新しい感動と新しい響きのなかへ出発しよう!

Depart in new affection and new sound!

 「もう眺めるのに飽きてしまった。もう十分だ。もう知りたくもない。どの音もどの眺めも、 人生の停滞だ。さあ、新しい感動と新しい響きのなかへ出発しよう!」 そういって、フランス生まれのアルチュール・ランボーという 17 歳の詩人は、イギリスの首都ロンドンから旅立った。

 学年の変わり目で、君たちも、「現在の学年でやるだけやった。もう十分だ。さあ、新しい学年に出発しよう!」と、決意を新たにしているかもしれない。どの学年であっても、その学年の学習を十分に学んでいると、その学習に飽き足りなくなってくる。次の学年 に進むことが待ちきれない。もっと新しいことが学びたい。もっと発展した学習に挑みたい。もっと、もっと、できるようになりたい。

 君たちのそういう気持ちが、次の学年を充実させていく原動力になる。だから、ぜひ、いまのうちに、その気持ちをくりかえし確認しておこう。一方、「私は不安だ」「僕は心配だ」という人もいるだろう。その気持ちこそ、君たちにとって最大の邪魔物で ある。君たちの不安や心配は、言い換えれば、「取り越し苦労」であり、「杞憂」である。取り越し苦労や杞憂は、君たちの人生を損なう危険性をもっている。

 『列子』に、「杞の国に、天地が崩れ落ちることを憂うる人がいた。身を寄せるところがなく、寝食を忘れてしまった。それを心配した人が、〈天は気が満ちているところで、君はそこで呼吸しているのだから、空は崩れ落ちないよ〉 と諭した。憂える人が、〈じゃあ、太陽や月や星々も落ちないのか〉と聞いた。諭す人は、〈それらも気のなかで 輝いている。落ちたとしても、君には当たらないよ〉と答えた。〈じゃあ、地面が崩れたら、どうするんだ〉〈地 は塊が満ちているところで、空間を埋めている。足を踏みつけて歩いてみろよ。心配なんかあるものか〉憂える人が納得して大いに喜んだので、諭した人も大いに喜んだ」とあるのが、杞憂の故事である。

 学習に関して、「私は不安だ」「僕は心配だ」というのは、杞憂だ。 そもそも学習に取り組んでいないのは論外であるけれど、君たちが「できるようになりたい」という気持ちで 学習に取り組み、その学習方法にまちがいがなければ、必ずできるようになる。そして、君たちの学力は、確実に上がっていく。

 ところが、取り越し苦労や杞憂で、君たちが不安や心配を感じているとき、君たちは緊張状態にある。緊張状 態は、学習をする状態ではないから、気持ちが焦るばかりで、学習効果が低い。 「学習に、不安や心配はない。わからないも、できないも、取り越し苦労に過ぎない。私は必ずできる」と考えて、 ゆっくりと呼吸しながら肩の力を抜いていく。リラックス状態が学習を始める前に必要だ。 学習中、やってはいけないことは「ながら勉強」。(新しい記憶の形成を妨げる) 学習のコツは、「まちがえた問題は必ず正答を確認すること」「できなかった問題は正解するまでくりかえすこ と」である。たったこれだけでも、学習効果がグンと高くなる。 さあ、新しい学年で楽しく学んでいこう。

学院長 筒井保明