Archive List for 学院長

学院長からのメッセージ 2021 January

読書が君の学力をつくる! Reading is the Key to learning.  小学生や中学生のみなさんから、「どうすれば学習を得意にすることができますか?」という質問をよく受ける。もっと端的に「どうすれば頭がよくなりますか?」と聞いてくる生徒もいる。  学習を得意にする方法も頭がよくなる方法もたくさん知っているけれど、もし一言でいうなら、「読書家になること」が答えになる。なぜなら、過去から現在に至るまで、「読書が学習のカギ」になっているからだ。詩人や文学者はいうまでもないが、科学者のニュートンも、発明家のエジソンも、政治家のフランクリンも、実業家の渋沢栄一も、君の隣の優等生も、じつは、みんな読書家なのだ。読書が学習を得意にさせ、頭脳の力を発展させる。学習は情報処理能力であり、頭脳の力は部分と全体の統合力である。たくさん読書することによって、君の頭脳の力は飛躍的に伸びていく。  そもそも学校教育は、教科書を使うことでわかるように、学習の前提として読書できることが求められている。教科書をくりかえして読むことができる力があれば、学校の学習はむずかしくない。  かつてはどんな学習も積み上げていくものであるように思われていた。先に進むためには、目の前の学習が完全になってからでなくては、ムリなように感じられていた。だから、君がスムーズに問題を解くことができないと、何度も何度もおなじ問題をやらされる。君はだんだんいやになってきて、あるとき、あきらめてしまうかもしれない。  ほんとうは、もっと気楽に、たくさんチャレンジしていけばいい。先に進んでいるうちに、自分のつまずいた問題がわかるようになってくる。全体が見えてくると、部分がわかるようになってくるからだ。  読書は、部分と全体を統合する力をつくる。そのためには、気に入った本をくりかえして読むことだ。一度目よりも二度目、二度目より三度目に読むとき、本の全体像も理解できる内容も高度に変わってくる。なぜなら、部分と全体は相互に働きかけているから、何度も読みとおすことによって、部分と全体がどんどん統合されてくるからである。  ここで、「でも算数や数学はちがうんじゃないですか?」という質問が飛んできそうなので、さきに答えておくと、算数や数学も言語であることを知っておこう。たとえば、🍎の数を1(いち)、🍎🍎の数を2(に)、🍎🍎🍎の数を3(さん)と人は名付けた。数字自体が言語なのだ。  もっと身近な例をいえば、算数が苦手な小学生の多くは、音読や読書が上手になってくると、算数も比例してできるようになってくる。急がば回れで、まず言語活動を活性化すると、頭脳がよく働くようになる。小学生だけでなく、中学生も、高校生も、大人も同じであるから、ぜひ日ごろの読書を心がけてほしい。  ところで、1カ月にどれくらい本を読んだらいいのだろうか。全国学校図書館協議会が何十年も調査している 5月1カ月の平均読書冊数を見てみると、2019年は、小学4~6年生11.3冊、中学生4.7冊、高校生1.4冊。個人的な意見をいえば、この倍くらい、読んでほしい。  読書家になると、正しい学習方法によって、かならず学習を得意にすることができる。  入試が迫っている受験生以外は、さっそく読書に取り組もう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2020 December

自分で決める! Decide for yourself!  新型コロナウイルスの影響で、なかなか志望校や受験校が決定できない生徒たちがいる。評判やうわさだけで志望校や受験校を決めるわけにはいかないので、各学校の説明会や相談会に参加する必要があるのだけれど、説明会や相談会に申し込もうとしても、すぐに締め切られたり、抽選で外れたりして参加できていない生徒が少なくない。 「志望校はどこかな?」と聞いても、 「いちおう、〇〇高校の予定ですが、まだ説明会に参加できていません」 「評判だけで志望校を決めてはいけない。説明会や相談会には必ず参加しよう。入学した後、思っていた学校と違った!と驚いたのでは、まずいから」  公立高校であっても、私立中学・高校であっても、各学校の退学者の大半は、「自分が入学した学校のことを事前にほとんど知らなかった」という事実がある。  難関県立高校の先生が、「一学期に、退学者が出ました。その生徒は説明会に一度も参加していません。ですから、わが校の教育方針や学校活動について、なにも知らなかった。なぜ、うちの学校に決めたのか、とたずねたら、塾の先生に偏差値で決められた、というのです。けっきょく、自分が行く学校を自分で決めていません。学力がある生徒なのに、ほんとうに残念です」と、嘆いていた。  わたしは、毎年、公立・私立を問わず、おなじような話を聞かされる。ある私立中学校では、入学式に出席しただけで、まったく学校に来なくなった生徒がいた。その生徒は、入学試験のときまで、その私立中学校のことをまったく知らなかったそうだ。塾と保護者が偏差値で受験を決めたらしい。  残念ながら、偏差値や進学実績だけを学校の価値だと考える人たちがいる。ひどい塾になると、生徒の成績や偏差値と、学校を難易度順に配置した偏差値表を照らし合わせて、「A君におすすめなのは、X学校。B君におすすめなのは、Y学校」などという乱暴な指導をする。そういう指導をする塾自体は、X学校のことも、Y学校のことも、実際にはよく知らないのだ!  君たち一人ひとりに個性があるように、公立高校にも、私立中学・高校にも、独自の校風がある。この校風だけは、自分で感じてもらうしかない。一度でわからなかったら、何回か、行くといい。すると、「この学校は自分に合っている」とか、「人気はあるけど自分はあまり好きでない」とか、「親はよくいわないけど自分はいい学校だと思う」とか、なんとなくわかってくる。  そして、中学受験でも、高校受験でも、大学受験でも、「自分で決めて、その学校に行く」という決意ができれば、どの学校に行っても、前向きに取り組める。職業の選択でもおなじだろう。  今年度は、受験生にとって、志望校や受験校を決めるための行動があまりに制限されている。その影響で、自分の住んでいる地域で知られている、評判のいい学校が選ばれる傾向があるようだ。  自分にふさわしい学校選択法は、 まず未来の自分の目標を思い描いてみる。思いつくままに、いくつでも。 複数の学校を選び、自分の目標につながる学校であるかどうか、調べてみる。大学進学でも、スポーツでも、芸術でも、職業でも、その学校が自分の目標につながっていれば、選択肢に入れる。 説明会でも、相談会でも、個人的な見学でもいいので、その学校に実際に行ってみる。その学校の先生や生徒と接したり話したりすることができれば、「選ぶか、選ばないか」がなんとなくわかる。  志望校・受験校は、自分で決める。(もちろん、親と相談すること)    未来の自分の目標があれば、君は、どの学校でも、力強く前進できるはずだ。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2020 November

目標に向かうとき、人は学習する!  9月の北辰テストの結果が返ってきた。自分の得点や偏差値や合格可能性を見て、君たちは、にんまりとほほ笑んだり、暗然と落ち込んだりしたかもしれない。しかし、その結果はすでに過去のものでしかないから、良くても、悪くても、君たちは目標に向かって前進していくだけだ。  そういっても、わたしも、君たちの結果をながめながら、君たちの日ごろの姿を思い浮かべて、笑顔になったり、渋面になったりした。とくに、一生懸命に取り組んでいる生徒の結果がかんばしくないと、かなり暗い気分になる。どうして、努力しているのに、結果となって表れないのか。なぜ努力が結果につながらないのか。  きちんと学習しているにもかかわらず、なかなか結果がともなわない生徒たちの大きな問題点の一つは、生活習慣がまちがっていることだ。一人ひとり面談して、まちがった習慣を正していくだけでも、ずいぶん結果が変わってくるだろう。 ①夜9時以降のテレビやゲームやスマホやパソコンは、原則として、禁止。  受験生であれば、なにが重要なのか、自分で決めることだ。テレビやゲームやスマホやパソコンが、今日の学習よりも重要であると判断したなら、それによって今日の学習が壊れ定着しないまま消滅したとしても自己責任であろう。今日の学習は短期記憶として蓄えられ、熟睡中に長期記憶として定着する。ところが、睡眠前のテレビやゲームやスマホなどは、短期記憶を壊し、睡眠ホルモンのメラトニンの分泌を妨げ、睡眠を浅くしてしまう。つまり、熟睡がないから、細胞をつくったり修復したりする成長ホルモンが分泌されない。  熟睡こそ、君たちを成長させるカギである。熟睡を失うと、脳や身体の成長が阻害され、疲労から回復することもできず、ひどい場合、朝、起きられなくなる。学習の前に、健康を害してしまう。  記憶と睡眠、睡眠と成長ホルモンの関係を知っている人は、寝る前に学習をまとめる習慣を持っているし、テレビやスマホなど触わらない。もっと慎重な人は、熟睡するために、お風呂の電気を暗くして入浴したりする。(強い光はメラトニンの分泌を妨げるので)そして、自分に向かって「あなたは目標を達成できる」と明言してから熟睡する。  「いい眠りを眠ること(熟睡すること)」が、一日の最重要事項なのだ。 ②つねに自分の目標を意識する。  ①とも関連して、学習しなければならないのに、どうして目の前のことに振り回されてしまうのだろうか。ついゲームに手を出してしまったり、テレビを見てしまったり、スマホをいじってしまったり、マンガを読んでしまったり・・・気がついたら、あっというまに時間が過ぎていた!  原因は、「目標が意識されていないこと」である。たとえば、おにぎりを食べたいと思っているとき、ラーメンをつくる人はいないだろう。映画を見たいと思っているとき、ジョギングする人はいないだろう。学びたいと思っているとき、遊ぶ人はいないだろう。人は、やりたいこと(目標)に向かって行動するものだ。  だから、学習しないで、ほかのことをしてしまうのは、学習が目標につながっていない証拠である。「志望校に行きたい」と本気で思っているなら、学習はやりたいことになる。「みんながやっているから、やらねば・・・」と思っているなら、ゲームやテレビやスマホの誘惑にかんたんに負けてしまう。  本気の目標を持てば、君は自然に学習に向かいたくなる。  野球選手になりたいと思っている若者は、サッカーの練習ではなく、野球の練習をする。行きたい学校がある君は、ゲームやテレビやスマホではなく、学習を始める。  いつでも自分の目標が先だ。自分の目標を意識していると、必要なことを自然にやるようになる。  さて、君の目標は、なんだろう? 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2020 October

目標に向かうとき、人は学習する!  ミシガン大学のタド・A・ポルク博士の「習慣性の脳」(The Addictive Brain)の講義のなかで、 「一時的な違いと予想のまちがいが、人の学習の根本だ」という発言があった。  英語のままだと、temporary difference(一時的に異なること)とprediction error(予測が外れること)が学習の引き金になるという。  記憶の仕組みでも「人はまちがいをインデックス(索引・指標)にして記憶する」といわれる。そして、教育学でも「まちがいを排除しようとする教育はあやまりである」と多くの人たちが主張する。つまり、違いやまちがいが学習には不可欠なのだ。  にもかかわらず、教師をはじめとして、多くの大人たちは、子どもたちのまちがいを指摘して、まちがえないように指導する。じつは、ほんとうの学習は、自分で違いやまちがいに気づいて、それを自分で修正することなのだ。教育学者マリア・モンテッソーリは、「子どもたちが集中して取り組んでいるとき、子どもたちに余計な手を出すな。あなたたちの、良かれと思った手出しが、子どもたちの学習意欲を奪い、子どもたちの能力を奪うのだ」とまで主張した。  わたしは、学習だけでなく、スポーツや芸術などを通じても、「意識的にせよ、無意識的にせよ、人は未来を予想しながら生きている」と考えている。スポーツを例にとれば、みなさんも思い当たるだろう。バスケットボールであっても、サッカーであっても、野球であっても、すぐれた選手は、ボールや他の選手の動きを予想・予測しながら、プレイしているはずだ。「一時的な違い」に気づいて自分の動きを変えるだろうし、「予想のまちがい」を回復するためにみんなの動きを変えるだろう。そうしたプレイのなかで、さらにその競技に上達していく。  芸術を例にとれば、先を予想しているから、画家は筆が動くのであり、ピアニストは指が動くのだ。そして、描いてみて予想と違えば描きなおすだろうし、弾いてみてまちがえたら弾き方を工夫するだろう。もし先を予想していないなら、違いもまちがいも生じない。学ぶべきことも生まれない。  ポルク博士のいうとおり、学習の根本は、「一時的な違い」と「予想のまちがい」であろう。  こういったことがわかってくると、学び方や生き方も変わってくるにちがいない。  たとえば、人の話を聞くとき、「つぎは、なんていうだろう?」「つぎの言葉はなんだろう?」と少し先を予想しながら(意識しながら)聞いていると、話がしっかり聞き取れるし、話し手がいっていることもよくわかる。英語のリスニングであれば、「つぎはどんな音だろう?」「つぎはどんな単語だろう」と予想しながら聞いていると、つぎの音や単語が予想外れであっても、その違いに気づいて、よく聞き取れるようになる。本を読むときも、スポーツをするときも、楽器を弾くときも、つぎを予想・意識していると、言葉や動きや音が予想と違っても、そこから新しい学習が生まれるので、理解や上達が速くなるだろう。  では、なぜ目標をもっている(強く意識している)と、わたしたちの進歩が速くなるのだろうか?  目標とは、「未来に予想される自分」にほかならない。目標(予想)に向かう取り組みには、必然的に無数の「一時的な違い」や「予想のまちがい」が生まれる。目標に向かっているかぎり、どの違いも、どのまちがいも、すべて目標を達成するための学習になっている。だから、わたしたちは進歩するのだ。  君が予想する「未来の自分」に向かっていこう! 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2020 August

君の未来のために学ぼう!  Learn for your future! わたしたちの空間と時間は、宇宙の誕生とともに生まれた。  宇宙という言葉は、空間、時間、物質(情報)の総称だ。「宇」は「空間」、「宙」は「時間」を意味する。わたしたちは、宇宙(空間と時間)のなかで生きているし、宇宙が生んだ物質(情報)によってつくられている。つまり、わたしたち一人ひとりが宇宙のたまものだ。  先月、上記のようなことを書いたら、かしこい小学生の男の子に、 「ぼくは、情報ですか?」  と質問された。 「そうだよ。君は情報でできている。情報でできているし、新しい情報を取り込んでエネルギーにしている。いまの君の意識だって、記憶という情報でできている」 「じゃあ、学習は人をつくるってことですか?」 「そうだよ」    といったところで、お母さんが迎えに来られた。  時間があれば、太陽も、地球も、わたしたちの身体も意識も、みんな情報でできている、という話をしたかった。なぜなら、未来を担う子どもたちに必要な知識だからだ。  わたしたちの身体でいえば、100兆個といわれる細胞のなかにそれぞれ核があり、さらにそのなかにデオキシリボ核酸(DNA)があり、DNAには約10万個の遺伝情報(遺伝子)が書き込まれている。その情報(ヒトゲノム)にしたがって、わたしたちの身体を構成しているたんぱく質がつくられる。脳になったり、心臓になったり、肝臓になったり、胃になったり…  では、それぞれのたんぱく質はなにでできているか? アミノ酸だ。そして、各遺伝子の情報に基づくアミノ酸の結合順序がそれぞれのたんぱく質をつくっている。  どこまでいっても、情報なのである。  だから、遺伝子組み換え技術は遺伝子の情報の書き換えのことであるし、毒物や化学物質などで遺伝子が傷つくと、正しい情報が新しく生まれる細胞に伝わらずに異変が起き、病気になったりする。  では、学習によって、電気信号・化学信号として脳に伝わって蓄えられた情報はどうなるのだろうか?  人の意識は、記憶された情報でできている。  「自分」という意識は、そのとき、意識された情報のまとまりである。  たとえば、困難なときでも、君が「できる」という記憶をたくさん持っていれば、君は「できる自分」を意識できるだろう。もし君の記憶のなかに「できない」という記憶しかなかったとしたら、君は「できない自分」しか意識できない。君を決定しているのは、君の記憶なのだ。  だから、小学生・中学生のときに、たくさんの「できる」を積み重ねておかなければならない。たくさんの「できる」の記憶があれば、君はいつでも「できる自分」を意識できるし、目標に向かって積極的に取り組むことができる。  君がポジティブであるかネガティブであるかは、これまでの君の経験(経験も学習)がもとになっている。  でも、過去は過去でしかない。目標は未来である。いま、君が学ぶのは、君の未来のためだ。 山手学院 学院長 筒井 保明

学院長からのメッセージ 2020 July

目標にむかうと、君の時間が始まる。 Your time will begin for your goals.  時間というものは不思議だ。 国語の時間に、対義語として、空間⇔時間と教わるけれど、相対性理論によれば、空間と時間は本質的におなじものだ。  「空間は前後左右上下へと移動できるが、時間は過去から未来へと一方向にしか移動できない」という「時間の矢」の問題があるけれど、『方丈記』(鴨長明)の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし(川の流れは途絶えないが、もうもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は、消えたり結んだりするが、そのままであることはない)」のとおりで、時間とともに空間も変わる。時間も空間もこの一瞬に存在するだけである。  時間と空間については、古代から現代まで、さまざまな考察や議論や説明が行われている。 たとえば、古代インカ帝国の人びとは、時間と空間をpachaの一語で表していた。つまり、時空というとらえ方である。まるでアインシュタインのようだ。  ギリシャの哲学者たちも、ローマの宗教家たちも、ムスリムの科学者たちも、時間と空間について深く考察した。ドイツの哲学者カントは、時間と空間をアプリオリ(先天的)な概念ととらえたけれど、現代の考え方ではアプリオリなものは存在しない。ライプニッツとニュートンは、空間と時間が絶対的なものであるか関係的なものであるかで議論した。そして、アインシュタインは、特殊相対性理論によって、空間と時間が本質的におなじものであると説いた。  もし興味がわいたならば、できるだけ新しい解説書を読んでほしい。新しい考え方から古い考え方にさかのぼるほうが、わかりやすいからだ。  さて、わたしたちの空間と時間は、宇宙の誕生とともに生まれた。  宇宙という言葉は、空間、時間、物質(情報)の総称だ。  漢字の語義でいえば、「宇」は、「上下四方、空間、世界」を意味する。「宙」は、「古往今来、時間」を意味する。  「宇宙」という漢字自体が「空間と時間」で一つなのである。古代インカ帝国の人びとが空間と時間を一語でpachaとしたのとおなじ発想であろう。  わたしたちは、宇宙(空間と時間)のなかで生きているし、宇宙が生んだ物質(情報)によってつくられている。つまり、わたしたち一人ひとりが宇宙のたまものなのだ。  あまり大きな話ばかりしていると、地球に戻れなくなるので、ここで時計の時間を見てみよう。  地球上の時間はあっという間に過ぎていく。  学習の時間も、宿題の時間も、受験勉強の時間も、いつのまにか過ぎ去ってしまう。  なんとなく毎日を過ごしていると、砂時計の砂のように時間はサラサラと流れてしまう。  ところが、君が、志望校合格などの目標を目指したとき、君は、時間を意識するにちがいない。受験日がはっきりしていれば、受験日までの時間の長さを意識に上げるだろう。現在の自分と未来の自分のあいだの時間が、じつは、君の時間である。  時間をムダにしたくないのなら、自分の目標を意識することが必要だ。目標を意識すれば、目標を達成するために時間を使いたくなる。そして、実際に目標に向かったとき、君の時間が始まるのだ。 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 June

世界は人の努力でよりよくなる。 The world can be made better by human effort.  埼玉県の山林を歩いていると、杉と松の林が多いことに気づくだろう。針葉樹で圧倒的に多いのが杉で、その次が扁柏(ヒノキ)、赤松と続く。  むかしの日本の造林方法は単純で、造林しようとする場所の草を刈りはらって、杉やヒノキを植えていくというやり方であった。しかし、この方法がどこにでも通用するわけではなかった。  埼玉県久喜市で生まれた本多静六(1866-1952)少年は、窮乏生活のなか、農繁期は農作業をし、農閑期は上京して書生として勉学に励んだ。  1884年に東京大学(当時は東京山林学校)に入学し、首席で卒業。  林学を学ぶためにドイツに留学し、ミュンヘン大学で博士の学位を取得して帰国。  東京大学の教授となり、造園家として、東京都の日比谷公園や明治神宮、埼玉県の羊山公園や大宮公園や森林公園などの設計や改良に携わった。  ちなみに埼玉県比企郡嵐山町の嵐山渓谷を中心に「武蔵嵐山」と命名したのも本多静六である。  さて、杉がなかなか育たない場所で、どうやって杉を育てるか。  本多静六は、保護樹という方法をとった。  まず松林を仕立てて、そのあいだに杉を植え込んでいく方法である。つまり、松が杉を保護するのだ。松は育ちの早い木であり、寒冷地でなければ、どこでも育つ。松は保護樹として最適だ。  埼玉県は、海のない、山の多い県なので、ほとんどが赤松。他県の海岸で見かける枝ぶりのいい松は黒松である。  明治維新以降、日本人は、建築土木用として、木繊維用として、薪炭用として、むやみやたらに森林を切り倒してしまった。その結果が、全国各地で起きた洪水の被害であった。  よく茂っている森林であれば、降った雨の四分の一は、枝や葉の上にたまって、その後、次第に蒸発していく。残りの四分の三は、雨が葉から枝、枝から幹に流れて、徐々に地面に落ち、そこにある落ち葉に吸い取られる。本多博士の実験によると、松の落ち葉は、落ち葉の重さの五倍分の水を吸収して保つことができる。松以外の雑木や苔類は七倍~十倍の雨水を貯めることができる。よく茂っている森林があれば、洪水はかんたんには起きない。  森林の役割には、水の貯水や洪水の予防ばかりでなく、気候の調節、水源の涵養、雪崩や津波の防止など、さまざまな働きがある。  この森林を守るために、明治時代の末期から、造林や植樹に力が入れられた。  たとえば、明治36年から愛知県北設楽郡が始めた鴨山の造林は、5年間で、およそ69キロ平方メートルの面積に対して、杉220,883本、ヒノキ80,947本を植え付けている。  花粉症に苦しむ人たちにとっては杉やヒノキは厄介な存在であるかもしれないが、日本の歴史を振り返ると、人々の造林の努力によって杉やヒノキがここまで増えたのだ。  わたしたちが山林を訪ねて、杉やヒノキや松が多いことに気づいたら、その場所は人の手が育てた場所である。けっして自然にできているわけではない。  君たちの身の回りのほとんどのものに人が関わっている。世界は人の努力でよりよくなっている。そして、世界は、いつでも君の努力を待っているのだ。  さあ、しっかり学んでいこう! 学院長 筒井保明

学校が休みのあいだに小学生・中学生・受験生のみなさんがやるべきこと

学校が休みのあいだ、君たちがやること (教科書の全体をおおまかにつかんでおくこと) まず意志を持つこと  新型コロナウイルスが広がることによって、世界中が混乱しています。  学校の休校や図書館の休館が続き、もしかしたら君たちの学習も止まっているかもしれません。テレビやゲームやYouTubeの動画などにたくさんの時間を費やしていませんか? 残念ながら、どれも君たちにとっては気楽に見たリ、プレイしたりできる、君たちが受け身になるメディアですから、君たちの学力や能力をほとんど高めることはありません。  学習でも、スポーツでも、芸術でも、取り組むためには自分の意志が必要です。  Where there's a will there's a way. (意志があるところに、道・方法がある)という英語のことわざのとおりで、「やりたい、やるぞ」という意志があるから、進む道があり、達成する方法があるわけです。  君たちの学力や能力を高めるものは、最初に君たちの意志を求めます。  学習でも、スポーツでも、芸術でも、君たちがすすんで能動的に取り組むとき、君たちの学力や能力は高まるのです。 キーワードは、「自分の声」と「全体」  さて、何人かの小学生や中学生から、「教科書が手に入りました。どうしたらいいでしょうか?」という質問がありました。  図書館が閉まっていて本が借りられない状態ですから、目の前の教科書を使う(過年度の教科書でも、新年度の教科書でもかまいません)、とっておきの学習方法を教えましょう。  この学習方法のキーワードは、「自分の声」と「全体」。  まず、人は、音声言語として、言語を身につけます。それも、聞くだけでは足りず、自分の声を発し、自分の声を自分で調整しながら、その言葉を自分のものにします。  ですから、国語が苦手な原因も、英語が苦手な原因も、専門的な用語が多い社会科や理科が苦手な原因も、多くの場合、自分の声を使用していないところにあるのです。(思い当たりませんか?)数学も言語ですから、もしかしたら数学が苦手な遠い原因も、おなじかもしれません。  そこで、自分の声のトレーニングとして、国語でも、社会でも、理科でも、英語でも、教科書を音読します。学ぼうと意識する必要はなく、楽しい読み物を軽く読むような感じで、教科書全体を最後までとおして音読してみましょう。  気をつけなければいけないのは、読めない文字(漢字でも英語でも専門用語でも)は、調べたり、聞いたりして、正しく読めるようにすること! まちがえておぼえてしまうと、あとで直すのに苦労します。  かつて日本の知性といわれた学者がベルリンの壁の崩壊を解説するとき、「本質的に、にんげんは、キジャクですからね」とくりかえしたことがあり、みんなが首をひねりました。横文字をまじえるクセのある学者でしたので、途中で「フラジャイル」と口走ったとき、「ああ、キジャクとは、脆弱(ぜいじゃく)のことか」と、はじめて合点がいきました。名前は伏せますが、日本を代表する知性でも、まちがえておぼえてしまうと、なかなか訂正できないものなのです。  まちがえておぼえないように気をつけながら、まず、音声として言葉をおぼえるようにしてください。もちろん、音声だけでは試験に通用しませんから、音声としておぼえた言葉や用語や英単語を、つぎは、書けるようにします。  「読めることが先。書けることが後」です。これは小学生でも中学生でも共通です。 先に全体に目をとおしておくと、きちんと理解することができる  つぎに、教科書を最後まで読んでしまうことです。  漢字や用語や英単語をまちがえずに読めるなら、おぼえようと意識しないで、国語や社会の教科書、また英語の教科書をまるまる音読・黙読してしまいましょう。学校が始まって、それぞれの教科を学習するとき、まちがいなく理解が速くなります。音読ですと、たしかに時間はかかりますが、自分の声を発して読んでおくだけでも、学校が始まったとき、その効果を実感することができるでしょう。先生の説明を自分の言葉として聞くことができるようになっているからです。(一冊全部に自信がない人は、とりあえず三分の一でも)  じつは、教科書をとおして読んでおくことには、もっと重要な効果があります。  むかしの考え方のまま、学習はレンガを積み上げるように「部分の積み上げ」であると思っている先生が多いのですが、これはまちがいです。たとえば、レンガで教会を作るとして、予想される教会の全体像が見えていないとしたら、はたして教会はできあがるでしょうか。  また、哲学であれば、アリストテレスでも、ニーチェでも、西田幾多郎でも、まず、だれかの一冊を最後まで読んで、おぼろげに全体像をつかみます。そうしてから、何度もくりかえして読みますと、書かれている内容が理解できるようになります。なぜなら、哲学者の頭のなかには思考の全体像(イメージ)があって、その全体像に対して思考(文)を組み上げていくからです。つまり、全体と部分が双方向に働きながら世界ができあがっていますので、一回、読んだだけではわからないのです。  よくできた教科書も、おなじです。教科書の編集作業は、その教科の全体像が先にあり、それぞれのページを集めて一冊の教科書に編集していきます。  ですから、全体をおおざっぱにつかんでから、こまかく学習していくほうが効果的なのです。  そもそも教科書はくりかえして読むように編集されています。参考書というのは、教科書を読むための参考ですから、「教科書をくりかえして読むこと」が先であり、基本です。 1学期に大きな飛躍をしよう!  「自分の声」と「全体」の意義がわかりましたか?  音読も、黙読も、教科書を読みとおすことも、君たちの意志がなければ、1ページもすすみません。ここに書いたことは、学校が始まって、実際の学習に取り組む前の、重要な下準備です。ぜひ、やってみてください。  ところで、もっと重要なことがあります。  受験生であれば志望校を持つことかもしれませんが、学習にも、スポーツにも、芸術にも、自分の目標が必要です。  君たちは、目標にむかって成長します。  目標がなければ、人は前に進むことができません。  もちろん、君たちの成長にしたがって目標も変化しますから、いまの自分が心から実現したいことであれば、どんなものでもいいのです。  君たちの意志があるところに、君たちが進む道があり、目標を達成する方法があります。  君たちの飛躍を期待しています。

学院長からのメッセージ 2020 May

情緒の知恵をきたえよう! Emotional Intelligence Quotient  人は、パニックになったとき、思考力を失ってしまう。新コロナウイルスが引き起こしたパニックは、多くの人びとから、容易に考える力を奪っていった。その証拠の一つとして、しばらくのあいだ、消毒液やマスク、トイレットペーパーやティッシュペーパー、さらに非常用になる食品までが、わたしたちの前から消えた。自分や身内のことで心が占められたとき、人の行動は独善的になる。不必要な買い占めをした人びとは、視野がとても狭くなっていた。  困難なときこそ、知恵が必要だ。(「知恵」という漢字は「知識」knowledgeのほうに意味が近いので、できれば旧漢字で「智慧」wisdomと書きたいが、常用外なので「知恵」)  この場合の知恵は、IQ(知能指数Intelligence Quotient)ではなく、EQ(心の知能指数Emotional Intelligence Quotient)のことだ。  福沢諭吉をはじめとして、明治時代の日本人の造語力はとても高かったけれど、現代の日本人の造語力は高くない。ちなみに、中国語でIQは、智商、智力商数。EQは、情商、情緒智慧、情緒智商。  もし明治時代の日本人が訳語をつくったとすれば、IQは、智力商数、EQは、情緒智力商数、になったのではなかろうか。明治人にとって、「智力」と「情緒智力」のちがいは、人間的価値の重みを決める決定的なちがいであった。福沢諭吉にも、勝海舟にも、西郷隆盛にも、高橋是清にも、「情緒智力」があった。かれらの言動や著作物に触れると、かれらのEQの高さがわかる。  「智力」だけでは、「学習能力」にとどまってしまう。  「情緒」だけでは、「感応能力」にとどまってしまう。  「情緒智力」を発揮することによって、周りの人たちに影響を与えるような大きな仕事ができるのだ。  「情緒」は、やまとことばになおせば、「もののあわれ」である。  平安時代の昔から、「もののあわれ」が人の心の根本になければ、その人に生きがいはない。  生きがいは、人と人との関わりのなかで生まれるものである。だから、人のために涙を流せないような人や、もののあわれを感じることができない人に、生きがいはない。自分のことしか考えない人は、一人ぼっちで砂漠を旅するような人生を送ることになるだろう。  困ったときはお互い様だ。  世の中の助け合いや共生は、IQではできない。世の中の問題を解決するためにはEQが必要なのだ。  では、情緒智力(EQ)はどうやって高めたらいいのだろうか?  小学生も、中学生も、「物語」をたくさん読んで、積極的に世界に関わっていくことである。もともと「物語」を読むことの効用の大きな一つが「情緒の感応能力」を高めることである。  原始的な感情をつかさどっているのは脳の海馬に隣接する偏桃体で、ヘビを見てギャッと飛びのくのも、火事を見て慌てふためくのも、攻撃に対して怒りを燃え上がらせるのも、いらいらしたり、くよくよしたりするのも、偏桃体の働きだ。  ところが、「物語」を読んで感動しているときの情動は、偏桃体の働きではない。脳の前頭前野の眼窩前頭皮質が働いて、他者の心を理解したり、社会的な情動を起こしたりしているのだ。つまり、情緒智力が働いている。  「情緒」や「もののあわれ」は、原始的な感情ではなく、人間を人間らしくしている感情だ。  たくさんの物語を読んで、たくさんのことを体験して、未来をひらく情緒の知恵を身につけよう! 学院長 筒井保明

学院長からのメッセージ 2020 April

挑戦と失敗 Trial and Error  プログラミング教育が世界中で始まっている。日本でも遅ればせながら始まるけれど、うまくいくだろうか。  プログラミング教育に必要なのは、まず生徒一人ひとりの想像であるから、あらかじめ用意された答えにたどり着くような教え方では、生徒たちの能力は育たない。プログラミングの学習は、基本として自立的な学習であり、トライアルとエラーをくりかえしながら、自分で会得していくものだ。  小学校の教科でいえば、図画工作のデジタル版であるといってもいい。  この大前提に立って、授業が行われるならば、プログラミング教育はうまくいくだろう。  プログラミングは、21 世紀型スキルとして、生きていくために必要な教養であることはまちがいない。  文部科学省の「小学校プログラミング教育の手引き」の言葉を使えば、「論理的思考力」「創造性」「問題解決能力」「プログラミング的思考」を育成することがプログラミング教育のねらいであるけれど、もっ と率直に、「プロジェクトprojects、情熱passion、共有peers、プレイplay を通して、創造力creativityを養うこと」というMIT(マサチューセッツ工科大学)でスクラッチ開発グループを率いるミッチェル・レズニック博士の表現のほうが、プログラミング教育にはぴったりくる。  プログラミング教育の要は、創造力なのだ。なぜなら、想像を実際に働く形にするのが創造力であり、プログラミングは創造の方法であるからだ。  レズニック博士は、論理的思考とはいわず、創造的思考(creative thinking)という。その創造的思考を培う子ども用のアプリケーションやハイテク玩具がほとんどなかったので、ビジュアルプログラミング(スクラッチ)を開発したのだ。  文部科学省がプログラミング教育に採用しているのも、このビジュアルプログラミングである。また、手引きを読んでいてほっとしたのは、「試行錯誤」という言葉をくりかえして使っていたことである。日本の学校教育に不足していたのが、この「試行錯誤」であり、「まちがえないこと」を重視して、「まちがえること」を大切にしてこなかったことが、わたしたちの創造力を減退させたのかもしれない。  人は、記憶の原理として、まちがいを手引き(インデックス)にして学習するのであるから、「試行錯誤」の経験は学習そのものである。プログラミング学習では、自分が想像したプロジェクトを実現するために、なんども試行錯誤をくりかえすだろう。そして、その試行錯誤の過程で、論理を組み立てること、問題を解決すること、予期した結果を出すことなど、プログラミング教育のねらいが達成されるのである。  ところで、レズニック博士のスクラッチ開発グループの名前は「ライフロング・キンダーガルテン」(生涯続く幼稚園)という。名前の由来は、「急変する社会を生きぬくあらゆる年代の人々にとって、創造的能力を広げるためには、幼稚園スタイルの学習が求められる」ということだ。  幼稚園の開祖は、ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベル(1782-1852)。レズニック博士の使う「創造力」という言葉は、フレーベルの教育方法の要でもある。フレーベルは、教室方式(講義方式)でなく、環境に働きかける遊びや作業を重視した。  プログラミング教育は、教室方式ではむずかしいかもしれない。スタートは一人ひとりの想像であり、その想像を一人ひとりが試行錯誤しながらプログラムするからだ。  創造力(モノをつくる力)は、挑戦と失敗によって、養われる。「試行錯誤」を恐れてはいけない! ※図は、Lifelong Kindergarten by Mitchel Resnick (The MIT Press 2017) より。 学院長 筒井保明