情緒の知恵をきたえよう!

Emotional Intelligence Quotient

 人は、パニックになったとき、思考力を失ってしまう。新コロナウイルスが引き起こしたパニックは、多くの人びとから、容易に考える力を奪っていった。その証拠の一つとして、しばらくのあいだ、消毒液やマスク、トイレットペーパーやティッシュペーパー、さらに非常用になる食品までが、わたしたちの前から消えた。自分や身内のことで心が占められたとき、人の行動は独善的になる。不必要な買い占めをした人びとは、視野がとても狭くなっていた。
 困難なときこそ、知恵が必要だ。(「知恵」という漢字は「知識」knowledgeのほうに意味が近いので、できれば旧漢字で「智慧」wisdomと書きたいが、常用外なので「知恵」)
 この場合の知恵は、IQ(知能指数Intelligence Quotient)ではなく、EQ(心の知能指数Emotional Intelligence Quotient)のことだ。
 福沢諭吉をはじめとして、明治時代の日本人の造語力はとても高かったけれど、現代の日本人の造語力は高くない。ちなみに、中国語でIQは、智商、智力商数。EQは、情商、情緒智慧、情緒智商。
 もし明治時代の日本人が訳語をつくったとすれば、IQは、智力商数、EQは、情緒智力商数、になったのではなかろうか。明治人にとって、「智力」と「情緒智力」のちがいは、人間的価値の重みを決める決定的なちがいであった。福沢諭吉にも、勝海舟にも、西郷隆盛にも、高橋是清にも、「情緒智力」があった。かれらの言動や著作物に触れると、かれらのEQの高さがわかる。
 「智力」だけでは、「学習能力」にとどまってしまう。
 「情緒」だけでは、「感応能力」にとどまってしまう。
 「情緒智力」を発揮することによって、周りの人たちに影響を与えるような大きな仕事ができるのだ。
 「情緒」は、やまとことばになおせば、「もののあわれ」である。
 平安時代の昔から、「もののあわれ」が人の心の根本になければ、その人に生きがいはない。
 生きがいは、人と人との関わりのなかで生まれるものである。だから、人のために涙を流せないような人や、もののあわれを感じることができない人に、生きがいはない。自分のことしか考えない人は、一人ぼっちで砂漠を旅するような人生を送ることになるだろう。
 困ったときはお互い様だ。
 世の中の助け合いや共生は、IQではできない。世の中の問題を解決するためにはEQが必要なのだ。  では、情緒智力(EQ)はどうやって高めたらいいのだろうか?
 小学生も、中学生も、「物語」をたくさん読んで、積極的に世界に関わっていくことである。もともと「物語」を読むことの効用の大きな一つが「情緒の感応能力」を高めることである。
 原始的な感情をつかさどっているのは脳の海馬に隣接する偏桃体で、ヘビを見てギャッと飛びのくのも、火事を見て慌てふためくのも、攻撃に対して怒りを燃え上がらせるのも、いらいらしたり、くよくよしたりするのも、偏桃体の働きだ。
 ところが、「物語」を読んで感動しているときの情動は、偏桃体の働きではない。脳の前頭前野の眼窩前頭皮質が働いて、他者の心を理解したり、社会的な情動を起こしたりしているのだ。つまり、情緒智力が働いている。
 「情緒」や「もののあわれ」は、原始的な感情ではなく、人間を人間らしくしている感情だ。
 たくさんの物語を読んで、たくさんのことを体験して、未来をひらく情緒の知恵を身につけよう!

学院長 筒井保明