テストの結果は、つぎのステップのためのベンチマーク

Exam results are benchmarks for the next step.


 不用意に子どもたちを比較することは、子どもたちの自信を失わせ、子どもたちの能力を衰退させてしまう。テストの結果で教室内の席順を決めている塾があるようだが、子どもたちに対するネガティブな強い影響を考えると、かなり危ないことをしている。もし、その塾の責任者が「後方に座ることになった子どもの奮起を促うながすため」のような理由を述べたとしたら、子どもたちの特性をまったく理解していない。
 そもそも、テストの結果で席順を決めることは、毎回、子どもたちを比較し、優位と劣位を決めていることになる。いつも優位にある子どもは、誤った優越感を抱き、いつも劣位にある子どもは、誤った劣等感を抱くことになる。親の行動規範として、「不用意に、自分の子どもを他の子どもたちと比較してはいけない」という戒いましめがあるように、「劣等感を植え付けられた」子どもは、奮起どころか、立ち直れなくなってしまう。
 かつての通知表評定は、相対評価といって、完全に比較であった。どんなに努力していても、31%の生徒には、2や1の評定がついていた。2や1の評定、比較による劣位であって、子どもの能力を正しく評価したものではない。したがって、現在の通知表評定は、相対評価ではなくなった。(生徒全員ができるクラスでも、相対評価では、2や1の評定がついてしまうのだから、おかしな評価方法だ)
 多くの場合、比較されることによって、大半の子どもたちは、否定的な自己評価をしてしまう。他の子どもたちとの比較は、自分の能力を発揮するための動機づけにならないばかりか、比較されることに恐怖を感じるようになった子どもたちは、将来的に、行動や発達に問題が生じるかもしれない。そうなった子どもたちの才能は閉じてしまい、子どもたちの可能性は失われてしまうかもしれない。
 テストの結果は、入学者を選抜する入学試験などを除き、基本的に、つぎのステップのためのベンチマークである。したがって、「誰かよりもよかった、誰かよりも悪かった」と、誰かと比較して一喜一憂するものではなく、「自分の目標点よりもよかった、自分の目標点よりも悪かった」と、今回の結果を次のステップのための基準点・参照点として使うのが本当だ。誰かと比べる必要など、まったく、ない。
 たとえば、通知表評定や偏差値による相談を実施しない私立中学校や私立高校に、合格の目安をたずねてみれば、「過去の入試問題であれば、合計で6 割以上、得点できれば合格できます」とか「当日の平均点にもよりますが、だいだい7 割得点できれば、合格できるでしょう」のような答えが返ってくるだろう。つまり、志望校の入試問題で得点できることが目標になるのであって、「誰かよりもいい得点をとること」では、けっして、ない。各種検定試験や各種資格試験も、合格するために必要なのは得点である。
 これから、子どもたち一人ひとりが、「自立した個人」として、成長していく。とくに、成長の速さや度合いが大きく異なる小学生には、十分な配慮が必要だ。不用意な比較は、彼らから自分への信頼(自信)を失わせ、自立をむずかしくしてしまう。
 今回は、ほとんど保護者の視点になってしまったが、君たち自身もおなじことである。自分を他の人と比べてはいけない。自分は自分で、自分の目標は自分の目標なのだ。(他の人の結果や目標を参考程度にするのはかまわないけれど)
 自分のテストの結果をベンチマークにして、つぎの目標を定めよう。そして、自分の目標を定めたら、さっそく、その目標を達成するために必要な取り組みを始めよう!

山手学院 学院長 筒井 保明