自分の道を進もう!
Go your own way!
入学試験には、合格と不合格がある。解答に対して、正解と不正解がある。記述問題のように、正解と不正解のあいだという場合もあるが、それでもすべてが得点化され、入学試験の結果によって、合格、不合格が決められる。
受験生を指導する立場でいうと、目に見える得点以外に、やる気や情熱や志を評価してもらいたいと心から思う。募集定員がある以上、競争はやむを得ないのだが、それでも、君たちのやる気や情熱や志を評価しないのはもったいないように感じる。なぜなら、本当に重要なのは、入学後の取り組みだからだ。
入試直前になると、受験生のみんなに、どんな言葉をかけるべきなのか、やはり悩む。これまで生徒たちにたくさんの励ましやアドバイスの言葉をかけてきたけれど、入学試験に立ち向かう直前にふさわしい言葉はなんだろうか?
それぞれの志望校合格に向けて、かけてきた時間量はずいぶん違うだろうけれど、「この学校に行きたい」「この学校に合格したい」という気持ちに違いはない。そうだとすれば、入試当日において、自分の道を進んでいこうとする君たちに求められるのは、「平常心」である。
これまで培った自分の力を出し切るためにも、「平常心」で試験問題に取り組んでほしい。余計なことを考えずに、試験時間中は、試験問題に全力を注いでほしい。
入学試験は人生の通過点の一つだけれど、そこに全力を注いだかどうかは、その後を左右するだろう。結果として、どの学校に進んだとしても、入学した学校から、君は、もっと大きな、未来の目標に向かって、進んでいく。君の人生は、学校が決めるのではなく、君が自分で決めるのだ。
「平常心」は、禅宗の最も重要な言葉の一つ。
禅宗の公案を集めた書物『無門関』に「平常是道」という文章がある。
師匠の南泉和尚に、趙州和尚が質問した。
「道って、なんですか?」
南泉和尚が答えて、
「平常心が、道だよ」
「それじゃあ、平常心という道に向かっていくべきですか?」
「平常心に向かおうと意識してもだめだね」
「意識しなかったら、平常心かどうかわからないじゃありませんか」
「道は知ることでもないし、知らないことでもない。知ったと思えばまちがうし、知らなければそれだけのこと。もし、本当に、疑わない道(平常心)に達したなら、宇宙万物は、わだかまりなく、深く広いものだ。論ずる必要もないよ」
そういわれて、趙州和尚は、たちまち悟った。(無門関十九)
疑わない道が平常心である。この場合、疑わないというのは、「いま、ここにいる、自分」という存在のことだろう。いかなる場合にも、「平常心」であることを禅宗では求める。
さあ、入学試験会場で、開始時間が近づいたとき、ゆっくりと呼吸して、リラックスしよう。そして、自分を疑わずに、全力で取り組もう。
君は、いつでも自分の道を進んでいるのだ。
学院長 筒井保明