たのしく取り組もう!

Learning is Fun!

 小学校の低学年の生徒たちに、「足し算が好きか、引き算が好きか」と聞くと、「引き算が好き」という答えが多い。理由は、足し算は数字がどんどん大きくなっていくが、引き算は数字が小さくなっていくからだ。低学年にとって、数字が小さくなっていくほうが感覚的に楽なのだろう。
 ところで、かれらが身につける「かけ算の九九」は、中国で始まった。
 唐の時代の『孫子算経』という算数の本では、「九九八十一」から「一一如一」まで九九の計算が展開されている。『孫子』では、兵馬の数、武器の数、糧食の量、日数などを計算して戦争の勝敗を予測することを廟算といって重んじているので、数字に弱い軍師や将軍ではそもそもだめなのだ。斉の国(BC1046-BC386)の桓公が「九九之人」を尊んだことも中国の歴史書に記されている。(事実だとすれば、紀元前から九九があったことになる)
 日本では鎌倉時代後期の『拾芥抄』に、「九九」という項目を設け、「九九八十一。八九七十二。七九六十三。六九五十四。五九四十五。四九三十六。三九二十七。二九十八。八八六十四。七八五十六。六八四十八。五八四十。四八三十二。三八二十四。二八十六。七七四十九。六七四十二。五七三十五。四七廿八。三七二十一。二七十四。六六卅六。五六三十。四六二十四。三六十八。二六十二。五五廿五。四五廿。三五十五。二五十。四四十六。三四十二。二四八。三三九。二三六。二二四。一一二※原文ママ」と記している。「一一二」は活字のまちがいかと思ったが、写本を見ても「一一二」であった。
 現代とちがって、中国も日本も九九から数えて、数字が小さくなっていくのは、小学生たちと同じ感覚なのかもしれない。
 九九の項目の前は、物充(重さ)の単位で、「六銖を一分となす。四分を一両となす。十二両を一屯となす。十六両を一斤となす…」とある。
 こうやって過去の書物を見ていると、ずいぶん長い間、わたしたちが数字や単位を使いこなしてきたことがわかる。過去から現在まで、軍事、交通、貿易、土木、水利、農業、産業などが発達すればするほど、算数・数学の学習が必要不可欠になってきた。算木や算盤(さんばん、が転訛して、そろばん)の発明から計算機やコンピューターの発明まで、わたしたちは数字とともに生きてきた。
 数学史や和算の研究家である三上義夫博士(1875-1950)の講演の筆記を読んでいたら、
 「日本の数学者は遊戯的にやる。自分らが数学をやるのは、碁、将棋をやるのも同じである。親には叱られ、友だちには笑われ、人に隠れて習いに行く。そういうことは、和算家の古老たちがよく言っておりました」とあった。
 江戸時代から明治時代にかけて、数学に熱心に取り組んでいた人たちは、現在、ゲームに夢中になっている人たちと同様に、親に注意されたり、友だちにからかわれたりして、肩身の狭い思いをしていたようだ。(君たちがどんなにゲームに熱中しても誰もほめてくれないだろう?)それでも、誰になんと言われようと、数学が大好きだから、どうしてもやめられない。日本独自の数学、和算が発達したのは、日本でゲームが発達したのと、まったく同じ原動力のおかげであった。
 ゲームがない時代、数学はゲームのようなものであった。碁や将棋のように夢中になるものであった。そうわかれば、算数、数学が楽しいものに思えてくるだろう。
 どんな学習も学問も「好きこそものの上手なれ」である。
 さあ、楽しく取り組もう。

学院長 筒井保明