Archive List for 学院長

学院長からのメッセージ 2023 June

眠る前の 1 時間 One hour before sleeping  毎日、眠る前の 1 時間が、君の人生を決定する。なぜなら、眠る前の状態(記憶)が、睡眠中に定着し、その状態(記憶)を維持して、朝、目覚めるからである。いいかえれば、毎日の就寝前・起床後の状態が、君の人生の根幹になる。  たとえば、就寝前に「できる自分」を確認して、ぐっすりと眠ることができれば、君は、朝、自信をもって、すがすがしい気持ちで目覚めるだろう。世の中で「できる人」と認められる人物の多くは、この習慣を持っている。学習や練習の後、「わたしはできる」と確信してから、リラックスして眠っているのだ。  中村天風(1876-1968)は、自身の教えである心身統一法にこの方法を取り入れている。その影響を受けた人々のなかには、MLB の大谷翔平選手も数えられる。(パナソニックの松下幸之助、京セラの稲盛和夫、横綱の双葉山、西武ライオンズ監督の広岡達郎など、多くの人々が影響を受けている)  現代の神経科学で、この方法の有効性は説明できるけれど、当時、中村天風は、エミール・クーエ(Emile Coué 1857-1926)の自己暗示(autosuggestion)を活用したのではなかろうか。エミール・クーエは、自分自身にかける言葉(autosuggestion)と睡眠時の重要性を主張して、医療や教育の世界に大きな影響を与えていた。クーエは、『自分に対する意識的な声かけによる自己統御』(Self Mastery Through Conscious Autosuggestion,1922)のなかで、「自己暗示、つまり自分に対する声かけは、わたしたちが生まれつき持っている方法である。むしろ力といったほうがいい。この自己暗示の力は、状況によって、最高の結果も、最悪の結果も、もたらす」と述べている。たとえば、積極的な自己暗示(自分はできる)は「できる自分」を生み、消極的な自己暗示(自分はできない)は「できない自分」を生む。「できる」と信じている人はできるようになるが、「できない」と思い込んでいる人はできるようにならないのだ。  クーエの有名な例えを使えば、「地面に置かれた幅 30cm、長さ 9m の板の上を歩きなさい」と命じられたとき、全員が気楽に渡ってみせる。なぜなら、全員、渡ることができる、と思うからだ。ところが、同じ幅、同じ長さの板が、教会堂の屋根の高さにあるとき、ほとんどの人が、渡ることができない。なぜなら、落ちることを恐れて、渡ることができない、と思うからだ。  クーエは、「ひとの無意識のなかにあるイメージ(想像)は、ひとの意志よりも強い」という。だから、君が自分に対して「できる自分」というイメージを持っているなら、自然にできるようになるし、「できない自分」というイメージを持っているなら、どうしてもできるようにならない。 クーエは、ひとの無意識のなかにある自己イメージをよいイメージに変える方法を探した。その方法が就寝前におこなう「自分に対する意識的な声かけ」である。  学習でも、スポーツでも、芸術でも、やり方はおなじだ。就寝前に、自分にむかって(あるいは鏡に映した自分にむかって)、「おれはできる」「わたしはできる」と確信したら、余計なことを考えずに、リラックスして眠りにつく。言葉はイメージを喚起するためのものだから、「おれはできる」「わたしはできる」といったとき、「できる自分」をイメージするとかなり効果的だ。これを毎日くりかえしていると、驚くべきことが起こるだろう。(ただし、しっかりと学習や練習に取り組んでいる場合に限る)  就寝時は暗示にかかりやすい時間であるからこそ、眠るときの自己イメージは重要なのだ。  毎日、理想の自分をイメージして、ぐっすりと眠るようにしよう。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2023 May

態度、習慣、行動の変化 Attitudes, Habits, and Behavior Change  君の態度が、積極的であるか、消極的であるか。君の態度によって、君の人生は決定的に変わる。  こんなことは、古今東西の賢人が、それこそ数え切れないくらい語ってきたことだ。毀誉褒貶の激しい人物であるけれど、アメリカの黒人解放運動指導者のマルコム X が、有名な演説のなかで、「君の根本が変われば、君の考え方が変わる。君の考え方が変われば、君の態度が変わる。君の態度が変われば、その態度が君の行動を変化させるのだ」といっている。  当時、マルコム X は、「I have a dream」で有名なキング牧師の対極にいたので、急進的で過激な人物と見なされていた。ただ、現在から見ると、マルコム X の根本は、「じっとしているな。もっと積極的であれ」という精神である。  積極的な態度が、君の行動を変化させることはまちがいない。君がやる気になって、積極的に取り組めば、君は、自分の目標に向かって、必ず前進していくだろう。  ところが、いつのまにか、だらしない自分にもどっている。どうしてだろうか?  積極的な態度が持続されていないのだ!  では、積極的な態度を持続するためには、どうしたらいいのだろうか?  さまざまな試みがなされた結果、何人かの賢人が、就寝前の状態が、起床後の状態を決定していることを発見した。就寝前に積極的な気持ちであれば、起床後も積極的な気持ちなのだ。逆に、就寝前に消極的な気持ちであれば、起床後も消極的な気持ちなのだ。  「明日の試験でベストを尽くすぞ」と誓って睡眠をとると、翌朝、やる気に満ちているだろう。「明日の試験はいやだな。いい結果を出すのは無理だ」と悩んで睡眠をとると、翌朝、すっかり自信を失っているだろう。  現在の神経科学の知識で説明すれば、就寝前につくった記憶が睡眠中に定着して、起床時に想起されることになる。だから、就寝前に、「明日も積極的に取り組むぞ」と思って睡眠をとれば、起床時に積極的な態度になっている。これを毎日くりかえせば、積極的な態度が持続される。積極的な態度が持続されれば、君の行動もどんどん積極的になっていく。  じつは、優れた実績を上げている人たちの多くは、どの分野であっても、睡眠をとても大事にしている。たとえば、スポーツ界の大選手たちは、就寝前に「積極的な自己イメージ」をつくり、十分な睡眠をとってから、練習や試合に臨んでいたし、現在も同様だろう。  就寝前の状態が、睡眠中に強化され定着するわけだから、「自信のある自分」を思い描くか、「自信のない自分」を思い描くか、によって、明日の自分が決まるのだ。  さあ、就寝前の状態が、どれほど重要か、わかっただろうか?  就寝前に学習して、「よし。できるぞ」と確信してから睡眠をとれば、起床時の君は、「できる自分」になっている。ぜひ生活習慣にしてほしい。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2023 April

春いちばんのステップ! The First Step in spring  春一番というのは、春先に吹く南寄りの強風のことだ。春一番が吹くと、だんだん暖かくなってくる。学生であれば、新しい学年に期待がふくらむだろう。  この春、君たちが、自分の目標にむかって大きな一歩を踏み出すことを願って、春期講習のタイトルに「春いちばんのステップ! 目標にむかって、力強く前進しよう‼」と書いた。  さて、君たち一人ひとりに「かけがえのない価値=わたし」がある。  禅の世界で、「わたしって、なんだ?」と問いつめれば、「わたしは、わたしにあらず」と答えるだろう。ひっくりかえしていえば、「わたしはすべてだ」「わたしは世界だ」ということでもある。  禅問答はややこしいけれど、論理的には、「わたし」という存在は、「わたし」以外のすべての「ものごと」の関係性のなかに存在しているのだから、けっきょく、「わたし」は、「わたし」以外のすべてである。  「ものごと」は、「もの」と「こと」に分かれる。「もの」は、空間に位置を占めているもの。「こと」は、時間に位置を占めていること。中国の古典『淮南子』に「往古来今を宙と謂い、四方上下を宇と謂う」とあるから、「宇」が空間で、「宙」が時間になる。つまり、宇宙とは、空間と時間のことだ。  「ものごと」は、この宇宙に位置を占めている。君たち自身も「ものごと」にちがいないので、やはり、この宇宙に位置を占めている。宇宙では大きすぎるというなら、この世界に位置を占めている。君たちは、自分の重要さや自分の価値に気づいているだろうか?  ウィトゲンシュタインという哲学者は、『論理哲学論考』の第1項で、 1 世界は、できごとであるすべてだ。 1. 1 世界は、「もの」ではなく、「こと」の合計だ。 1. 11 世界は「こと」と「すべてのことごと」によって決定される。  と思考を展開している。  もし君たちが空間に存在しているだけなら、君たちは「もの」でしかない。でも、君たちは考えるし、行動する。つまり、時間のなかにも存在している。そして、君たちが行う「こと」や「ことごと」が世界を決定する要因になっている。  したがって、君たちが学習することも、観点をかえれば、自分のためだけでなく、世界のためになる。だからこそ、君たちは自分のかけがえのない価値を生かさなければならない。  君の前進は、世界の前進につながる。君が向上すれば、世界も向上する。  ずいぶん大げさな話になってしまったようだけれど、バタフライ効果という表現があるように、ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を起こすのだ。  君が一生懸命に学習したら、いったい世界でなにが起きるだろうか?  さあ、春いちばんのステップを踏み出そう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2023 March

やらなければ、学べない。 One learns only by doing.  学習は、入力と出力のくりかえしだ。五感を通じて入力された情報を、口や手や身体を使って、筋肉の運動として出力しないかぎり、君はなにも学べない。たとえば、授業中、教師が一生懸命に説明していたとしても、君の目や耳が窓の向こうの出来事に集中していたり、君の手や口が机の下に隠したお弁当を食べていたりしたら、君は教師がなにを言っていたか、すこしも覚えていないだろう。なぜなら、君は、教師からの情報を、入力も出力もしていないからだ。  さて、現在、小学生の通知表と中学生の通知表の評価方法はおなじになっている。最初に重要なのは、各教科の3段目の「主体的に取り組む態度」の項目だ。いいかえれば、その教科に対する参加の度合いであり、参加の度合いは、入力と出力の度合いによって評価される。  かりに、君が一生懸命に教師の説明を聞いていたとしても、君のノートになにも書かれていなかったら、君はなにも出力していない。また、教師に指名されて、君がなにも答えなかったら、君はなにも出力していない。「主体的に取り組む態度」の評価も、テストや提出物とおなじように、君の出力によって決定するのだ。  だから、君の目が教師を見つめ、君の耳が教師の説明を聞き、君の手がしっかりとノートをとり、君の口が積極的に発言するなら、3段目の評価は、かならず「よくできる」あるいは「A」になる。そして、その教科に対する参加の度合いが高ければ、テストの結果も提出物の出来上がりも、比例して、よくなるだろう。中学生であれば、通知表評定は、「5」あるいは「4」になるはずだ。  学校の学習は、各教科に対する参加の度合い(主体的に取り組む態度)が重要であり、それは君の出力に対する評価であるから、「まじめに聞いている」態度だけでは足りない。ノートをとり、発言し、積極的に授業に参加する必要がある。  おなじことが、自主学習にもいえる。その教科に対する参加の度合いが、強い臨場感をつくる。強い臨場感があれば、その教科(学習)は、しっかりと脳に書き込まれる。また、声に出したり、手で書いたり、問題を解いたりしていれば、入力と出力がくりかえされるから、さらに学習が強化される。  学習が終わって、学習の記憶を壊すような娯楽や誘惑(スマホやテレビやゲーム)を避け、リラックスして眠ることができれば、ほぼ完ぺきだ。朝、起きたとき、昨日の学習をふりかえってみれば、しっかりと定着していることが実感できるだろう。  ある校舎の新年度説明会のあいさつで、上記のような話をした。そして、「どうしてもできるようにならない。どうしても成績が上がらない。どうしても学習の悩みが解決しないときは、室長や、わたしに、気軽に相談してください。生活習慣や学習方法を工夫すれば、かならず、できるようになる」と付け加えた。  わたしとしては、山手学院の全生徒に「かならず、できるようになる」といいたい。もし、君が、どうしても学習の悩みを解決できないなら、直接、あるいは、教室を通して、わたしに相談してほしい。  学習を苦手なままにしておいたのでは、君の力があまりにもったいない!  新学年における君の飛躍を強く願っている。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2023 February

学校って、なんだ? What is School?  受験生たちは、志望校・受験校の入学試験や適性検査に向けて、ぎりぎりまで学習を続けているだろう。ここまで来ると、だれかと競っているというよりも、とことん自分との戦いだ。そういっても、入試当日、心身の状態が良好であることが重要になるから、睡眠を削るような学習は望ましくない。毎日、しっかりと眠って、良好なコンディションで試験会場に向かってもらいたい。  受験生以外の生徒たちは、先輩たちの健闘を見ながら、自分の志望校について、じっくりと考えてみよう。  まず学校というのは、学ぶ場所だ。「校」というのは、もともと木を交わして作った柵や欄を表している。フェンスで囲った場所が「校」であり、学ぶことを目的として通う場所が学校である。  高校進学は、「なにを学びたいか」が目的であるから、その高校にある教育や学科や進学に加えて、クラブ活動なども目的になる。目的があるから、高校に進学するのであって、遊びに行くわけではない。  英語では、学校はSchoolである。「教師や生徒が集まる場所、指導する場所」を表すラテン語のスコラ(schola)から来ている。ギリシャ語ではスコーレ(skholē)で「余暇」であるが、学問は、余暇がなければできないから、「余暇」は「学ぶための時間」である。  したがって、学校やSchoolは、小学生、中学生、高校生にとって、とても重要な「学ぶ空間」と「学ぶ時間」を表す言葉なのだ。  君たちが、そこで、なにかを学ぶからこそ、学校なのであって、なにも学ばないのなら、たんなる「校」で、フェンスで囲った場所でしかない。  そもそも、君たちは、学ぶ能力を持っている。そして、学ぶ場所があって、学ぶ時間があるのだから、喜び、勇んで、学んでいくことができる。いやいや取り組む必要なんてない。いやだと思うから、学習がきらいになるのであって、好きだと思えば、学習が楽しくなる。  「物は試し」で、苦手な教科を選んで、学習に取り組む前に、「わたしは、この教科が好きだ」と声に出してから、すぐに取り組んでみよう。どんなに嫌いな教科でも、「好きだ」と声に出してから取り組むと、しばらくのあいだ、集中できる。疲れたら休憩して、また取り組む前に「この教科が好きだ」と声に出してから、すぐに取り組む。これを数日くりかえしていると、次第に「好きだ」「すぐに取り組む」が習慣化されてくる。「すぐに取り組む」が習慣化されると、苦手な教科が嫌いでなくなってくる。さらに、くりかえしていると、だんだん好きになってくる。すると、「好きこそものの上手なれ」で、苦手だったはずの教科が得意になってくるのだ。  「すぐにテレビをつける」「すぐにゲームをする」「すぐにスマホを操作する」と、テレビやゲームやスマホが習慣になって、やめられなくなってしまう。おなじように、「すぐに学習する」「すぐに練習する」「すぐに取り組む」と、学習や練習や取り組みが習慣になって、いつでもできるようになる。  学校というのは、時間割という仕組みで、「すぐに学習する」「すぐに練習する」「すぐに取り組む」を習慣化しようとする場所だろう。そうだとすれば、君たちは、始業のチャイムが鳴ったら、「わたしは、この教科が好きだ」と自分に言い聞かせてから、積極的に授業に臨めばよい。その結果は、よい通知表評定になるはずだ。  三学期を新学年の飛躍につなげよう。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2023 January

目的、目標および範囲 Goals, Objectives and Scope  どんなに落ち込んでいる生徒に対しても、わたしは、必ず、「現状の学力や成績を気にしないで、自分が望む目的を持つことだ」と励ます。どんなに現状の成績が悪くても、可能性が残っているかぎり、あきらめる必要などない。もちろん、その高校が定めた入試ルールで、どうにもならないこともある。それでも、目的がわかれば、ギリギリまで可能性を探ることができる。時間的な余裕があればあるほど、可能性が高くなるので、できるだけ早く目的を持つことが重要だ。  さて、ここに、中学1年生で、1学期の通知表評定の合計が24、定期テストの総合順位が200名中150位というC君がいるとしよう。お父さんといっしょに三者面談に来て、「ぼくは、お父さんが卒業したK高校に行きたい」と自分の希望を表明した。  わたしが面談担当であれば、「よし、わかった。K高校に行きたいなら、さっそく計画を立てて実行しよう」と答える。「ただし、わたしがいうことを、必ず、実行することが必要だ」  C君の場合、まず、目的は「K高校に合格すること」である。  つぎに、目的を達成するための計画は、目的までの道筋を示すものでなければならないから、数値的な明確さや方向性が必要になる。 「K高校の受検者に成績で並ぶためには、現在の通知表評定を24→38以上、君の中学校であれば、定期テストの総合順位を150位→30位以内、目指すべき数値と方向性は、こうなる。キミの優先順位は、なんとしても、通知表評定を上げることだよ」 「わかりました」 「よし、これで、通知表評定38以上という目標が決まった」 「目的がK高校合格、目標が通知表評定38以上ですね」 「そう。中3になったら、入試に対する得点力が、目標に加わる」  ここで「目的」と「目標」を説明しておこう。まず、「目的」は、勝利とか合格とか成功のような、君が目指す最後のところを意味する。英語では、purpose、aim、goalなどになる。つぎに、「目標」は、数値などであらわせる具体的な指標を意味する。英語では、ずばり、targetである。  つまり、「目的>目標」ということだ。(しかし、目標も目的になり得るから、定義はややこしい)  C君の場合、「K高校合格」が目的であるから、「通知表評定38以上」が目標になる。 「キミは、まず目標を達成しないと、目的にむかえない。目標の範囲は、通知表評定と定期テストの得点。現在の観点別評価では、三段目が、意欲・関心・態度の評価だ。キミは、すべての科目で、三段目の評価がAになるように取り組む。つまり、真剣に授業や宿題や課題に取り組めばいい。つぎに、定期テストで、いい点がとれるように学習する。この順番でしっかりやれば、通知表評定は、必ず、よくなるよ。順位は、後からついてくるから、気にしない。合格に必要なのは、通知表評定と入試に対する得点力だ」  この中学1年生は、通知表評定がみるみる改善し、中学3年生になるころには、通知表評定40以上、定期テストの総合順位も20位以内になっていた。そして、入試に対する得点力をきたえて、目的のK高校に合格した。  キミたちは、まず目的を持ち、つぎに具体的な目標を持つことが必要である。  新年度を飛躍の一年にしよう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 December

英語なんか、こわくない! Who's Afraid of the English Language?  英語が苦手? 英語が怖い?  ひとは誰でも言語習得能力を備えている。だから、もし君が英語を苦手にしているとしたら、学習不足か、学習方法をまちがえているか、あるいは、苦手意識そのものが原因なのだ。  さて、この図は、ブーバ(Bouba)とキキ(Kiki)であるが、どちらがブーバで、どちらがキキであろうか。君のセンスを使って、指名してみよう。まわりに誰かいたら、ついでに、「どちらがブーバで、どちらがキキだろう?」と聞いてみてほしい。(答えは、最後に載せておく)  統計によると、母語に関係なく、どの国の人でも、95%~98%の確率で、ブーバとキキを指名できるそうだ。  わたしは、スペンサー・ケリー博士の『言語とマインド』(Language and the Mind)という講義ビデオでこれを知った。ケリー博士の講義はかなりおもしろくて、徹夜をして見てしまった。ケリー博士は日本語を学習したことがあり、「日本人はRとLの発音をうまく聞き分けることができないが、ぼくだって、居て(ite)Stay、と、行って(itte)go、の発音をうまく聞き分けることができなかった」と話していた。   言語のセンスは、英語に限ったものではない。母語の日本語であっても、英語であっても、他の国の言語であっても、頭を柔らかくして言語感覚に忠実になれば、根本はおなじである。つまり、英語を得意にしたいならば、根本に戻って学習することだ。  ひとは誰でも、音声として言語を習得する。音声言語が先で、文字言語はその後である。だから、英語の習得も、「聞く→話す→読む→書く」の順で学習することになる。英語が苦手な生徒の多くは、英語を聞くことがあまりに少ない。そして、発語することがあまりに少ない。母語の日本語でも、聞いた言葉をまねて話して身につけたのだ。英語もおなじようにすれば身につけることができるのに、多くの日本人の学習者は、文字を見て、読んで、書いて覚えようとしてしまう。  君が英語を得意にしたいならば、まず注意深く聞くこと! そして、聞いた言葉や文を発語すること! 英語の学習のスタートは、ここからである。  先に挙げたブーバとキキのように、音声と意味に関連性があることを、サウンド・シンボリズム(音象徴)という。日本語では、擬声語・擬音語・擬態語に代表されるものだ。  ケリー博士は、S音の例として、太陽を挙げている。英語では、sunサン、フランス語では、soleilソレイユ、スペイン語では、solソル、サンスクリット語では、suryaスルヤ、タミール語では、sooriyanスリヤン、みなS音を使っている。ほかにも類例はあるはずだ、とケリー博士がいっていたので、ちょっと考えてみた。「太陽」は中国語、「ひ」は日本語。どちらも輝くときには、「燦燦」「さんたり」で、S音である。ひとの言語のセンスは、ユニバーサルにつながっているのだろう。もし宇宙人が宇宙語を話したとしても、わたしたちは必ず理解できるようになる。なぜなら、言語の本質は他者に伝えようとする働きであり、宇宙人があきらめないかぎり、わたしたちはその仕組みに気づくだろうからだ。  音声言語として英語を受容できれば、英語はけっして怖いものではない。  さあ、英語のリスニングから始めよう。 ※左側がキキ、右側がブーバ。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 November

まちがいや失敗が学習の始まりだ! Mistakes and Failures are Beginnings of Learning.  テストなんか、きらいだ。ドリルなんか、やりたくない。問題集なんか、見たくない。  小学生でも、中学生でも、対象となる学習に対して「得意だ」「好きだ」という自覚を持っていない場合、だれでもテストやドリルや問題集のような「自分の力を試すもの」に強い抵抗感を感じるものだ。テストもドリルも問題集も「自分の力を確認するもの」と思えれば、さほど気にしなくて済むのだが、どうしても「私は試されるのだ」と身構えて、ネガティブな気持ちになってしまう。  幼児教育では、「試してはいけない」「Don't test!」とよくいわれる。なぜなら、幼児は直情的な年齢であり、もし試されて、できなければ、二度と取り組まなくなってしまう恐れがあるからだ。  ひとは、だれでも幼児から成長する。だから、試されて、できなければ、小学生も、中学生も、やっぱり、もうやりたくない。「テストなんか、ドリルなんか、問題集なんか、どこかに消えてしまえ!」ということになるだろう。  でも、テスト嫌いの君も、ここで、ちょっと考えてみる必要がある。  まず、中学受験・高校受験・大学受験でも、英語検定・漢字検定・数学検定などでも、社会に通用する様々な資格試験でも、たいてい「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」などが存在している。最初は、なんとなく「自分の力を試すもの」に感じられるかもしれないけれど、じつは、どれも「自分の力を確認するもの」でしかない。なぜなら、できても、できなくても、実際の合否判定には関係ないからだ。  では、なぜ「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」などに取り組むのだろうか?  君が達成したい目標に合っているものであれば、それに取り組むことによって、目標達成に必要な学習内容や学力が全体として見えてくるからだ。つまり、「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」は、君の学習を導くものになる。  ちなみに「テスト」でも「ドリル」でも「問題集」でも、○×をつけて、○がついたものは、「確認」にすぎない。なぜなら、すでにできるものに対して、ひとの脳は、それを覚えようとしない。「できているね。確認終了。じゃあ、また」という程度の反応だ。  ところが、×がついたものをしっかりと意識すると、ひとの脳は、「これは重要なことだ。おぼえなければいけない。しっかり学ぶぞ」と強く反応する。脳は、そもそも、失敗を起動力にして、学習するものだ。「試行錯誤」こそ、学習の本質なのだ。  たとえば、ある生物が、捕食活動をするとき、いつも行動どおりに捕食できたとすれば、その生物はなにも学習しない。なぜなら、生きるために学習が必要ないからだ。ところが、ある生物が、捕食活動をしても、対象に出会わなかったとき、その生物は、生きるためにくりかえし試行錯誤する。これが学習行動だ。そして、対象に出会って、なんとか捕食できたとき、新しい学習を習得したことになる。  ひとの学習は、この生物の原則とおなじである。正解を得るまで試行錯誤することが学習だ。  ここまで解説すれば、テストやドリルや問題集で×がついたものこそ、重要であることがわかっただろう。一度、解いただけなら、たんなる「確認作業」でしかない。×がついたものを解き直して、できるようにすることが「学習」である。  もっと気軽な気持ちで、「模擬テスト」や「演習ドリル」や「問題集」に取り組もう。そして、○がついたら「確認」であり、×がついたら、そこから本当の学習が始まるのだ。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 July

道は君のなかにある! The Way is in You!  君たちと対話していて、たのもしいな、と感じるときもあれば、ちょっと残念だな、と感じるときもある。自分の目標にむかってひたすら取り組む君はとてもたのもしい。でも、テストの結果などを見て元気をなくしている君はちょっと残念だ。テストの結果は、終わってしまえば、君の人生の過程の一時点にすぎない。君の人生は未来に広がっていくから、その結果をつぎのステップにつなげていくことのほうが重要だ。  さて、受験生は、いよいよ時間との戦いになる。受験生でなくても、なにか目標を持っているなら、やはり時間との戦いになる。受験学習にかぎらず、なにに取り組むにしても時間がかかるのだ。  時間とは、そのまま生命であり、生活である。そして、生命も、生活も、君の心のなかにある。哲学的な考え方だけれども、この考え方をテーマにして書かれた物語が、ミヒャエル・エンデの『モモ』だ。  ミヒャエル・エンデ(1929-1995)は、ドイツの児童文学作家で、『はてしない物語』(ネバ―・エンディング・ストーリー)など、有名な作品が多い。西洋の読者はあまり感じないかもしれないが、わたしは『モモ』にも『はてしない物語』にも道教や仏教の影響を感じる。  たとえば、モモと亀のカシオペアが「ありえない通り」を通って、「どこにもない家」に行かなければならない場面で、「急いでいるとき、あなたと離れることはできないの?」と、モモがいうと、亀の甲羅に「残念だけど、だめだ」という文字が浮かぶ。「どうしても、あなたは自分でのろのろと這っていかなければならないの?」とモモがたずねると、亀の甲羅に不可解な文字が浮かぶ。  DER WEG IST IN MIR(The Way is in Me)わたしのなかに道がある。  まさしく、老子や荘子がいうだろう答えだ。  『モモ』を読めば、君たちにもこの答えの意味がピンと感じられるだろう。  君が目標を達成するためには、君の時間と君の生命や生活が絶対に必要だ。そして、目標にむかう道は、絶対に君自身が歩いていくしかない。もし、君が「どうしても、あなたは自分でのろのろと歩いていかなければならないの?」とたずねられたら、どう答えるだろう? 目標に到達しなければならないのは、たしかに君自身だから、「わたしが決めた目標だから」とか「わたしがやるしかないから」とか「これがわたしの道だから」とか答えるにちがいない。  じっさい、毎日の生活のなかで、だれでも自分の目標にむかっている。些細な目標であれ、遠大な目標であれ、ひとは目標を意識するから、行動を起こす。なにか目的をもって意欲的に取り組む以上、すべての行動に目標があるといっていい。  受験生が志望校を意識すれば、学習したくなるだろうし、スポーツマンが試合を意識すれば、練習したくなるだろう。つまり、目標を意識すると、意欲が生まれるのだ。この意欲のことをモチベーションという。どうしても達成したい目標を持つことが、君のやる気を引き出し、行動をうながし、取り組みを持続させることになる。  いよいよ成長の夏を迎える。今年の夏期講習のテーマは、「君の可能性はもっと大きい! “できる自分”を実現しよう‼」だ。  時間も、生命も、生活も、道も、答えも、君の心のなかにある。  自分の目標にむかって、積極的に取り組もう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2022 June

目標設定が最初のステップ! Setting your goals is the first step.  受験にかぎらず、なにに取り組むとしても、いまの自分の状態で目標を決めるのではなく、まず自分の本当の気持ちで目標を決めることだ。目標を達成するための取り組みを続けているうちに、もしかしたら目標が変わるかもしれないけれど、第一に、いまの気持ちで自分の目標を決めよう。そうしないと、いつまでも第一歩が踏み出せない。  コーチングやカウンセリングの世界では、Want to(進んでやりたい)か、Have to(いやいややる)か、という問題になるけれど、自分の本音で決めた目標なら、ひとは自発的に取り組むことができる。自分から進んで取り組むとき、君の「内なる力」が発揮され、君は自分の目標にむかって確実に前進できる。  神経科学で説明すれば、Want toのときは、脳の海馬が活発に働くから学習をどんどんと吸収することができる。Have toのときは、脳の偏桃体が海馬の働きにブレーキをかけるから学習をなかなか吸収することができない、ということになるだろう。  さらに、Have to(やらねばならない)の隠れた心理は、「できればやりたくない」であるから、ひとは「やらなくていい」あるいは「やらなかった」理由をあれこれと見つけ出す。だから、計画を実行しなかったとき、ひとはたくさん言い訳を見つけることができるのだ。  もし、君が、学習や取り組みに対して「やらされている」と感じているなら、一度、立ちどまって、自問自答したほうがいい。  この学習や取り組みは、自分にとって、必要なことであり、やりたいことだろうか?  この学習や取り組みは、自分の目標につながっているだろうか?  君が「やらされている」と感じていて、「やりたくない」と思っているなら、現在の学習や取り組みは、君にとって、早く逃げ出したいものであり、忘れてしまいたいものにすぎない。いやいや取り組んでいるなら、君は集中することも、吸収することもできない。なぜなら、だれでも、いやなことは、できるだけ自分から遠ざけたいからだ。  でも、立ちどまった君は、自問自答する。  自分のさしあたっての目標は、AとBだ。Aは、近い目標で、通知表評定を全教科4と5にすること。Bは、すこし遠い目標で、志望校に合格すること。Bを達成するためには、Aを達成することが必要であり、Aを達成するためには、現在の学習や取り組みが必要になる。わたしは志望校に合格したい。志望校に合格するために通知表評定を全教科4と5にしたい。そのためには、目の前の学習や取り組みが、どうしても必要だ。  「では、自分は、学習したいのか? どうしても取り組みたいのか?」  もし、志望校合格が君の本気の目標であるなら、君の答えは、「やりたい!」(Want to)のはずだ。  このように、自分の本音や目標を確認することができると、君は、俄然として、やる気になる。やる気になれば、たいていのことは、できるようになる。  どんな行動も、目標設定が最初のステップだ。そして、君の本気度が目標達成のカギになる。  英語のことわざに、「馬を水際に連れていくことはできるけれど、水を飲ませることはできない」(You can lead a horse to water but you can't make him drink)というのがある。水際に連れていっても、飲みたくない馬は水を飲まない。学習もまったく同様である。学びたくない人は、学ばないし、学びたい人は、どんどん学ぶのだ。 山手学院 学院長 筒井 保明