Archive List for 学院長

学院長からのメッセージ 2018 January

その日をつかめ! Seize the Day  君はその日に近づいていく。いよいよ試験に臨むことになる。  未来に向かうのは君であって、その日をつかむのは君なのだ。  「その日をつかめ」Seize the Dayという言葉は、いろいろな状況で使われるので、そのときによって意味は異なるけれど、試験に臨んでいるその時こそ、君は「その日」をつかむのだ。  1976年にノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家ソウル・ベローは、小説の中で、「現在のこの瞬間だよ。過去は役に立たないし、未来は不安に満ちている。でも、現在は現実だ。ここ、と、いま、さ。さあ、その日をつかもうぜ」と登場人物に語らせている。たしかに、目の前に入試問題と答案用紙があるとき、過去も未来もなく、君は、その日をつかむだけである。  では、その日、その時まで、君はどういう準備をしたらいいのであろうか。学習方法に関してはこれまで何度も書いてきたから、それを読み返してもらいたい。今回は、試験のコンディションづくりである。 1.朝型の生活を守る。  自分の受験する学校の試験時間を確認して、その時間に意識的に頭を働かせる生活をする。夜型は絶対にだめである。深夜は、睡眠による成長と療養と記憶の時間だ。 2.リラックスしてから、志望校を意識して学習する。  人は緊張状態では学習を吸収できないし、力をじゅうぶんに発揮できない。学習や試験の前に、いちどリラックスすることが必要だ。ゆっくりと呼吸しながら、肩の力を抜く。そして、リラックスできたら、志望校を意識する。志望校は君の目標であり、目標はやる気を引き起こす。目標に対して取り組もうとすると、脳の中で、やる気分子と呼ばれる神経伝達物質ドーパミンが分泌される。俄然、学習が進むのだ。 3.過去の入試問題に馴染んでおく。  多くの中学・高校が自校の過去の入試問題を見直して検討し、今年の入試問題を作成する。以前、早稲田の先生方が、「模試なんて見ないし、気にしません。基本的に自校の過去問題を見直して検討し、今年の問題をつくります」と言っていた。豊島岡女子学園の先生方も同じことを言っていた。過去の入試問題に馴染んでおくと、当日、焦らずに済むのだ。焦ると緊張状態を引き起こすので、失敗を誘発してしまう。試験会場に早めにいく。入試問題に馴染んでおく。いずれも緊張しないための方法である。 4.電子機器との接触時間を減らす。  テレビ、パソコン、ゲーム機、携帯電話などに、長時間、接することは避ける。まず受験学習の時間が削られてしまう。学習後であれば、短期記憶が壊されてしまう。また、就寝前であれば、睡眠ホルモンのメラトニンの分泌を抑えるので、眠りが浅くなってしまう。さらに電子機器の画面を見つめることは、ビタミンやミネラルをかなり消費するという報告もあるので、体調を崩される恐れもある。 5.食事のバランスに気をつける。  風邪をひきやすい季節であるから、ビタミンやミネラルが不足しない食事をする必要がある。暴飲暴食は、禁止。肉類など消化に時間がかかるものは継続的に血液を胃腸に集めるので、できれば試験前日の夜には避けたい。豚カツは、試験前ではなく、勝ってから、なのだ。  当日の体調は、実力の発揮を決定的に左右する。試験は試合とまったく同じなのだ。  君はその日に近づいていく。その日をつかめ。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 December

学習速度を上げよう! Speed Up the Learning Process  遊びたい。でも、お母さんに「宿題をやってから」と命じられている。このとき、小学生は、大急ぎで宿題に取り組むだろう。学習の過程で、大急ぎでやることは、学習速度自体を上げるためにも重要なトレーニングになる。入学試験のように制限時間があるときには、読むのでも、書くのでも、解くのでも、速くやるしかないのだから、「大急ぎでやる」という意識は必要なものだ。  前号で大宮高校の先輩の話をしたが、彼の最大の課題がこの学習速度である。遅くやればできるのだけれど、物理的な量が多すぎて、終わらない状態になっている。前回、頭をよく働かせる方法は述べたので、今回は、学習速度を速める方法を説明しよう。  学習は、基本的に運動と同じである。運動も学習も「やる気分子」と呼ばれるドーパミンが脳内に分泌されて起動する。「走ろう」と思って走り出し、「もっと速く走ろう」と思って訓練すると、もっと速く走れるようになる。だから、学習速度を上げたいのならば、「速くやろう」という意志が必要だ。「焦る」「慌てる」は感情に支配された状態なので、むしろ遅くなる。あくまで「速くやろう」という意志で取り組み、もっと速くしたいなら、繰り返し訓練していく。  神経細胞のレベルでいえば、同じ刺激を繰り返すことによって、神経細胞がシナプス結合を起こす。「学」が最初の刺激、「習」が繰り返しの刺激である。シナプス結合によって、情報の伝達が可能になり、さらに同じ刺激を繰り返すと、神経細胞の軸索に髄鞘ができ、情報の伝達速度がより速くなる。わたしたちの実感では、それまで意識しながらコツコツやっていたことが、何度もやっているうちに無意識に速くできるようになる感じだ。だから、単純な学習は、意識して速度を上げながら、繰り返しやればよい。  では、複雑な学習は、どうすればいいのだろうか。学習の過程をかんたんに図にまとめたので説明すると、わたしたちは、学ぶとき、目や耳や口や手などを使って学習を知覚する。(知覚されないものは忘れられる)つぎに知覚された学習が稼働記憶・短期記憶として反復される。このとき、長期記憶(すでに持っている記憶)を検索し、長期記憶と照会しながら、新しい学習を確定していく。(不必要なものは忘れられる)新しい学習は、ひとまず短期記憶として海馬に蓄えられる。つまり、目の前の学習とは、長期記憶と関連させながら、新しいもの、身についていないものを短期記憶として準備することなのだ。(短期記憶は、睡眠によって長期記憶になる)  どの教科であっても、新しいものが多ければ多いほど、反復が必要になり、学習に時間がかかる。長期記憶が豊富であればあるほど、反復されるものが減り、学習時間は短くなる。長期記憶が豊富であるということは、すでに知識や身についていることがたくさんあるということだ。  結論をいうと、たくさん学習して、知識が増えれば増えるほど、できることが増えれば増えるほど、学習速度が速くなる。誰でも得意な教科の学習速度は速いのだ。  学習のコツは、竈のご飯炊きに似ている。「はじめちょろちょろなかぱっぱ、ぶつぶついうころ火を引いて、一握りの藁燃やし、赤子泣いても蓋とるな」  君たちの学習は、まだまだ「はじめちょろちょろ」である。「ぱっぱ」「ぶつぶつ」と沸騰するほど学習して、あとはぐっすり眠ればよい。蓋をとるころ(起きたとき)、君の脳の処理速度は速くなっている。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 November

ぐっすり眠って、しっかり学習しよう! Sleep Well. Study Hard.  大宮高校は、他校に倍加する数学の学習量を生徒たちに要求するので、苦手になってしまうと学習進度についていくことが難しくなる。君たちの先輩の一人が、課題提出が間に合わない状態になってしまって、宿題10問に対して、帰宅後に解けたのが2問、さらに8問を解くために、栄養ドリンクを飲んだり、チョコレートを食べたりして、徹夜で取り組んだが、仕上げることができなかった。「どうしたらいいのか」と、当人はうなだれている。  大宮高校が数学に力を入れる理由は、東京大学をはじめとして国立大学の合否が数学に左右されるという事実があるからだ。「この春の東京大学の合否はほぼ数学で決まりました」と大宮高校の教頭先生は分析している。だから、大宮高校の生徒であるかぎり、数学との闘いは続く。 「宿題をこなすこともできないなんて…。どうしたらいいのでしょうか?」 「そもそも徹夜が悪い。栄養ドリンクやチョコレートの常習も逆効果になっている。数学に対して、ネガティブな気分で必死にやろうとしている。頭が働かない理由が揃っているのだから、できるはずのものもできない。このままでは悪くなる一方だな」  君たちの先輩は絶望的な顔をして、頭を抱える。  そこで、一つ目のアドバイス。 「夜中・深夜・徹夜の学習はやらない。どうしても時間が足りないなら、ぐっすり眠って、朝早く起きて学習する」  このルールを守るだけでも、ぐんと頭がよく働くようになる。通常、頭も体も疲れて帰宅しているのだから、夕食後、11時を過ぎる程度の学習はよいとしても、さらに栄養ドリンクやチョコレートで元気をつけたつもりになって深夜まで勉強することは、あとで無理が祟ることになる。(この元気は、血糖値が急激に上がったことによる勘違いで、すぐにインスリンによって血糖値が急激に下がり、実際は逆効果となる)  人は、生活するかぎり、つねに心身を毀損しているので、十分に睡眠をとって、自分自身を修復する必要がある。夜中・深夜(子の刻・午後11時~午前1時/丑の刻・午前1時~午前3時)は、熟睡し、成長ホルモンを分泌させ、傷ついた細胞を修復する時間帯である。また、10代であれば、脳や身体が成長する時間帯でもある。さらに、この時間帯に、短期記憶(その日の学習)が、長期記憶として定着される。だから、この時間帯に睡眠をとらずに勉強していたのでは、心身の疲労も取れず、脳も体も成長せず、学習も定着せず、コンディションが悪くなるばかりである。  毎日、学校に行くために、朝起きて活動を始める時間に、睡眠ホルモンのメラトニンの分泌がセットされる。君たちを熟睡に導くメラトニンの分泌は、グラフのとおりで、通常の生活をしている場合、夜12時から4時のあいだがピークになる。(小学生は異なる)この時間帯も上記と重なる。  どの観点から見ても、夜中・深夜は眠るべき時間であって、学習する時間ではない。  夜中・深夜はぐっすり眠って、朝早く起き、しっかり学習しよう! 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 October

心を落ち着けて、学習に取り組もう! Learn with composure.  山手学院新河岸校が新しい校舎に移転開校した。新河岸校が開校したのは1986年だから、地域の子どもたちとともに一世代を歩んできたことになる。これから、次の世代が新しい校舎で学んでいく。  新河岸川は、伊佐沼を起点に、荒川と並行して流れる。江戸時代から明治時代にかけて、新河岸川は舟運で賑わい、新河岸川の仙波、川越五河岸、福岡などの河岸から、隅田川の千住、花江戸の河岸まで、37ヵ所の河岸が存在した。大正時代に入って鉄道に代わられるわけだが、東上鉄道(東武東上線)敷設に大きく貢献したのが、福岡河岸で回漕問屋「福田屋」を営んでいた、衆議院議員の星野仙蔵(1870-1917)である。仙蔵は、小野派一刀流剣術免許皆伝であり、埼玉県立川越中学校(現・川越高校)の武術嘱託教師でもあった。  川越中学校の生徒たちへの剣術教練は、『練膽操術』という書籍にまとめられている。柔道家の嘉納治五郎が序を寄せ、「体育法は筋肉を円満に訓練し、健康を増進するをもって、主要なる目的とす。その方法種々ありといえども青年をして深く趣味を感ぜしめ実行の念を強からしむるに欠くべからざる要件二あり。その一は直接利益を予期せしむることにして、その二は勝敗を決することなり」と書き、この二要件を備えたものとして柔道と剣道を推奨している。  『練膽操術』では、不動精眼の構えが基本となる。左足を右足に引き付け、両肘を軽く体に接し、切っ先を目の高さにすると同時に左手をもって柄頭を握る姿勢である。  この基本の構えから、刀を円相に開き、上段から右左の下段に構え、右左八相、右左斜めの構えをとる。さらに、右左に霞め、面を防ぎ、もろ手に突き、入り身に構え、脚を曲げて龍尾に打つ。  「龍尾に打つ」とは、面を防ぎつつ相手の胴あるいは足を切ろうとしてさらに面に打ち込む挙動のようだ。また、「面を防ぎ、前を蹴れ」という挙動もある。   練膽操術によって、練膽、礼儀、廉恥、忍耐、規律の諸徳を養うことができると川越中学校の校長も認めていた。  星野仙蔵が営んだ福田屋は、現在、ふじみ野市立福岡河岸記念館として残っている。玄関を入って、すぐに商家の帳場があり、大福帳が開かれている。その奥の間に「神道無念流道場壁書」が掛けられている。仙蔵自身、神道無念流の免許を持っていた。  壁書を要約すると、「天下のために文武を用いるのは、治乱に備えるためだ。治にも乱を忘れず。だから、武芸を一時も廃してはならない。そもそも剣は死生を瞬息の間に決する業であるから、その技法に精通する必要がある。とことん学び、極めることを願うべきだ。武は戦を止める業であるから、一、争う心があってはいけない。心の和平が必要だ。短気で勝手な人は剣を知らないほうがよい。一、正しい行いの上に武がある。行いが正しくない人の武は害だ。一、正義に用いれば武の徳であり、不正に用いれば暴力だ。一、喧嘩や口論をするな。個人の意趣や遺恨に用いるな。一、堪忍の二字はすべてに共通するが、怒りを抑えるのが第一だ。一、他流の悪口をいうな。剣を知らない人に向かって、武芸を自慢するな。いたずらに技量を争い、誉れを競うのは、いやしい心だ。」  神道無念流の「無念」は、「自我に囚われるな」ということである。  剣や武を「学習」と置き換えても同じだろう。自分の心を落ち着けてから、学習に取り組んでほしい。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 September

勝つことの意義 The real meaning of winning  勝つことの本当の意義は、自分に勝つことである。  難しい言葉でいうと、「克己」。そして、正しく自分自身に勝ち続ける行為のことを「精進」という。  目標に向かう人にとっての最大の問題が、「続けること」の難しさなのだ。  君の体も心も、常に変化している。固定された永遠のものはないから「自我」は存在しないとするのが仏法だけれど、それでも、いま、ここに、君はいる。いま、ここにいる自分を宇宙と一体のものだと観ずることができれば悟ったようなものだけれど、当然のことながら、それは続かない。なぜなら、生きている以上、お腹もすくし、眠くもなるし、誰かに話しかけられるし、楽しみたくもなるからだ。  宇宙や世界の成り立ちを悟ったお釈迦様が、弟子たちに正精進(正しく取り組みを続けること)を厳しく教えたのは、人の体も心も変化してしまうこと、そして、正しい取り組みを「続けること」がいかに難しいかを痛感していたからだろう。  「続けること」が、生きることの要なのだ。  したがって、わたしたちの立場でいえば、まず自分の目標を認識し、目標を達成するために学習の取り組みを続けることが重要になる。なにも目標がなければ、そもそも目標に向かう行動が起こせない。また、目標に向かって行動を起こしたとしても、目標を達成するまで行動を続けなければ、途中であきらめることになる。  いいかえれば、目標を達成するまで続ければ、君は目標を達成できるのだ。  さて、学習の取り組み方にも正しい方法と誤った方法がある。  根本的なことをいうと、正しい自己イメージを持っているか、誤った自己イメージを持っているか、の違いである。  夏期勉強合宿の最終日の朝、中学受験生に対して、  「学習中の自分をふりかえると、できる自分とできない自分が存在していたと思います。学習者の姿勢としては、できる自分が本物の自分で、できない自分は偽物の自分だと思っていいでしょう。できる自分が学習すれば、目の前の学習はできるようになりますが、できない自分が学習すると、なかなかできるようになりません。なぜなら、人は、自己イメージにしたがって、考えたり、行動したりするからです。できる自分がイメージできれば、きっとできるようになります。いつでもできる自分を選んでから、学習してください」  という話をした。中学生に対しては、ユーモアで「おれは油虫…」、悪い例で「わたしはダメな自分…」と思ったあとで、「…ではない!」と打ち消そうとしても、頭の中の油虫やダメな自分はなかなか消えないから、最初から「できる自分」をイメージして学習するように勧めた。「レモンじゃない」といっても、レモンを想像すると、唾が出てしまうのと同じで、できない自己イメージは危険なのだ。  君は、できる。目標を達成するまで、取り組みを続けることができれば、君は目標を達成する。  競争のなかには、たしかに勝敗というものがあるけれど、勝つことの本当の意義は、勝敗にはない。目標に向かって取り組みを続けることによって、本当の意義がわかるときが来る。  自分を信じて、正しい取り組みを続けていこう。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 June

自分のゴールを達成する! Achieve your goals !  夏期講習パンフレットの表紙に、「君の目標と意志/未来の自分に“いま”をつなぐ!」というタイトルをつけた。  タイトルを考える前に、まず、夏期講習で学習に取り組む君たちをイメージした。  君たちが学習をとおして立ち向かっているのは、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの言葉を借りれば、君の「意志と表象としての世界」である。  意志とはなにか。ショーペンハウアーは、人や自然を「生きるための意志の表現」であるととらえた。「生きたい」「成長したい」「食べたい」「飲みたい」「学びたい」「持ちたい」「なりたい」など、自ら求める「…たい」は、すべて意志である。  表象とはなにか。表象は、人の認識を通して目の前に表現された世界である。もっとかんたんにいうと、人というフィルターを通して見えている世界である。じじつ、わたしたちに見えている世界は、現実そのものではなく、わたしたちの五感(脳)をとおして認識され、再構成されている世界である。つまり、同じ場所、同じ時間であっても、一人ひとりに見えている世界は違う。  だから、君が「できるようになりたい」と思って一生懸命に学習しているとき、君は、君自身の「意志と表象としての世界」に直面しているのだ。  たとえば、球技でも、武道でも、芸事でも、研究でも、趣味でも、ある人が無我夢中で取り組んでいるとき、その人はその世界に没頭しているといわれる。なぜなら、ある自己イメージをもって、やりたいことをやっているからだ。ヒットを打つ自分、ゴールを決める自分、一本をとる自分、うつくしく踊る自分、新事実を発見する自分、鯛を釣り上げる自分…それぞれの自己イメージにつながる「なにか」を実行しているので、とことんやれるのだ。  どの分野であっても、目標は、人の表象(世界)を変える。本気の目標ができると、「達成したい」という意志が自然に生まれくる。  「未来の自分に“いま”をつなぐ!」は、「目標と意志」を形にすることを強調した言葉だ。未来の自分とは、いいかえれば、「目標」にほかならない。  生命が時間とともにある以上、人が生きるのは「いま」(現在)である。時間をさかのぼって過去を生きなおすことはできないし、時間をとびこえて未来を先に生きることもできない。人はつねに「いま」を生きている。  この「いま」を未来の自分につなげることが、目標達成の方法なのだ。  君は、いま、目標につながる「なにか」をやっているだろうか。やっているなら、目標達成に近づいていくが、やっていないなら目標達成は無理だろう。たとえば、つぎの定期テストで100点をとりたいなら、いま、100点につながる「なにか」をやっていることが求められる。また、受験生が志望校に合格したいなら、いま、合格につながる「なにか」をやっていることが必要である。どんな目標であっても、それを意識したとき、その目標に「いま」をつなげることが達成の秘訣である。  「未来の自分に“いま”をつなぐ!」とは、目標につながる「なにか」を実行することだ。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 July

君には大きな可能性がある。とことん学んでみよう! You have great possibilities. Study thoroughly!  可能性とは、「ありうること」「起こりうること」だから、「君に可能性があるのか」と問われれば、100%、君に可能性はある。君次第で、どんなことでも起こりうる。  本来的な意味であれば、「君が目標を達成できる可能性は70%、目標を達成できない可能性は30%」のように使うわけだが、「あした、天気になあれ」の天気が「いい天気」のことであるように、「君には大きな可能性があるぞ」の可能性は「いい可能性」のことだ。  先日、授業後、小柄な男子生徒から、 「夏休みのあいだ、夏期講習でも、夏期合宿でも、家庭学習でも、全力で取り組んだら、ぼくはどれくらいできるようになるでしょうか?」と質問された。 「自分でできるようになりたいと思うだけ、できるようになるよ」 「具体的にはどれくらいですか? ぼくはいま偏差値58くらいなんですけれど…」 「どれくらいの偏差値にしたいのかな」 「65くらい…」 「それじゃあ、65くらいになるよ。君が本気ならね。でも、それじゃあ、ものたりないな。とりあえず、75を目指すか」 「え!」男子生徒は驚いたようだ。 「偏差値は、参加者全体のなかでの自分の位置をあらわしているものだ。たとえば、10,000人のマラソン選手がいるとして、あるレースで、おおざっぱに、700位以内であれば偏差値65以上、1,600位以内であれば偏差値60以上、3,100位以内であれば偏差値55以上、といった評価になる。偏差値は、ある時点、あるレースにおける結果の評価で、つぎのレースにとっては参考値でしかない。つぎのレースまで、しっかりトレーニングを重ねれば、当然、結果は変わるだろう。せっかく練習するなら、1番を目指してもいい」 「58くらいなら、9月にはどれくらい上がりますか?」 「君の決意次第で、5アップするか、10アップするか、15アップするか、わからない。でも、これから君が本気で取り組むなら、アップすることだけはまちがいない。君には大きな可能性があるのだから、とことんやってみることだ」  じっさい、夏休みのあいだ、君が目標をもって、日々つとめるならば、君の学力は、ある日、飛躍的に伸びる。この「ある日」が、30日後なのか、60日後なのか、100日後なのかは、予測できない。なぜなら、君の学習量が、いつ上昇曲線を描く閾値を超えるのか、わからないからである。  専門的には、学問も芸事も職業も10年間の自主的な取り組みによって、ほとんどの人が教える側になれるくらい上達するものだ。学校の学習は基本的なものであるから、できるまでやれば、その学年のうちに必ずできるようになる。君ができないものが学校の学習内容になるはずがない。  男子生徒は「全力で取り組みます」と宣言してくれた。  わたしは、彼が小柄なことを密かに気にしていることを知っているので、 「受験生であっても、夜12時前に就寝して、熟睡することだ。熟睡中に成長ホルモンが分泌されて、背も高くなる。しっかり学習したら、ぐっすり眠る!」  夏は、大きな成長の季節なのだ。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 May

君は君のことをやる! You do your thing !  人と人との関係を「縁」という。「因縁果」(原因・縁起・結果)の「縁」であり、縁がなければ因も果もない。お釈迦様の悟りは、この「因縁果」を「空」と達観したことである。  「袖振り合うも多生の縁」という。私たちの悩みや苦しみの多くは、この多生の縁によって生まれる。  まず親子から始まり、兄弟や姉妹、友だち、学校生活や社会生活の中で出会う多くの人たち…  人は、基本的に人間関係で悩む。  悩みのもとは「縁」だ。だから、「縁」を制御できれば、悩みは消えるだろう。すくなくとも、悩みが薄くなるはずである。  では、悩みの「縁」とはなんだろうか? 人の「心」である。「なぜこうした状況が起こったのか」を解釈する人の考え方・受け止め方(ビリーフ、文章記述)が悩みをつくる。  仮に、目の前に、宿題を忘れた生徒たちに対して、猛り狂っている先生がいるとする。  ある生徒は涙を浮かべてうなだれている。ある生徒はうろたえて不安におびえている。ある生徒は反発してにらんでいる。ある生徒はあらぬ方向を見ている。ある生徒は冷静に叱責を聞いている。  かれらの反応の違いは、「できごとに対する考え方・受け止め方」(ビリーフ)の違いなのだ。  心理学者のアルバート・エリス博士は、この過程をABCモデルとして、 A 出来したできごと(Activating Event)あるいは、逆境(Adversity) B 考え方・受け止め方(Belief) ある状況に立ち至った理由に対する説明のつけ方 C 結果(Consequence)「考え方・受け止め方」が引き起こした感情や行動  とした。(仏教では、A原因、B縁起、C結果となる)そして、B「考え方・受け止め方」を書き換えることによって、ストレスや逆境 に対応しようというのが、エリス博士の心理療法である。  上記の例でいえば、「生徒たちが宿題を忘れたことによって、先生が猛り狂っている」という事実(A)→「先生が猛り狂っているのは大人げないが、宿題を忘れた私たちの将来を案じるあまりであろうから、非は私たちにある」という考え方・受け止め方(B)→「先生が落ち着くのを待って、先生に謝る」という結果(C)、のようなA→B→Cが望ましいところであろうか。  以上のように、何が起きた(A)としても、君は自分の考え方・受け止め方(B)を選択することができる。その選択によって、君の対応や解決法(C)が決まる。  くよくよと悩むということは、(B)の考え方・受け止め方に問題があるのだ。悩むのではなく、君の考え方・受け止め方をチェックして書き換えれば、悩みは消えていくだろう。  心理学者のフレドリック・パールは、人間関係について、つぎのようにいう。 私は私のことをやる。君は君のことをやる。I do my thing and you do your thing 私は、君の期待に応えるために存在するわけじゃない。I am not in this world to live up to your expectations 君は、私の期待に応えるために存在するわけじゃない。and you are not in this world to […]

学院長からのメッセージ 2017 April

自分に確信を持つこと! Affirm Yourself !  西洋の人の思考の根底に、イエス・キリストの言葉が生きている。西洋の人の言動に接していると、ときどき、その事実に気づいて、驚くことがある。  ひとが、イエス様、お釈迦様というとき、イエスその人、シッダールタその人を指すが、キリストやブッダと呼ぶときには、その人があらわした現象や思考や影響などを含めた全体を指すことになる。だから、イエスの生涯やシッダールタの生涯はあっても、キリストやブッダの生涯はない。キリストやブッダは「永遠」であり「常在」である。  さて、なぜ、こんな話を始めたのかというと、イエスのように確信をもって君たちに「学習の心得」「受験の心得」を説きたいからだ。  いうまでもなく、入学試験には、「合格」もあれば、「不合格」もある。くやしいのは、「不合格」にきまっているが、不合格の理由が学力不足であるなら反省して再起すればよい。ところが、多くの場合、不合格の理由が「心理」であるから、悔やまれてしまう。  試験会場で、入試問題に向かったとき、「できる」と確信したなら、君は自分の力をじゅうぶんに発揮できる。いっぽう、「できないかも…」と不安になったなら、君は自分の力を出すことができない。  これは、「ホームでリラックスした状態で試合に臨める」サッカー選手と「アウェイで緊張した状態で試合に臨まなければならない」サッカー選手の違いでもある。応援される選手は、脳が十全に機能するから、心身ともに活発に動く。ブーイングされる選手は、脳が機能しなくなるから、心身ともにこわばってしまう。  試験会場で、「できる」と確信した君の脳は、よく働く。「できないかも…」と不安になった君の脳は、残念なことに、停止してしまう。そして、この「不安」が、不合格の原因になる。  「不安」は、学習や受験の役には、まったく立たない。「不安」は、妨げでさえある。そういっても、現実を直視すれば、だれだって不安になるし、疑いを持つ。現実に目をつぶって「だいじょうぶ」と信じても、それはごまかしているだけだ。あくまで、現実を見て、自分の目標を考えて、「だいじょうぶ」と自分の中で確信を持つことが必要である。  では、どうすればいいだろうか。ふだんから、学習に取り組む前に、自分に対して「君はできる。だいじょうぶ」と太鼓判を押してから、学習を始めるようにする。テストの前に、自分に対して「君はできる。全力でやるだけだ」と確認してから、問題を解き始めるようにする。これをくりかえして習慣化してしまえば、入学試験のときにも、自然と「君はできる。全力でやるだけだ」と自分に気合を入れることができる。「確信」を持つと、人は、本当に強くなる。  イエスが人々の不安や疑いを強く戒めたのは、盲信させるためではなく、確信させるためだった。「確信」が、イエスの方法である。  マルコによる福音書のなかで、イエスは、 「よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」といった。イエスは、世界最高のコーチの一人だ。  「必ず成る」と信じて、学習に取り組むこと。これが、第一の学習の心得である。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2017 March

新しい学年の第一歩 The first step in the new grade  君は、自分の未来をプラスと見ているだろうか、マイナスと見ているだろうか?  まさか、小学生や中学生の君が、自分の未来をマイナスと見ているはずはないだろうから、君の未来は、いうまでもなく、プラスだ。つまり、未来の君は、現在の君よりも、さらにすばらしい。  では、自分の未来に、君は、なにをプラスするのか?  もし、すぐに答えられないとしたら、君は、まだ自分の目標を明確にしていないのかもしれない。  たとえば、君が公立U高校に進みたいという目標をもっているとすれば、まずプラスするべきものは、通知表の評価ということになるだろう。小学生なら、通知表の全教科の各項目をできるだけ多く「よくできる」にすることであるし、中学生なら、通知表評定を9教科合計40以上にすることだ。(小学生の「よくできる」は、中学生のAや◎の評価に相当する。全項目「よくできる」であれば、その教科の評定は5段階評価の5となる)  そして、入試当日までに、U高校に合格するための学力、つまり、U高校が求める以上の学力をつくっていくことになる。  君の目標は、君がやるべきことを示してくれるのだ。  中学受験・高校受験・大学受験であっても、英語検定・漢字検定・数学検定であっても、さらに、さまざまな資格試験であっても、目標や期限がはっきりしていれば、具体的にやるべきことは、すぐに決まる。  しかし、もっと未来の、もっと大きな目標となると、最初はおぼろげな方向性だけで、具体性はないだろう。それでも、そのおぼろげな方向性に沿って前進していけば、次第にやるべきことが具体的になってくる。そして、やるべきことが具体的にわかったとき、じつは、君は目標達成に近づいているのだ。(なぜなら、君がそれを実行するなら、目標は達成されるだろうから)  新しい学年の第一歩は、君の未来への第一歩でもある。そう考えれば、1学期の学習をおろそかにすることはできないだろう。なにをするにしても、最初が肝心なのだ。  まず、君は、すべての教科をとことん学ぼう!  学問は、本来、一つといえるのだけれど、研究や探究のためにさまざまな分野に分化されてきた。逆に見れば、どの分野も、どの教科も、学ぶ人によって統合的にとらえなおすことができる。  中学校で主要5教科と呼ばれる国語、数学、理科、社会、英語、そして、副教科と呼ばれる音楽、技術家庭、保健体育、美術。どれも重要だけれど、すべての学習の前提として、国語と体育にしっかりと取り組みたい。言語と非言語をそれぞれ代表するからだ。脳は、言語能力と身体能力を培うことによって、その力をじゅうぶんに発揮できるようになる。  学習というと、どうしても言語に偏ってしまいがちだが、じつは、非言語の能力が学習の根幹に必要なのだ。人のほんとうの賢さは、体育、音楽、技術家庭、美術など、副教科の学習によって鍛えられる。入学試験に代表されるペーパーテストにこだわり過ぎて、副教科をおろそかにすることは、君の能力を鍛えるチャンスを失うことを意味するだろう。  1学期のあいだ、すべての教科に積極的に取り組んでみてほしい。そうすれば、すべての教科に相乗効果が生じて、学力がグンと伸びることを実感できるはずだ。  さあ、君の未来に向かって、新しい学年の第一歩を踏み出そう。 学院長 筒井保明