範囲になるが、教育の特徴がはっきりすると、その方針や内容に賛成する生徒・保護者に絞り込まれてくるからである。
 どちらのほうがいいかというと、教育内容ははっきりしているほうがいい。「やりたいこと」「やりたいことにつながること」がその学校にあれば、志望校として安心して選べるだろう。
 スティーブ・ジョブズがカレッジを退学したのは、やりたいことがなかったからだ。ジョブズは、「やりたいこと」で学校を選ぶべきであったろう。
 中学、高校、大学、大学院…と、上級に上がるにしたがって、やりたいことはより明確になるはずだが、おぼろげであっても、とりあえずであっても、やりたいことを考えてから学校を選んでほしい。「なぜ進学するのか」といえば、その場所が自分の将来につながると判断するからである。
 さあ、やりたいことを見つけよう。行きたい学校を見つけよう。

学院長 筒井保明

教え方も学び方も変わっていく。

Changes in the Teaching and Learning Process

 狭山市智光山公園のこども動物園の目玉の一つは、天竺ネズミのお帰り橋である。小動物との交流スペースから天竺ネズミの小屋まで21メートルの細い橋を渡す。お帰りの時間になると、その細い橋の上をヒョコヒョコと連なって天竺ネズミが渡っていくのだ。
 橋を挟んで、たくさんの子どもたち、保護者のみなさん、若いカップルなどが、次々と小屋に戻っていく天竺ネズミを眺めている。このとき、若いカップルの女性が、「信じられないくらいかわいいわ。キュンとしちゃう」と甘い声を上げると、向かい側の5歳くらいの女の子が、まったく同じ口調で、「信じられないくらいかわいいわ。キュンとしちゃう」と明るい声を上げた。カップルの女性に5歳の女の子が同調したのは、ミラーニューロンという神経細胞の反応だろう。このように、ある状況下で、人に同調することによって、わたしたちは言葉を覚えていく。
 言語のイマージョン教育は、5歳の女の子がカップルの女性から学んだように、その言語の使われる状況のなかでその言語を習得する方法である。
 2019年4月開校、埼玉県初の中等教育学校である「さいたま市立大宮国際中等教育学校」は、英語のイマージョン教育を毎日の学校生活のなかに取り入れる。朝はAll Englishの時間で、校長先生をはじめとして、全員が英語で話すそうだ。つまり、全体として英語が話される状況をつくり、そのなかで英語力を磨いていく。当然、英語だけが話される状況では、誰もがThink in English(英語で考える)になる。日本語が入り込む余地がなくなるのだ。
 イマージョン(全身を水に浸す)というと、わたしは、イエスがヨルダン川の水に浸かって、ヨハネから洗礼を受ける場面を思い浮かべる。英語に全身を浸しているとき、人は、英語を吸収するために、英語を感得するしかない。数学に全身を浸しているとき、人は、数学の世界に入るために、数学を感得するしかない。摂理も、英語も、数学も、感得してはじめて本当に知ることができる。
 たとえば、友だちが誰かにNice to see you.と言っている。その誰かが君に手を差し出して、Nice to see you.と話しかけてきたら、君も反射的にNice to see you.と言って握手するだろう。この状況では、Nice to see you.と言うのだな、と自然に身につくわけだ。つぎに、初めて会う誰かに対して、英語の得意な友だちがNice to meet you.と挨拶しているのを見たら、君もきっとNice to meet you.というだろう。どういう場合がseeで、どういう場合がmeetか、その状況が教えてくれる。
 そして、お互いが顔見知りになったから、それぞれの教室に向かうとき、See you! といって別れる。
 See you soon. See you later. See you tomorrow. See you next week. See you again. というのも、その場の状況が決めるわけだ。経験すればわかることだが、イマージョンで学んでいるとき、日本語はほとんど浮かんでこない。日本語で考えてから、英語で話す、などということは起こらない。英語に対しては、あくまで英語で対応することになる。
 さいたま市立大宮国際中等教育学校は、国際バカロレアも教育の視野に入れている。イマージョン法自体は、イェール大学のFrench in action (1987)のような優れた教材が証明しているように、新しい方法ではない。日本の学校教育が採用しなかったのである。そういう意味では、大宮国際は、公教育の先頭に立つだろう。
 新しい時代を担う君たちにとって、教育が変わっていくことはよいことだ。
 さあ、未来に向かって、しっかり学んでいこう。

学院長 筒井保明

その日をつかめ!

Seize the Day

 君はその日に近づいていく。いよいよ試験に臨むことになる。
 未来に向かうのは君であって、その日をつかむのは君なのだ。
 「その日をつかめ」Seize the Dayという言葉は、いろいろな状況で使われるので、そのときによって意味は異なるけれど、試験に臨んでいるその時こそ、君は「その日」をつかむのだ。
 1976年にノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家ソウル・ベローは、小説の中で、「現在のこの瞬間だよ。過去は役に立たないし、未来は不安に満ちている。でも、現在は現実だ。ここ、と、いま、さ。さあ、その日をつかもうぜ」と登場人物に語らせている。たしかに、目の前に入試問題と答案用紙があるとき、過去も未来もなく、君は、その日をつかむだけである。
 では、その日、その時まで、君はどういう準備をしたらいいのであろうか。学習方法に関してはこれまで何度も書いてきたから、それを読み返してもらいたい。今回は、試験のコンディションづくりである。

1.朝型の生活を守る。
 自分の受験する学校の試験時間を確認して、その時間に意識的に頭を働かせる生活をする。夜型は絶対にだめである。深夜は、睡眠による成長と療養と記憶の時間だ。

2.リラックスしてから、志望校を意識して学習する。
 人は緊張状態では学習を吸収できないし、力をじゅうぶんに発揮できない。学習や試験の前に、いちどリラックスすることが必要だ。ゆっくりと呼吸しながら、肩の力を抜く。そして、リラックスできたら、志望校を意識する。志望校は君の目標であり、目標はやる気を引き起こす。目標に対して取り組もうとすると、脳の中で、やる気分子と呼ばれる神経伝達物質ドーパミンが分泌される。俄然、学習が進むのだ。

3.過去の入試問題に馴染んでおく。
 多くの中学・高校が自校の過去の入試問題を見直して検討し、今年の入試問題を作成する。以前、早稲田の先生方が、「模試なんて見ないし、気にしません。基本的に自校の過去問題を見直して検討し、今年の問題をつくります」と言っていた。豊島岡女子学園の先生方も同じことを言っていた。過去の入試問題に馴染んでおくと、当日、焦らずに済むのだ。焦ると緊張状態を引き起こすので、失敗を誘発してしまう。試験会場に早めにいく。入試問題に馴染んでおく。いずれも緊張しないための方法である。

4.電子機器との接触時間を減らす。
 テレビ、パソコン、ゲーム機、携帯電話などに、長時間、接することは避ける。まず受験学習の時間が削られてしまう。学習後であれば、短期記憶が壊されてしまう。また、就寝前であれば、睡眠ホルモンのメラトニンの分泌を抑えるので、眠りが浅くなってしまう。さらに電子機器の画面を見つめることは、ビタミンやミネラルをかなり消費するという報告もあるので、体調を崩される恐れもある。

5.食事のバランスに気をつける。
 風邪をひきやすい季節であるから、ビタミンやミネラルが不足しない食事をする必要がある。暴飲暴食は、禁止。肉類など消化に時間がかかるものは継続的に血液を胃腸に集めるので、できれば試験前日の夜には避けたい。豚カツは、試験前ではなく、勝ってから、なのだ。

 当日の体調は、実力の発揮を決定的に左右する。試験は試合とまったく同じなのだ。
 君はその日に近づいていく。その日をつかめ。

学院長 筒井保明

学習速度を上げよう!

Speed Up the Learning Process

 遊びたい。でも、お母さんに「宿題をやってから」と命じられている。このとき、小学生は、大急ぎで宿題に取り組むだろう。学習の過程で、大急ぎでやることは、学習速度自体を上げるためにも重要なトレーニングになる。入学試験のように制限時間があるときには、読むのでも、書くのでも、解くのでも、速くやるしかないのだから、「大急ぎでやる」という意識は必要なものだ。
 前号で大宮高校の先輩の話をしたが、彼の最大の課題がこの学習速度である。遅くやればできるのだけれど、物理的な量が多すぎて、終わらない状態になっている。前回、頭をよく働かせる方法は述べたので、今回は、学習速度を速める方法を説明しよう。
 学習は、基本的に運動と同じである。運動も学習も「やる気分子」と呼ばれるドーパミンが脳内に分泌されて起動する。「走ろう」と思って走り出し、「もっと速く走ろう」と思って訓練すると、もっと速く走れるようになる。だから、学習速度を上げたいのならば、「速くやろう」という意志が必要だ。「焦る」「慌てる」は感情に支配された状態なので、むしろ遅くなる。あくまで「速くやろう」という意志で取り組み、もっと速くしたいなら、繰り返し訓練していく。
 神経細胞のレベルでいえば、同じ刺激を繰り返すことによって、神経細胞がシナプス結合を起こす。「学」が最初の刺激、「習」が繰り返しの刺激である。シナプス結合によって、情報の伝達が可能になり、さらに同じ刺激を繰り返すと、神経細胞の軸索に髄鞘ができ、情報の伝達速度がより速くなる。わたしたちの実感では、それまで意識しながらコツコツやっていたことが、何度もやっているうちに無意識に速くできるようになる感じだ。だから、単純な学習は、意識して速度を上げながら、繰り返しやればよい。
 では、複雑な学習は、どうすればいいのだろうか。学習の過程をかんたんに図にまとめたので説明すると、わたしたちは、学ぶとき、目や耳や口や手などを使って学習を知覚する。(知覚されないものは忘れられる)つぎに知覚された学習が稼働記憶・短期記憶として反復される。このとき、長期記憶(すでに持っている記憶)を検索し、長期記憶と照会しながら、新しい学習を確定していく。(不必要なものは忘れられる)新しい学習は、ひとまず短期記憶として海馬に蓄えられる。つまり、目の前の学習とは、長期記憶と関連させながら、新しいもの、身についていないものを短期記憶として準備することなのだ。(短期記憶は、睡眠によって長期記憶になる)
 どの教科であっても、新しいものが多ければ多いほど、反復が必要になり、学習に時間がかかる。長期記憶が豊富であればあるほど、反復されるものが減り、学習時間は短くなる。長期記憶が豊富であるということは、すでに知識や身についていることがたくさんあるということだ。
 結論をいうと、たくさん学習して、知識が増えれば増えるほど、できることが増えれば増えるほど、学習速度が速くなる。誰でも得意な教科の学習速度は速いのだ。
 学習のコツは、竈のご飯炊きに似ている。「はじめちょろちょろなかぱっぱ、ぶつぶついうころ火を引いて、一握りの藁燃やし、赤子泣いても蓋とるな」
 君たちの学習は、まだまだ「はじめちょろちょろ」である。「ぱっぱ」「ぶつぶつ」と沸騰するほど学習して、あとはぐっすり眠ればよい。蓋をとるころ(起きたとき)、君の脳の処理速度は速くなっている。

学院長 筒井保明

ぐっすり眠って、しっかり学習しよう!

Sleep Well. Study Hard.

 大宮高校は、他校に倍加する数学の学習量を生徒たちに要求するので、苦手になってしまうと学習進度についていくことが難しくなる。君たちの先輩の一人が、課題提出が間に合わない状態になってしまって、宿題10問に対して、帰宅後に解けたのが2問、さらに8問を解くために、栄養ドリンクを飲んだり、チョコレートを食べたりして、徹夜で取り組んだが、仕上げることができなかった。「どうしたらいいのか」と、当人はうなだれている。
 大宮高校が数学に力を入れる理由は、東京大学をはじめとして国立大学の合否が数学に左右されるという事実があるからだ。「この春の東京大学の合否はほぼ数学で決まりました」と大宮高校の教頭先生は分析している。だから、大宮高校の生徒であるかぎり、数学との闘いは続く。
「宿題をこなすこともできないなんて…。どうしたらいいのでしょうか?」
「そもそも徹夜が悪い。栄養ドリンクやチョコレートの常習も逆効果になっている。数学に対して、ネガティブな気分で必死にやろうとしている。頭が働かない理由が揃っているのだから、できるはずのものもできない。このままでは悪くなる一方だな」
 君たちの先輩は絶望的な顔をして、頭を抱える。
 そこで、一つ目のアドバイス。
「夜中・深夜・徹夜の学習はやらない。どうしても時間が足りないなら、ぐっすり眠って、朝早く起きて学習する」
 このルールを守るだけでも、ぐんと頭がよく働くようになる。通常、頭も体も疲れて帰宅しているのだから、夕食後、11時を過ぎる程度の学習はよいとしても、さらに栄養ドリンクやチョコレートで元気をつけたつもりになって深夜まで勉強することは、あとで無理が祟ることになる。(この元気は、血糖値が急激に上がったことによる勘違いで、すぐにインスリンによって血糖値が急激に下がり、実際は逆効果となる)
 人は、生活するかぎり、つねに心身を毀損しているので、十分に睡眠をとって、自分自身を修復する必要がある。夜中・深夜(子の刻・午後11時~午前1時/丑の刻・午前1時~午前3時)は、熟睡し、成長ホルモンを分泌させ、傷ついた細胞を修復する時間帯である。また、10代であれば、脳や身体が成長する時間帯でもある。さらに、この時間帯に、短期記憶(その日の学習)が、長期記憶として定着される。だから、この時間帯に睡眠をとらずに勉強していたのでは、心身の疲労も取れず、脳も体も成長せず、学習も定着せず、コンディションが悪くなるばかりである。

 毎日、学校に行くために、朝起きて活動を始める時間に、睡眠ホルモンのメラトニンの分泌がセットされる。君たちを熟睡に導くメラトニンの分泌は、グラフのとおりで、通常の生活をしている場合、夜12時から4時のあいだがピークになる。(小学生は異なる)この時間帯も上記と重なる。
 どの観点から見ても、夜中・深夜は眠るべき時間であって、学習する時間ではない。
 夜中・深夜はぐっすり眠って、朝早く起き、しっかり学習しよう!

学院長 筒井保明