ゆっくりと急げ!

Festina lente! Make haste slowly.

 「ゆっくりと急げ」という格言がある。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(B.C.63-A.D.14)が好んだ言葉で、ラテン語でフェスティナ・レンテと読む。Festina⇒Make haste(急げ)、Lente⇒slowly(ゆっくりと)である。
 「ゆっくりと急げ」などというと、君たちは、「急ぐときでもあわてるな」とか、「落ち着いて急ぎなさい」とか、あるいは、「急がば回れ」などと考えるかもしれない。言葉は状況の中で意味が変化するから、どれも正しいのだけれど、「ゆっくりと急げ」を体現して見せたのが、イソップ物語の亀である。
 「野兎が亀の遅い歩みをからかって、自分の足のスピードを自慢した。亀は競走を持ちかけて、勝ってみせるよ、といった。じゃあ、勝負だ。
 狐が審判になって、彼らは走り出した。野兎は風のように駆け出して、ずっと前方で、笑いながら亀が見えるのを待った。ずいぶん待っても亀が見えないので、『勝負は決まったな、道端の草の上で一眠りしよう』といった。一方、亀は、止まらずに、着実に、ゆっくりと走り続ける。
 野兎が目覚め、驚いて、道を駆け下りた。でも、遅かった。ゆっくりとした亀は、最後のラインを越え、競走に勝った。
 教訓:長い道のりでは、ゆっくりでも確実なことが、最も速い方法だ」(『イソップ物語』より)
 誰もが知っている話である。君たちがここで注意しなければならないことは、「ゆっくりと」には「確実に」の意味が込められているということだ。
 このイソップの寓話は、目標を達成する方法を示している。たいていの目標には期限が付いているから、私たちは「急がなければならない」のだ。受験生ならば、痛切にそう感じているだろう。でも、最初の勢いばかりで、野兎のように油断してしまうと、目標にはたどりつかない。世にいう三日坊主とは、この野兎のことである。
 亀は、野兎に対して「勝ってみせるよ」といった。誰が見ても勝てるはずのない勝負である。じつは、このとき、亀が見ていたのは、目標と目標に到達する自分のことだけで、野兎など、そもそも眼中にない。(もし、野兎に関心があったら、遠く走り去っていく野兎を見て、自分が走ることをあきらめただろう。また、油断して寝ている野兎を追い越すとき、感情を動かしたはずだろう。)
 野兎のことなど一切気にせずに、亀は、目標を達成するために、ゆっくりと走り続けた。
 亀は、目標を持ち、目標を達成しようとする人の象徴だ。
 野兎は、やみくもに走り出し、途中で歩みを止める人の象徴だ。  さて、「ゆっくりと急げ」という格言を念頭に、フランスの作家ラ・フォンテーヌが「野兎と亀」を書き直した。もちろん、野兎は亀を大きく引き離し、途中で、余計なことに興じて、居眠りを始める。一方の亀は、出発し、コツコツと努力し、ゆっくりと急いだ。
 勝った亀が、最後に次のようにいう。
 「わたしが正しかったでしょ。速度が役に立ったかしら? わたしの勝ちね。そのうえ、もし、あなたが家を背負っていたら、どうなっていたかしら?」
 亀のいう「家」が比喩なのか皮肉なのかわからないけれども、「ゆっくりと急げ」の意味は理解できるだろう。目標に向かって出発したら、君たちは、ゆっくりと急がなければならない。

学院長 筒井保明