「練習する」という能力
The Ability to Practice
「能力」という言葉は、「できる力」という意味である。生まれつきできることもあれば、学習によってできるようになることもある。ひとの場合、他の動物とちがって、学習によってできるようになることのほうが圧倒的に多い。たとえば、多くの動物は生まれてからすぐに立ち上がって歩けるようになるけれど、ひとは歩くためにも学習が必要であるから、匍匐、這い這い、起立、歩行まで、ずいぶん時間がかかる。もし、この学習の過程を失ってしまうと、ひとは歩けない。這い這いも、よちよち歩きも、重要な学習なのだ。
さて、「得意な生徒」と「苦手な生徒」のちがいは、もしかしたら、「練習能力」の差ではないだろうか。ここで「できる」「できない」という分け方はしない。なぜなら、学習する能力はだれにも生まれつき備わっているから、学習に関しては、「比較的に得意」と「比較的に苦手」があるだけだから。
なぜ「比較的に得意」と「比較的に苦手」が生じるのだろうか。
生活習慣や学習方法※などの問題が横たわっていることもまちがいないだろうけど、中学生や高校生の場合、小学生のときに身につけるべき「練習能力」の強弱が学習に影響しているように思われる。
どういうことかというと、「比較的に苦手な生徒」は、飽きっぽい。くりかえしてやることに耐えられずに、学習をかんたんに投げ出してしまう傾向がある。
いっぽう、「比較的に得意な生徒」は、くりかえしてやることに耐えられるので、学習が身につくまで続けられる。
この「くりかえしてやることに耐えられること」を「練習能力」というのだ。
幼児の行動をよく観察していると、「よく、まあ、飽きもせず、おなじことをくりかえしているなあ」と感心するだろう。「単純なことのくりかえしに耐えられる能力」をかれらは持っている。小学生にもこの能力はある。
ところが、大人になればなるほど、くりかえしてやることが耐えられなくなる。単純なことをくりかえすことにすぐに飽きて投げ出してしまう。だから、多くの大人が新しいことを身につけることを嫌がる。
学習でも、スポーツでも、芸術でも、最初は「単純なことのくりかえし」が多い。基礎とは単純なものなのだ。しかし、「単純なことのくりかえし」をとばしてしまうと、どの分野でもうまくいかない。
「比較的に得意な生徒」は、基礎をおざなりにしていない。練習を重ねて、しっかり自分のものにしている。「比較的に苦手な生徒」は、基礎が弱い。練習が足りないのだ。
「練習する」というのは、とても重要な能力だ。練習をさぼって、できるようになろうとしても、残念ながら、不完全なものになってしまう。
君が学習を得意にしたいのならば、「練習、練習、そして練習」である。(Practice makes perfect)
※生活習慣や学習方法に関しては、「人生が変わる学び方Vol.1」をしっかり読んでください。お持ちでない場合は、校舎で受け取ってください。
山手学院 学院長 筒井 保明