自分に確信を持つこと!

Affirm Yourself !

 西洋の人の思考の根底に、イエス・キリストの言葉が生きている。西洋の人の言動に接していると、ときどき、その事実に気づいて、驚くことがある。
 ひとが、イエス様、お釈迦様というとき、イエスその人、シッダールタその人を指すが、キリストやブッダと呼ぶときには、その人があらわした現象や思考や影響などを含めた全体を指すことになる。だから、イエスの生涯やシッダールタの生涯はあっても、キリストやブッダの生涯はない。キリストやブッダは「永遠」であり「常在」である。
 さて、なぜ、こんな話を始めたのかというと、イエスのように確信をもって君たちに「学習の心得」「受験の心得」を説きたいからだ。
 いうまでもなく、入学試験には、「合格」もあれば、「不合格」もある。くやしいのは、「不合格」にきまっているが、不合格の理由が学力不足であるなら反省して再起すればよい。ところが、多くの場合、不合格の理由が「心理」であるから、悔やまれてしまう。
 試験会場で、入試問題に向かったとき、「できる」と確信したなら、君は自分の力をじゅうぶんに発揮できる。いっぽう、「できないかも…」と不安になったなら、君は自分の力を出すことができない。
 これは、「ホームでリラックスした状態で試合に臨める」サッカー選手と「アウェイで緊張した状態で試合に臨まなければならない」サッカー選手の違いでもある。応援される選手は、脳が十全に機能するから、心身ともに活発に動く。ブーイングされる選手は、脳が機能しなくなるから、心身ともにこわばってしまう。
 試験会場で、「できる」と確信した君の脳は、よく働く。「できないかも…」と不安になった君の脳は、残念なことに、停止してしまう。そして、この「不安」が、不合格の原因になる。
 「不安」は、学習や受験の役には、まったく立たない。「不安」は、妨げでさえある。そういっても、現実を直視すれば、だれだって不安になるし、疑いを持つ。現実に目をつぶって「だいじょうぶ」と信じても、それはごまかしているだけだ。あくまで、現実を見て、自分の目標を考えて、「だいじょうぶ」と自分の中で確信を持つことが必要である。
 では、どうすればいいだろうか。ふだんから、学習に取り組む前に、自分に対して「君はできる。だいじょうぶ」と太鼓判を押してから、学習を始めるようにする。テストの前に、自分に対して「君はできる。全力でやるだけだ」と確認してから、問題を解き始めるようにする。これをくりかえして習慣化してしまえば、入学試験のときにも、自然と「君はできる。全力でやるだけだ」と自分に気合を入れることができる。「確信」を持つと、人は、本当に強くなる。
 イエスが人々の不安や疑いを強く戒めたのは、盲信させるためではなく、確信させるためだった。「確信」が、イエスの方法である。
 マルコによる福音書のなかで、イエスは、
「よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」といった。イエスは、世界最高のコーチの一人だ。
 「必ず成る」と信じて、学習に取り組むこと。これが、第一の学習の心得である。

学院長 筒井保明