勝つことの意義

The real meaning of winning

 勝つことの本当の意義は、自分に勝つことである。
 難しい言葉でいうと、「克己」。そして、正しく自分自身に勝ち続ける行為のことを「精進」という。
 目標に向かう人にとっての最大の問題が、「続けること」の難しさなのだ。
 君の体も心も、常に変化している。固定された永遠のものはないから「自我」は存在しないとするのが仏法だけれど、それでも、いま、ここに、君はいる。いま、ここにいる自分を宇宙と一体のものだと観ずることができれば悟ったようなものだけれど、当然のことながら、それは続かない。なぜなら、生きている以上、お腹もすくし、眠くもなるし、誰かに話しかけられるし、楽しみたくもなるからだ。
 宇宙や世界の成り立ちを悟ったお釈迦様が、弟子たちに正精進(正しく取り組みを続けること)を厳しく教えたのは、人の体も心も変化してしまうこと、そして、正しい取り組みを「続けること」がいかに難しいかを痛感していたからだろう。
 「続けること」が、生きることの要なのだ。
 したがって、わたしたちの立場でいえば、まず自分の目標を認識し、目標を達成するために学習の取り組みを続けることが重要になる。なにも目標がなければ、そもそも目標に向かう行動が起こせない。また、目標に向かって行動を起こしたとしても、目標を達成するまで行動を続けなければ、途中であきらめることになる。
 いいかえれば、目標を達成するまで続ければ、君は目標を達成できるのだ。

 さて、学習の取り組み方にも正しい方法と誤った方法がある。
 根本的なことをいうと、正しい自己イメージを持っているか、誤った自己イメージを持っているか、の違いである。
 夏期勉強合宿の最終日の朝、中学受験生に対して、
 「学習中の自分をふりかえると、できる自分とできない自分が存在していたと思います。学習者の姿勢としては、できる自分が本物の自分で、できない自分は偽物の自分だと思っていいでしょう。できる自分が学習すれば、目の前の学習はできるようになりますが、できない自分が学習すると、なかなかできるようになりません。なぜなら、人は、自己イメージにしたがって、考えたり、行動したりするからです。できる自分がイメージできれば、きっとできるようになります。いつでもできる自分を選んでから、学習してください」
 という話をした。中学生に対しては、ユーモアで「おれは油虫…」、悪い例で「わたしはダメな自分…」と思ったあとで、「…ではない!」と打ち消そうとしても、頭の中の油虫やダメな自分はなかなか消えないから、最初から「できる自分」をイメージして学習するように勧めた。「レモンじゃない」といっても、レモンを想像すると、唾が出てしまうのと同じで、できない自己イメージは危険なのだ。

 君は、できる。目標を達成するまで、取り組みを続けることができれば、君は目標を達成する。
 競争のなかには、たしかに勝敗というものがあるけれど、勝つことの本当の意義は、勝敗にはない。目標に向かって取り組みを続けることによって、本当の意義がわかるときが来る。
 自分を信じて、正しい取り組みを続けていこう。

学院長 筒井保明