Day: November 13, 2019

そろばん通信|2019年12月号

定位法・片落とし・両落とし  江戸時代から、そろばんには流派がありました。  おなじ割り算でも、みなさんとおなじようにかけ算の九九を使う流派もあれば、別にわり算の九九を覚えて、それを利用する流派もありました。  かけ算のとき、かけられる数とかける数の両方をそろばんに置く方法を「定位法」、かけられる数を置く方法を「片落とし」、どちらも置かない方法を「両落とし」といいますが、みなさんはどの方法を使えばいいのでしょうか。  いろいろな意見がありますから、判断に苦しむかもしれません。  わかりやすく説明すれば、みなさんが初めて自転車に乗るときとおなじです。  自転車に乗ることにものすごく不安であれば、自転車の後輪の左右に補助輪を付けます。不安が小さくなりますと、片方をはずして、片方だけ残すことがあります。しかし、上手に乗れる見込みが出てきますと、両方の補助輪を外してしまいますね。  将来的に「そろばん式暗算」を身につけようと考えている場合、最初から「両落とし」で練習しておきますと、暗算の習得がスムーズになります。また、計算に速度を求める場合も「両落とし」になります。  最初のころは「定位法」や「片落とし」よりむずかしく感じる「両落とし」ですが、小学生の脳は柔軟ですから、安心してトライしてください。大人がもたもたしている横で、小学生は「両落とし」でどんどんそろばんの玉を弾くことができるようになります。  小学生の有段者のほとんどは、「両落とし」で練習しているのではないでしょうか。  保護者様の世代の方には、わたしがお話ししたかぎりでは、「片落とし」で学んだ方が多く、「両落とし」「定位法」と続きます。有段者になると、やはり両落としです。  もしかしたら、そろばんの先生たちが「初学者の生徒たちにどれだけの力をつけたいか」と考えたとき、人の心理として、なんとなく平均的な「片落とし」を選んでしまうのかもしれませんね。計算まちがいを減らすために「片落とし」を選ぶ先生もいるでしょう。  しかし、大人はたいてい子どもたちの能力を低く見積もってしまいます。大人よりも子どものほうが「両落とし」をマスターすることが早いのです。  もちろん、どの方法にも長所と短所がありますから、さまざまな目的に応じて方法を選んでもいいのです。それでも、学習でも、習い事でも、スポーツでも、芸術でも、やるからには、高みを目指したほうがいいと思います。高みを目指すからといって、苦労は不要です。みなさんが自発的に「やりたい」という気持ちで取り組むなら、そろばんの練習に楽しく持続して取り組むことができます。  そろばんを前にしたら、目をつぶり、肩の力を抜いて、リラックスしてください。  目を開けて、「やるぞ」と気合を入れて、あとは「楽しく」取り組むだけです。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年11月号

かけざんの基本は正確な九九  かけざんの基本は、九九。  こんなことをいうと、みなさんは、「そんなのあたりまえじゃないか」と、笑うかもしれません。  でも、みなさんのまわりにいる中学生のなかに、もし「数学が苦手なんだ」という中学生を見つけたら、 「おにいさん。おねえさん。一の段から九の段まで、できるだけ急いで九九をいってみてください」  と、ていねいにおねがいして、実際にやってみてもらってください。  きっと六の段から少しずつ時間がかかるようになるでしょうし、もしかしたら、ときどきまちがえるようになるでしょう。  中学生の場合、「数学が苦手」のうらには「計算が苦手」がかくれています。そして、「計算が苦手」のうらには「計算練習の不足」や「九九のまちがい」がかくれているものです。  ところが、中学生は、小学生よりもプライドが高い。 「いまさら、九九や計算練習など、できるものか!」  そういって、中学校の数学の問題に取り組むでしょう。そして、答え合わせをして、その結果にがっかりと落ち込むのです。 「どうして答えが合わないのだろう?」  考え方をまちがえているのなら、考え方を正しい方向に向ければいいのです。  数学のおもしろさは、考え方のおもしろさですから、正しい計算力を身につけている生徒にとっては、「まちがえ」もまた楽しいものなのです。  しかし、そもそも正しい計算ができない生徒にとっては、数学は苦しみでしかありません。数学が苦手であったり、きらいであったりする原因は、計算力が大きく不足していることです。計算が遅く、そのうえ不正確であれば、だれだって、算数や数学の問題に取り組むのがいやになってしまいます。  いっぽう、そろばんを練習しているみなさんは、速く、正しい計算ができるようになりますから、算数や数学がきらいになることはないでしょう。計算がラクになれば、算数や数学は楽しいものです。  さて、「九九」は、中国で生まれました。  英語では、チャイニーズ・マルティプリケーション・テーブルとかナイン・ナイン・マルティプリケーション・テーブル(Nine Nine multiplication table)というようです。  ほとんどのかけざんテーブルは、10×10までですが、現在では12×12までのかけざんテーブルも出まわっています。  さらに、25×25までのもの、30×30、33×33までのものもあり、どこまで暗記するかは、個人で決定すべきことでしょう。  みなさんは、まず、速くて正確な「九九」をしっかりと身につけてください。そして、その「九九」を使って、かけざんをたくさん練習してください。  江戸時代には、そろばんの流派によって、わりざんの九九もありましたが、みなさんのわりざんは、かけざんの「九九」を使います。江戸時代であれば、百川流(ももかわりゅう)といわれるかもしれませんね。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年10月号

そろばんの暗号  日本を代表する推理作家であった江戸川乱歩(一八九四年~一九六五年)は、作家になる前に、鳥羽造船所電機部の庶務課で働いていた。  当時は大正時代であり、電子計算機も電卓もなかったので、乱歩先生は、とうぜんながら、十露盤(そろばん)を使っていた。(変体仮名では、十は、そ、と読む)  このときの経験をもとに、『算盤が恋を語る話』を書くことになる。  造船所の事務室で、乱歩先生と思われる事務員の男が、おなじ事務室の女性に好意をもった。しかし、男は自分に自信がなく、女性に声をかけることがどうしてもできない。そこで算盤をはじいて、  1,245,322,222.72  (十二億四千五百三十二万二千二百二十二円七十二銭)をあらわす算盤を彼女の机に置いたのだ。(大正時代、「円」で終わらず、「銭」まで数えた)  朝、彼女が出社したとき、「あれ」という顔で机の上の算盤を見たものの、彼女は盤面の数字の意味に気づかない。事務員の男は、内心でがっかりした。  鳥羽造船所では、多くの社員を識別するために、名字の最初の文字に対して、「あ」なら1・1とか、「も」なら7・5とか、「す」なら3・3とか、数字を割り振って社員を管理していた。  だから、この算盤を解読すれば、彼女にあこがれの思いが伝わるはずなのだが・・・。  事務員の男は、一度や二度の失敗にあきらめずに、毎日、おなじ数をはじいた算盤を彼女の机の上に置いた。  すると、ある日、ふと彼女は顔を赤らめた。  「愛しき君」(いとしききみ)と読めたからだ。  上の五十音図を見てもらえば、みなさんにも解読できるだろう。  1・2 い  4・5 と  3・2 し  2・2 き  2・2 き  7・2 み  愛しき君というのは、当時においては、大胆な告白であろう。  興味がわいたら、直接、乱歩先生の小説を読んでください。推理小説であるから、あとは「読んでのお楽しみ」である。  さて、これを利用すると、君たちも算盤で暗号のやり取りができる。  たとえば、君が「1,222,713,321」と算盤に数を置いておくと、友だちが「121,285」とか「7,392」と答える。  君の暗号は、「いきますか?」で、友だちの答えは、「いいよ」と「むり」となる。  だれかを評価するときにも、「12,128,143」とか「229,112」とか算盤の暗号でやり取りができる。慣れてくると、五十音図を見なくても、つくれるようになる。「12,128,143」は「いいやつ」、「229,112」は「きらい」となる。  大正時代の日本人は、多くの人たちが算盤を使っていた。もしかしたら、日本のあちこちで、算盤による暗号が取り交わされていたかもしれない。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年8月号

そろばんで集中力を身につける(2)  前回は、集中力を妨げる原因について話しましたので、今回は、そろばんで集中力を身につける実践方法について説明しましょう。  集中力が身につくだけでなく、そろばんの上達速度も確実に上がりますから、必ず試してください。じつは、そろばんだけでなく、学習にも、スポーツにも、芸術にも役立つ方法です。  まず、なにごとであっても、スタートは、リッラクスした状態から始めます。  小学生がリラックスする方法はかんたんで、目をつむって、ゆっくり呼吸しながら、肩の力を抜いていくだけです。慣れてきますと、ちょっと目をつむるだけでもリッラクスできるようになります。小学生の潜在能力は、大人よりもはるかに高いのです。リラックスしているとき、脳波はアルファ波(α波)であり、学習を吸収できる状態です。  ところで、サッカーの試合の解説で、「この試合はホームだから、力を発揮できそうですね」「今回はアウェイなので、苦戦しそうですね」のように、「ホーム」と「アウェイ」という言葉が使われることを知っていますか。  ホームというのは、本拠地。ふだん練習している場所です。  アウェイというのは、本拠地から離れた場所。つまり、敵地です。  ホームではリラックスした状態から試合に臨めるので、選手たちは持っている力をじゅうぶんに発揮できます。アウェイでは緊張した状態で試合に臨むことになるので、選手たちは持っている力を上手に発揮することができません。  緊張した状態にあるとき、人は、ものを学ぶことや力を発揮することがむずかしくなるのです。たとえば、急な火事や地震のときに判断が停止して動けなくなってしまうのは、極度に緊張してしまうからです。「いざ」というときに、ただちに避難するためには、事前の訓練が必要になります。(緊急避難訓練はそういう点で必要なのです)  ともあれ、みなさんは、そろばんの練習前に、ぜひリラックスしてください。リラックスしてから取り組みますと、集中できますし、習得速度も速くなります。  つぎに、集中力のツボ。中国では、ツボのことを「経穴」(けいけつ)といいます。上の前歯の歯茎に近いところに、頭がよくなる、健康になる、集中できる経穴があるそうです。「舌抵上顎」(ぜつていじょうがく)という指示に従って舌を動かすと、この図のようになります。舌の先が当たっている部分が集中力のツボだといわれます。  ここで気がつくのは、この舌の先が上あごに当たっている状態は、そのまま「鼻呼吸」の状態です。鼻呼吸は集中力を高めますので、この集中できるツボは、もしかしたら「鼻呼吸」の効果であるかもしれません。ツボを押さえた結果であっても、鼻呼吸の結果であっても、集中力が高まることは確かです。  さあ、二つの準備ができました。そろばんに向かって、軽快にそろばんの玉を弾いていきましょう。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年7月号

そろばんで集中力を身につける  集中力を身につけることを目的の一つとして、そろばんに取り組んでいる小学生もたくさんいます。  そろばんは、たしかに集中力を身につける学習です。「やるぞ」と思ってそろばんに取り組むと、やる気分子と呼ばれるドーパミンというホルモンが前頭前野までとどいて、集中力が生まれます。  ところで、集中力が続かない小学生の原因はなんでしょうか?  海外では、「食べ物」が原因になっているのではないか、といわれています。  保護者の方は、炭水化物ダイエットという言葉を聞いたことがあるでしょう。あわてて炭水化物を食べるのを控える人が増えましたが、それはまちがいです。正確には、血糖値を急激に上げる食べ物を控えましょう、ということです。  現在の高校の化学の教科書では、ブドウ糖をグルコースとカタカナ表記します。果糖はフルクトース。麦芽糖はマルトース。蔗糖はスクロースです。  一九八〇年代のはじめに、食品による血糖値の上昇度を表すGI(グリセミック・インデックス)という重要な考え方が登場したので、Gはグルコース(ブドウ糖)のG、とわかりやすくしたのかもしれません。  グリセミック・インデックスは、高度・中度・低度と大ざっぱに分けます。高GIの食品を食べたり飲んだりした場合、急激に血糖値が上がります。小学生は、興奮気味になります。  ところが、急激に血糖値が上がりますと、今度は、インスリン分泌によって血糖値が急激に下げられます。それが行き過ぎて、低血糖になります。すると、小学生は、いらいらしたり、不安になったり、元気がなくなったり、頭痛がしたりします。  そして、また、白砂糖のような血糖値を急激に上げるものがほしくなります。甘いものが止められなく仕組みでもあります。(常習化しなければ、問題はありません)  この上下に激しく動く血糖値が、落ち着きのない、集中力が続かない小学生の原因だといわれているのです。  わたしの生徒に、椅子に三〇分、座っていられない女の子がいました。チョコレートを毎日食べて、甘いジュースも毎日飲んでいました。お母さんと相談して、チョコレートや甘い菓子などを控えて、甘いジュースも麦茶に変えることになったのですが、なんと、極端なお母さんは、完全に禁止したのです。  一カ月後、小学校の先生に呼び出されたお母さんは、「うちの娘がまた暴れたのかしら」と心配したのですが、先生は「最近、娘さんはすごく落ち着いていて、集中できています。いいことでもあったのでしょうか? 本当におどろいています」と娘さんをほめたのです。  そろばんで集中力は身につきます。もし、なかなか身につかないとすれば、甘いものを食べすぎていないか、ちょっと反省してみるのもいいかもしれません。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年6月号

そろばんと算数はつながっている。  算盤との関連で、江戸時代にも読まれた中国の書籍に『孫子算経』がある。書かれたのは、四、五世紀ごろ。  中学受験でおなじみの「つるかめ算」の元もこの本に登場する。鶴と亀ではなく、雉(きじ)と兎(うさぎ)であるが。 「今、ここに雉と兎がいて、同じ籠に入っている。頭が三十五で、足が九十四。さあて、雉と兎はそれぞれいくつ?」  答えは、雉が二十三、兎十二。  中国では小学五年生の教科書にも採用されているようだ。  中学生は、方程式を使って、雉をx、兎をyとして、x+y=35、 2x+4y=94 を解いて、x=23、 y=12 の解答を得る。  方程式を使わない小学生は、 「35羽のすべてが雉であると仮定すると、足は70本。実際の足の合計は94であるから、足が24本余る。これを4本足の兎に配当すると、24÷2 で兎が12羽(日本では兎も一羽、二羽と数える)であることがわかる」  この逆に、 「すべてが兎であると仮定すると、足は140本。足が46本足りない。2本足に戻さなければならないのは、46÷2で23羽。つまり、雉が23羽であるから、35-23で兎は12羽となる」  中学受験の生徒であれば、面積図で解く方法を教わったかもしれない。  この特殊算は、『孫子算経』の下巻に記述されている。  さて、上巻は、単位の修得から始まる。明治時代の日本のそろばん関係の書物を見ても、わたしたちはやはり単位に悩まされる。  現代のわれわれが覚える必要はないだろうが、『孫子算経』の本文の冒頭であるので紹介すると、 「度(長さ)は、忽から始まる。蚕が吐く糸の長さを忽とする。十忽を一糸とする。十糸を一毫とする。十毫を一mao(牛偏に毛)とする。十maoを一分とする。十分を一寸とする。十寸を一尺とする。十尺を一丈とする。十丈を一引とする。…」 「量(重さ)は、粟から始まる。六粟を一圭とする。十圭を一撮とする。十撮を一抄とする。十抄を一勺とする。十勺を一合とする。十合を一升。十升を一鬥とする。…」  現在でも、一寸一尺、一合、一升は、かろうじて生きている単位だろう。  九九は、ちょっとおもしろくて、 「八九、七十二、自相乘(自乗・二乗)すると、五千一百八十四、八人で分けると、六百四十八。七九、六十三、自乗すると、三千九百六十九、七人で分けると、五百六十七。六九、五十四、自乗すると、二千九百一十六、六人で分けると、四百八十六。五九、四十五、自乗すると、二千二十五、五人で分けると、四百五。四九、三十六、自乗すると、一千二百九十六、四人で分けると、三百二十四。三九、二十七、自乗すると、七百二十九、三人で分けると、二百四十三。二九、一十八、自乗すると、三百二十四、二人で分けると、一百六十二」といった具合である。  この九九をそろばんで弾いてみよう。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年5月号

そろばんは数学の基礎になる教具  将棋の藤井聡太くんの活躍で、急に注目が集まったモンテッソーリ教育。  アマゾン創業者のジェフ・ベゾス、グーグル共同創業者のセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、ワシントン・ポスト社主のキャサリン・グラハム、『アンネの日記』のアンネ・フランクなど、たくさんの有名人が、モンテッソーリ教育で育っている。  教育法としては、百年ほどの歴史をもつメッソドであり、わたしも最初の著書である『モンテッソーリ・メッソド』から晩年の『吸収するマインド』まで愛読して、学習指導の参考にしている。  マリア・モンテッソーリは、直感的な教具を好んでいて、積み木に類するものが多く、教具の中には、アバカス(西洋そろばん)や算木もある。  最晩年の『吸収するマインド』を読み直していたとき、このそろばん通信の原稿を書かなければ・・・という思いが無意識に働いていたせいか、モンテッソーリの「感覚教具」の説明に、「わたしたちのそろばん指導をそのまま説明しているようだ」という驚きを感じた。  まず、学びたい、という欲求。この学びたいという欲求をきっかけに、自分で選んだ学習に好きなだけ自分で取り組んでいく。親や教師の役割は、子どもたちを見守ることである。(じつは、手持無沙汰なように見える「見守る」ということに重要な働きがある。親や教師が見守って、子どもたちの取り組みを認めることによって、子どもたちの自己効力感が培われる)  「そろばん」は、子どもたちの、「やるぞ」というスタートから、練習の終了まで、基本的に自分で取り組んでいく。そして、そろばんに取り組んでいるあいだ、子どもたちは「集中」を持続している。(そろばんの効果の一つが、集中力の養成である)  モンテッソーリ教育の中心は、「自発性」と「集中」であり、 「子どもたちが正常化すれば、子どもたちは自発的に学び、自分の能力を発揮しながら、ぐんぐんと成長できる」  というのがモンテッソーリの考えだ。 「子どもたちの正常化は、一つの作業への集中から生まれる。正常な状態への移行が起こるのは、手を使う作業の後、精神の集中がともなう作業の後である」(『吸収するマインド』から)  モンテッソーリは、そろばんのような教具を「具体化された抽象」(数字という抽象概念をそろばんの玉で具体化している)と呼ぶ。そうした教具は、数学の基礎になるのだ。  そろばんに集中して取り組むことは、モンテッソーリ教育の考え方にも合っている。じじつ、そろばんに集中して取り組んだ後、どの子どもの顔もしっかりとした表情になっている。  子どもたちが本来持っている能力を引き出すためにも、そろばんに「集中」して取り組むことは有効だ。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年4月号

「そろばん」という呼び名になった理由  「そろばん」の名の由来について、いろいろなことがいわれています。多くの人が推理していますけれど、答えはそれほどむずかしくないと思います。  答えをいう前に、どのような考えがあったのか、見てみましょう。 「算盤は、珠が揃って並んでいる盤でありますから、揃え盤であります。そのソロエバンという意味から、ソロバンになったのです」 「ソロバンの珠を弾くとき、珠の音がサラサラと聞こえます。サラという音とソロという音は似ていますから、サラサラと鳴る盤というサラバンが、ソロバンに変わったのではないでしょうか」 「算盤は、中国では珠盤ともいいます。シュバンを急いで発音すると、ソロバンと聞こえます。シュバンがなまって、ソロバンになったのです」 「中国の人がサンバンと発音すると、ソルバンに聞こえます。それを聞いた日本人がソルバンをソロバンとなまって発音したのです」  なるほど、ソルバン、ソルバンと何度もいっていると、ソロバンになります。  しかし、これはカンボジアから伝来された南瓜が、カンボジア、カンボジア・・・と何度もいっているうちに、カボチャとなまったようなものですね。  算盤は、現代中国語では、スアンパンと発音します。シュンポン、ソンポン、スアンバンと発音する人たちもいます。中国の客家(ハッカ)の人たちはソンパンと発音します。  しかし、算盤の歴史は二世紀までさかのぼれますから、現代中国の発音では当時の発音はわかりません。  文化人類学的に考えれば、いちばん古い中国語の発音を使用しているのは、極東に位置する日本人です。(その証拠に、たとえば、日本人は「仏陀」を原音どおりブッダと読みますが、現代中国人はフォトォと発音します)  そうだとすれば、日本人の使っている呉音・漢音・唐音のなかに、答えがあるのではないでしょうか。  たとえば、「行」という漢字は、呉音ではギョウ(行列)、漢音ではコウ(旅行)、唐音ではアン(行脚)です。ずいぶん音が変わるので、おどろくでしょう。ちなみに、現代中国語では、シンです。  したがって、「算盤」という字がどのように発音されてきたのかを考えますと、時代によって、地域によって、たくさんの発音が存在していたことはまちがいないでしょう。  山田孝雄という国文学の大学者は、ソロバンは、唐音なんじゃないだろうか、と推測しています。  わたしとしては、ジョージ君が旅をすると、フランスではジョルジュ君と呼ばれたり、ドイツではゲオルグ君と呼ばれたりするように、いろいろに発音される「算盤」は日本ではソロバンと呼ばれたのだと考えています。   どんな言語もその国の言葉になるとき、変化を生じるものだからです。  英語では、日本の算盤は「SOROBAN」です。  おもしろいですね。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年3月号

吉田松陰とそろばん  明治維新の精神的指導者であった吉田松陰のことをみなさんは知っていますか。わずか三十年足らずの短い生涯でしたが、現在でも、松陰の志に感動する人たちがたくさんいます。小学生向けの伝記マンガもありますので、ぜひ図書館で借りて読んでみてください。  短い生涯をざっとまとめますと、一八三〇年に、現在の山口県の萩で萩藩士の次男として生まれました。五歳から叔父が開いた松下村塾で指導を受け、九歳のとき、明倫館の兵学師範に就任していますので、早熟な秀才であったといえるでしょう。その後、十一歳で藩主に対する御前講義、十三歳で西洋艦隊撃滅演習。  二十歳のとき、江戸に行き、佐久間象山に師事します。理由は、西洋列強と戦うための西洋兵学を学ぶためでした。  二十二歳で脱藩。水戸や会津や津軽などをまわって江戸にもどりますが、とうぜん、罪に問われました。  一八五三年、ペリー来航。二十三歳の松陰は、来年、ペリーたちが国書の回答を受け取りに来たとき、日本刀の切れ味を見せてやる、と力んでいたようです。  外国留学を決意した松陰は、長崎でロシア軍艦に乗り込もうとするが失敗。  一八五四年、ペリーが再びやってきたので、ペリーの旗艦に小舟を漕ぎ寄せ、勝手に乗り込みました。このとき、日本刀の切れ味を見せようとしたわけではないのですが、アメリカへの渡航を拒否されてしまいます。  下田奉行所に自首、伝馬町牢屋敷に投獄されました。松陰は二十四歳。  その後、死罪を許されて、萩に戻り、幽閉となりました。  一八五七年、叔父から松下村塾を引き継ぎ、若者たちに学問を教えていきます。塾生のなかに、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋などがいました。  一八五八年、幕府が天皇の許可を得ずに、日米修好通商条約を結んだことにいきどおった松陰は、過激な行動を計画したり、幕府を強く批判したりしたために、危険人物とされ、ふたたび、幽閉されることになりました。  一八五九年、安政の大獄に連座して、評定の結果、松陰は刑死。二十九歳でした。  松陰の行動だけを見ますと、無鉄砲なようですが、かれが書き残したものを読むと、志の強さに打たれます。  そんな吉田松陰が若者たちに勧めたのが、そろばんと地理でした。松陰は、そろばんの初心者たちのために、「九数乗除図」と題する図を書きました。この図は、松下村塾で配っていたものの写しです。  みなさんも志を持って、そろばんに取り組みましょう。 学院長 筒井保明

そろばん通信|2019年2月号

そろばんという道具  左の木版画のなかの二人の計算する男たちは、筆算で計算する男が、ローマの哲学者、神学者、政治家であったボエチウス(470〜524)、そろばんで計算する男が、古代ギリシアの数学者、哲学者のピタゴラス(紀元前582〜紀元前496)です。  筆算でもたもたしているボエチウスに対して、そろばんを使っているピタゴラスは、おおよそボエチウスよりも千年前の人です。二人の活躍した時代がちがいますから、これは想像によって描かれています。  そういっても、古来、ヨーロッパにおいては西洋型のそろばんが使われていましたから、そろばんを使用するピタゴラスは、あながち絵空事ともいえません。  いろいろな説がありますが、五千年ほどむかし、古代バビロニア人が、ほこりをかぶった板に印をつけて計算したことが、そろばんなどの計算道具の発明につながるスタートであるといわれています。  筆算よりも速く計算できることが大きな利点であり、魅力だったわけです。  その後、「土砂をかぶった板」に代わります。  それから、さらに板に溝を掘って、その溝に数を表す玉を入れて、玉を動かすようにしました。  それを中国人が、玉に軸をとおして動かすようにしました。  さらに日本人が、カバ玉、ツゲ玉のような精巧なそろばんをつくりました。  もちろん、そのあいだにも、紐に結び目をつけたり、算木を並べたりといった計算方法も工夫されていますから、「これもまた一説」というものです。  そろばんの発明後、十七世紀から二十世紀はじめにかけて、道具として、加算機がつくられ、微分解析機がつくられました。機械時計のようにシリンダー、ギア、シャフトなどによって組み立てられています。  現在の電卓やコンピューターは、エレクトロニクス時代のたまもので、そもそも、コンピューターは、電気の計算機、電算機と訳されていたのです。  そろばんのいいところは、暗算を始めるとわかりますが、イメージで操作できることです。目をつぶって、頭の中でそろばんを操作してみてください。かんたんな計算なら、イメージで計算できるでしょう。  いっぽう、加算器、電卓、コンピューターの計算を、わたしたちはイメージで再現することはできません。そもそも中身をイメージすることができません。  そろばん式暗算は、イメージ操作という脳の重要な働きを使うのです。 学院長 筒井保明