Archive List for そろばん通信

そろばん通信|2022年1月号

そろばんと算数・数学の関係?  中学生の保護者と話しているとき、お母さんが、ふと、 「うちの子は、数学が嫌いなんです。本人がいうには、お母さんが、無理やりソロバンを習わせたから、数学が嫌いになったんだって、主張します。わたしは、本人のためを考えて、ソロバンを習わせたのですが・・・」  と愚痴をこぼしました。 「そろばんを習ったから、算数・数学が嫌いになるなんてことは、ありません。数学嫌いの言い訳として、そろばんを口実にしているだけです。でも、ひとつ、問題なのは、〔無理やり〕という部分ですね。そろばんに限らず、無理強いされると、ほとんどの場合、子どもはそのことが嫌いになります。学習でも、スポーツでも、習い事でも、いやいややっていると、その取り組みに対して、いやなイメージが定着してしまいます。子どもに練習を無理強いするタイプのコーチにスポーツを習うと、そのスポーツが上手にならないだけでなく、そのスポーツを嫌いになってしまいます。たぶん、お子さまは、厳しいだけの先生に習って、いやな気分のままソロバンを練習していたのかもしれませんね」  わたしがそう話しますと、お母さんは、思い当たることがあるようでした。  なんどもいっていることですが、学習や練習の前に、かならずリラックスした状態をつくることが必要です。  ところが、スパルタ型の先生は、子どもたちを緊張させた状態で、学習や練習に取り組ませることが多い。すると、脳の偏桃体という部位がいやな感情を増幅させて、データを処理する海馬という部位の働きを止めてしまいます。つまり、ブレーキをかけながら、学習したり、練習したりすることになります。  とうぜん、楽しいはずがありませんね。  みなさんは、楽しく、そろばんに取り組んでいますか? 楽しく取り組めているかぎり、そろばんで培った計算力は、算数・数学に対する強力な味方になります。  さて、そろばんと算数・数学の関係ですが、筆算による計算は、脳にとって言語的な処理になります。ですから、筆算は、女性の脳のほうが強いでしょう。いっぽう、そろばんによる計算は、イメージ的な処理になりますから、男性の脳のほうが強いかもしれません。  以前は、言語処理は左脳、イメージ処理は右脳、といわれていましたが、どちらの処理にも左脳・右脳ともに関わっていますので、左脳・右脳の機能は、あくまで脳の傾向です。ひとによっては、左右の働きが逆の場合もあります。  女性の脳に弱点があるとすれば、空間認識能力がやや未熟であることでしょう。これは狩猟時代の先祖たちからの影響で、女性が自然空間のなかを狩りで飛び回らなかったことが遠い原因のようです。でも、男女に関わりなく、小学生の脳は柔軟ですから、傾向として苦手なことも訓練によって克服できます。たとえば、同時通訳など、言語の変換は女性の脳のほうが優位ですが、女性に負けない男性の通訳者もたくさんいます。重要なことは、生まれつきの差ではなく、学習や練習なのです。  そろばんの練習は、言語操作である計算をイメージ(そろばんの盤面は、数字ではないので、イメージ)で行いますから、空間認識をする部位(右脳の前方)をしっかりと使います。そろばんによって左脳と右脳の両方が鍛えられるわけですね。  みなさんは、せっかく脳を鍛えたのですから、算数の問題にもしっかりと取り組みましょう。算数が嫌いな子どもの多くは計算が苦手ですが、みなさんは計算に強いのですから、算数の問題にたくさん取り組めるはずです。もし図形の問題が苦手だとしたら、まだ、二次元空間、三次元空間に慣れていないだけですから、たくさん問題を解けば、どんどんできるようになります。  そろばんで培った力を算数や数学の世界に活かしましょう! 山手学院 学院長 筒井保明

そろばん通信|2021年12月号

そろばんは練習だ!  そろばん学習の基本は「練習」です。そろばんは、「勉強」ではありません。  「勉強」ということばは、もともと漢語(中国の昔の言葉)で、『礼記』や『中庸』という書籍に出てきます。みなさんにわかりやすくいえば、「勉強」は「しぶしぶやる」「いやいややる」「無理してやる」といった感じです。ですから、「勉強しろ」といわれると、みなさんも、いやな気持ちになるでしょう?  ちなみに関西の問屋街などで、「勉強してや」というと、「安くして」という意味になります。いまでは年配の人しか使わないようですが、「勉強してほしいなあ」といわれた問屋の主人は、そろばんの玉を弾いて、「これで、どないや」とそろばんの盤面を客に見せます。望みの金額になっていると、客は笑顔になって、交渉が成立します。「おおきに(ありがとう)」です。でも、値切られた主人の心のなかは、「しぶしぶ」「いやいや」「無理して」でしょう。だから、「勉強」というわけですね。  いっぽう、「学習」ということばも漢語で、『礼記』に出てきます。わたしたちには、中学校で学ぶ『論語』の冒頭「学びて、ときにこれを習う。また、悦ばしからずや」でお馴染みのことばです。孔子は「学習って、たのしくて、うれしいものだよね」といっています。ですから、わたしは、「勉強」ということばを使わず、「学習」ということばを使います。  ともあれ、そろばんは、けっして「勉強」ではないことをわかってください。  そもそも「しぶしぶ」「いやいや」「無理して」そろばんを練習しても、思うように上達しません。学校の学習であっても、スポーツや習い事であっても、「しぶしぶ」「いやいや」「無理して」やっても、なかなかうまくなりません。  なぜなら、みなさんが「しぶしぶ」「いやいや」「無理して」やっているとき、みなさんの脳は、感情をつかさどる偏桃体という部分が優位になっていて、学習をつかさどる海馬という部分にブレーキがかかっています。つまり、「しぶしぶ」「いやいや」「無理して」は、ブレーキをかけながら、自転車をこぐようなものです。当然、前に進みません!  これが、「勉強」が非効率で、「学習」が有効な理由です。  さて、そろばんの学習の秘訣は、「少しずつ何回も」です。そろばんの計算方法を理解したら、あとは練習を重ねます。練習すればするほど、そろばんの計算は、正確で速くなります。  そろばんの計算方法を理解した段階では、脳の神経細胞が情報伝達経路としてシナプス結合した状態です。このとき、神経細胞の軸索にまだ髄鞘(ミエリン鞘)はできていません。おなじ刺激をくりかえしますと、髄鞘化され、情報の伝達速度が加速されます。  そろばんも、学習も、スポーツも、芸術も、はじめのころは、意識的に取り組むしかありませんので、ゆっくりと時間がかかります。ところが、おなじ刺激をくりかえしているうちに、おなじ動作なら、どんどんと速くなります。これが練習の成果です。  もし、みなさんが、自分のそろばんの速度に満足していないなら、まだまだ練習が足りないだけです。正確で速いそろばんは、練習によって実現できます。  そういっても、最初は、ていねいに基本を学ぶこと! まちがえて学んでしまうと、練習しても成果が上がりません。「学びて、ときにこれを習う」です。  たのしく学んで、「少しずつ何回も」そろばんを練習しましょう。 山手学院 学院長 筒井保明

そろばん通信|2021年11月号

そろばんでどこまで計算できるの?  みなさんのおじいさん・おばあさんの子どものころは、そろばんという道具は、現在より、もっと身近なものでした。算盤には大きなものから小さなものまで、また長いものから短いものまで、本当にさまざまな種類のものがあって、わたしの家にも、商売をしていたせいか、碁石ほどの大きさの玉をつらねた木製のそろばんから、手のひらサイズの華奢な小さなそろばん、また、一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭(𥝱)、穣、溝、澗まで計算できる長さのものまで、さまざまなそろばんがありました。ただし、わたしの場合、そろばんとして用いられることは少なくて、たいてい、現在のブレードボードや、むかし流行ったローラースケートのようなものになっていました。  ところで、漢数字の桁をアラビア数字で表しますと、下記のようになります。 一 1 十 10 百 100 千 1,000 万 10,000 億(万万) 100,000,000 兆(万億) 1,000,000,000,000 京(万兆) 10,000,000,000,000,000 垓(万京) 100,000,000,000,000,000,000  一般的な23桁そろばん、少し長い27桁そろばんのどちらでもまだ計算できますね。  垓のつぎの秭(𥝱)になりますと、万垓ですから、1,000,000,000,000,000,000,000,000となり、23桁そろばんではもう計算できません。  わたしの手元にある明治時代に出版された『算盤の独稽古』篠田正作著(算盤を一人で練習するための手引き書)には、覚えるべき暗記数目として、〔基数〕一、二、三、四、五、六、七、八、九、〔大数〕一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭(𥝱)、穣、溝、澗、〔小数〕分、釐、毫、絲、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠 を上げています。使わない単位を覚えよとはいわないでしょうから、きっと使う機会があったのだと思います。  ちなみに、当時、江戸時代からの習慣で、奇数は、半目の数、偶数は丁目の数といいます。さいころを二つ振って、偶数か奇数かを争う「丁か半か」はここから来ています。  ともあれ、よほどの関心がないかぎり、むかしの手引き書を読む必要はありません。なぜなら、『算盤の独稽古』に書かれていることの多くはもう必要でないからです。  たとえば、着物を作るのに使う布のことを反物(端物)といいますが、「一反は二丈六尺のものあり、または二丈七尺、二丈八尺等種々あり」とあいまいに書かれています。丈は十尺、尺は十寸。寸は、中学生になると、『竹取物語』で約3.03cmと覚えることになります。かぐや姫の身長が3寸ばかりで、約9㎝。ですから、二丈七尺は約8m18cmだと計算できますが、現在ではあまり役に立ちませんね。(でも、古文をはじめとして、十進法によるメートル法が採用される以前の書籍を読むためには必要です)  みなさんもとても長い算盤を目にする機会があるでしょう。長いのは、大きな数を計算できるようにするためです。25桁の秭(𥝱)の先には、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数と続きます。そろばんの長さをどんどん長くしていけば、時間はものすごくかかるでしょうが、数字がそこにあるかぎり、そろばんの計算は可能なのです。 山手学院 学院長 筒井保明